https://amd.c.yimg.jp/amd/20190429-00010273-besttimes-000-3-view.jpg

世界経済を支配するユダヤ商人。彼らのお金に対する意識は、とてつもなくシビアだ。安易に他人に任せず、全てキャッシュで管理する。その教えは、仮想通貨を始めとした玉石混交の“お金”があらわれ、銀行の信用を疑うニュースが多く流れる現代だからこそ耳を貸す価値がある。「銀座のユダヤ商人」藤田田(日本マクドナルド創業者)の著書『ユダヤの商法』より紹介する。

■現金主義に徹すること

 ユダヤ人の現金主義は徹底している。ユダヤ商法では、天変地異や人災から、彼の明日の生命や生活を保障するのは、現金以外には考えられないのである。ユダヤ人は、銀行預金すら信用しようとはしない。現金一本槍である。

 商取引を行う相手をも『現金主義』で評価する。

 「あの男は、キャッシュにすれば、きょういくら持っているか」

 「きょうのあの会社は、キャッシュに換金するといくらになるか」

 評価はすべて「キャッシュにすれば」で行われる。一年後には取引相手が億万長者になることが確実であっても、明日、その男の一身上に異変が起こらないという保証はない。人間も社会も自然も、毎日毎日変わっていく、というのがユダヤ教の神の摂理であり、ユダヤ人の信念なのである。変わらないのはキャッシュだけなのだ。

■利息目当ての銀行預金は損だ

 ユダヤ人が銀行預金すら信用しないのは、理由がある。

 銀行に預金すると、確かに利息が入り預金はふえていく。しかし、預金が利息を生んでふえていく間にも、物価は上がり、それに比例して貨幣価値は下がっていく。しかも、もし本人が死亡したら、相続税としてゴッソリ国に吸い上げられる仕組みになっている。

 どんなに膨大な財産でも、三代相続すればゼロにしてしまうというのが、税法上の原則である。これは世界中、どの国でも共通のようだ。

 現在の日本では、無記名預金制度もないわけではないが、この制度は誰でも利用できるというわけでもないようだし、いずれは西欧諸国のように廃止されるに違いない。とすれば、財産はキャッシュで保有しておいた方が、遺産相続税をごっそり持っていかれずにすむ。

 このように、遺産相続税ひとつを取ってみても、最終的には銀行預金は損である、というのがユダヤ人の考え方である。

 一方、キャッシュは、利息がつかないからふえることもない。しかし、銀行預金のように証拠はないから、遺産相続でごっそり持っていかれることもない。だから、ふえもしないかわりに決して減ることもないのだ。ユダヤ人にとって「減らない」ということは「損をしない」ということの最も初歩的な基本なのである。

■銀行の金庫はハリコの虎か

 昭和45(1970)年1月、商用で来日したデーモンド氏が私のオフィスを訪ねて来た時、私はニューヨークでのお返しの意味もこめて「きょうは私の金庫をお見せしましょう」と申し出た。私の金庫は、私の会社と同じビルの一階にあるS銀行新橋支店の金庫室にある。

 エレベーターで地下一階に降りると、入口で受付嬢が愛嬌たっぷりに言った。

 「いらっしゃいませ。藤田さんですね。何番でございますか」

 私が番号を言うと、受付嬢はキイで私の金庫をあけてくれた。

 「オー・ノー」

 オフィスへ帰ってくると、デーモンド氏はオーバーなゼスチュアで私に忠告した。

 「私は、あんな危険な金庫は絶対にいやだね。エレベーターで降りるとすぐに金庫の受付があって、しかもそこにいるのは若い女性じゃないか。もしも、銀行ギャングが機関銃を構えて現れたら、誰がどのようにして、あなたの財産を守ってくれるのかね。そんな金庫に、私は自分の財産を預ける気にはなれないよ。金庫は絶対的な安全を保証できる場所にあるべきだ。日本の銀行の金庫は、ハリコの虎みたいなものじゃないか。いざという時何の役にも立たないね」

 デーモンド氏は恐ろしそうに首をすくめた。そして、初めて見た日本の金庫のことがよほど気になったらしく、しつこいほどブツブツ言った。

 「私が銀行の金庫にキャッシュを保管するのは、絶対安全に私の財産を保護してくれるからだ。日本の銀行の金庫は、単なる銀行サービスのひとつの現れにすぎない。あまりにも危険がいっぱいすぎる……」

 ただでさえ銀行を信用しようとしないユダヤ人にとって、日本の銀行の金庫は、とてもキャッシュを保管できる代物ではないようだ。(文/藤田田)

4/29(月) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190429-00010273-besttimes-soci