【宗教】「神の国」日本と「無宗教」の日本 「八百万」の神と99.9%「無宗教人」のクラス おおいなる宗教国・日本
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
筆者が在職する明治学院大学。日本にはキリスト教系私立大学が多いが、その教職員や学生の大部分は「無宗教者」である=筆者提供
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041800001_1.jpg
■あなたは宗教を持っているか、宗教的に興味があるか
※省略
■「神の国」の日本
※省略
日本には伝統的に、宗教学者らがいうように、宗教的、文化史的にみたときたくさんの神があり、それらの神々に仕える文化がいまなお息づいている。
周知のように、日本にいる神は八百万と数えられる。八百万の神とは、数え切れないほど神がいるということだけでなく、この世のどんな形をした、どんなものもすべて神になることができるという、最高レベルの多神教社会であることを意味している。そんな日本の宗教を基底にもつ「神道」とは、世界的にみても代表的な多神教の宗教である。
よって根本的に日本の歴史は極めて宗教的であり、宗教のもとで各地域の生活文化は形成されてきたのだといえる。いまなおあちらこちらに残されている宗教的な儀式やお祭りは、ほぼすべてその痕跡である。
また元をただせば外来の宗教である「仏教」も、日本をベースにおおきな花を咲かせた。それは長い歴史を誇り、独特な個性と規模をもっていて、やはり日本の仏教文化も世界的なものといえるだろう。
※省略
継続的に新宗教が生産され、宗教の社会的氾濫とでもいうべき現状も、日本の宗教文化的特性をあらわしている。すなわち日本は極めて宗教的に敏感な社会なのである。「神社」は数え切れないほど多くの神々に仕え、そしていまなお、新たな神々を生産しつづけている。言い過ぎかもしれないが、ひょっとすると将来、漫画の「キャラクター」や「ロボット」が神になるようなことがあるかもしれない。
※省略
また、韓国ではごくマイナーな存在であった「統一教会」が、日本の普通の人々を多数幻惑させ、その犠牲に基づいて一定の勢力を形成した。現在もなお日本社会は、新たな宗教的創案と生産の力に満ちた社会である。今後も、新興宗教がたくさん生み出され、活発に活動する可能性が高い社会であるといえる。
■「宗教の国」から「無宗教の国」に
※省略
■「無宗教」と呼ぶ一つの宗教
※省略
だから、自らを「無宗教」であるといい、宗教には興味がないというときの宗教の概念は、じつはすこぶる狭い。「キリスト教」、「仏教」、「イスラム教」、「儒教」、「神道」、「土俗宗教」…それらの「宗教」のように、具体的で形のある宗教集団に所属しているかどうか、またそのような宗教に関心があるかどうか、と問われての答えにすぎない。もうすこし広いカテゴリでみると、人々が「無宗教」というときのまさにその「無宗教」こそが彼らの宗教であるとすることができる。
さらに小さな区分をいえば、「無宗教」にも「有神論的無宗教」と「無神論的無宗教」があり、それらはさらに細分化することもできるのだが、いまそれはさておいて、そもそも人間は宗教的存在であるが、考えてみればそれは単に信仰や宗教生活のみに基づかなくてもよいはずである。一個の人間が生きていく日常の価値観はもとより、最終的価値観つまり終末期の生活の選択や死の観念、あるいは社会についての理解と行動規範、ときによっては自分が最も大切に思うこと等をすべて宗教的観念のカテゴリーに含み込むこともできる。
※省略
しかし、国境を一歩出た瞬間、隣国・韓国は半数以上の人口が宗教をもつと回答する国であり、信仰心や宗教的価値によって自らの生活を決定する「宗教の究極性指数」が高いとされる国である。中国の場合には、さまざまの要因によって大きな人口が急激に宗教の側にシフトしている。
あるいは日本と文化的、地理的に深く関連してるアジア一帯では、「無宗教」という概念自体が存在しないかのごとく、人口のほぼ全体が宗教のなかにあるといってよい。仏教とイスラム教が二大山脈を形成する東南アジアと中央アジア、ヒンズー教が全体を主導する巨大国家インドがあり、イスラム教に貫かれた西アジアや中東にも接している。
※省略
つまり日本の多数派「無宗教」を一つの宗教と前提しなければ、日本人と世界の人々とのコミュニケーションに深刻な障壁が生まれる可能性すら危惧されるのである。やはり筆者としては、日本の「無宗教的現状」を一つのユニークな「宗教的現状」に想定してみる必要があるといいたい。(続きはソース)
筆者/徐正敏(明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長)
2019年04月28日
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019041800001.html 一神教とか他国の神を認めず唯一神を押し付けるから戦争してばっか 特定の宗教に属してないってだけで
神道をベースに仏教その他の宗教行事面白そうならやるって感じ クリスマスのBGMに讃美歌聴いた数日後に神社でお参りする日本のユルさ大好き でもほとんどの日本人が
正月には神社行って、葬式にお坊さん呼んで
クリスマスにはセックスするだろ。
無宗教、なにそれ。じゃね? >漫画の「キャラクター」や「ロボット」が神になるようなことがあるかもしれない
アクシズ教のことか 所詮想像の産物でしかないんだから好きなの使ったらええねん 自称無神論者ってやっぱ身内が死んでも葬儀とかやらないの? 目には目を、歯には歯を
プリウスではねて二人も殺した飯塚幸三容疑者に死を! 現代科学でも説明できないような、
神の行いとしか言いようがないような、
そういう現象が多くの人の目の前で起きれば、
キリスト教でも仏教でも神道でも、
日本で信者増えると思うよw 八百万の神ってのは宗教とは別物だら
自分の生まれた土地、自然を大切にするってことだろ 天の神様のいうとおり派と志村けんのいうとおり派に分かれる 神の国だよ?
キリスト?イスラム?仏?そんなものは下の下
天皇陛下こそ至高 神道あってこその宗教の選択だろ 無宗教とかありえるかボケ やってることは宗教的行為でもそれに宗教を感じているか
初詣もクリスマスも誕生日も入学式も同列のイベントになってるだろ >>15
欧米基準だとすべからく無宗教。
明治の時代から一貫した宣教師の感想。 無宗教って身内が死んだら葬式にお坊さん呼ぶだろ。
神道のお葬式あるみたいだけど。 >>17
宗教ってのはオカルトとか魔術ではないんだよ
どのように生きるか、何を目指すかの人生の規範だよ >>21
俺のところはその後に続く「あべべのべ」ってのが意味不明だった >>9
ユルさというより、正しいお上が分かるまでの間、
いつでも馳せ参じることができるように、のらりくらりと
どっちつかずの態度をとっておくという姑息さ?
戦国時代の経験が遺伝子に刻み込まれてる? 世界の数ある○○教の神様ってのは人に何をしてくれたんだろうな?
争いの火種以外に何かあるのか? 明治学院はウリストサヨクが跋扈しすぎ
へボン先生が泣いてるぞ >>27
ちゃう。
日本人は神に祈ることはあっても感謝することはほとんどない。 日本では人が死ぬと必ずと言っていいほど葬式をおこなう、その際坊主という宗教人が来る
これは死んだ者・遺された者が信徒ということは関係ない。キリスト教やイスラム教の牧師も坊主という括りだよ。 今の日本人は、自分を無宗教と信じてる神道と仏教をベースとした宗教だな
宗教は正義や価値観の基準になる
自らがこれが正義だと思ってるベースに宗教の影響がある 神道のお陰で何らかの宗教に無理して入らなくていいとも言える
はかも仏教やめよう >>36
神社のお参りは日々の感謝と努力の誓いをたてることだよ 正月には神社参り、結婚式はチャペルウェディング、葬式はお坊さん呼んで仏式、教育の根幹には儒教思想
適当でいいわ適当で 神さんの威厳を後ろ盾にしたもの言いに対して割と冷めた対応ができる日本人 日本人って具像崇拝的な宗教より
森羅万象に無意識な状態で自然と感謝する様な精神的な物がDNAに刻まれていると思うのね、それを宗教と見るかどうかは人によると思うけどね >>15
俺も同意
竹下総理:経世会(けいせい="K"eisei) → へいせい="H"eisei
安倍総理:清和会(せいわ="S"eiwa) → れいわ="R"eiwa
えいわ=永和が既にあるから除外
けいわ=敬和、恵和、啓和、慶和など既存の名称が多すぎ
せいわ=清和にしたいが昭和S被りもあり除外
ていわ=大正のT被りで除外
ねいわ=ねぇ〜わ
へいわ=平成とH被りだから除外
めいわ=明和が既にあるから除外
れいわ
残ったのが「れいわ」
安倍「アレが無いぞ、勘ぐれよお前」
元号案、首相指示で追加 「令和」3月下旬に中西氏提出
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190430-00000002-asahi-soci
安倍「清"和"会の命"令"に従えで「令和」か、いいね!」
改憲 → 緊急事態条項発動で森羅万象を司る現人神「安倍晋三」降臨 例えば(初詣以外で)神社で手を合わす
特に宗教がどうのなんて考えてない
仏壇に手を合わすのもそう
生活のリズムに組み込まれたもの
何かを信仰してるという意識もないが
「お天道様が見てる」ことを心のどこかに刻んでるような
無と八百万は違うようで似てるというか 天皇ですら長年仏教に帰依してたくらいだから昔から適当だったんだろ >>45
ちゃう。
賽銭箱にチャリーンてお金を入れて家内安全、商売繁盛、大願成就・・・etcと祈るもんだよ。 無宗教でも日本人で神社や寺に参拝に行ったことない人は、ほとんどいない
それは立派な宗教なんだよ 無宗教っていうかアニミズム文化だからな
その代わり、妖怪やら九十九神やら擬人化大好き 精霊思想が日本人自身も気づかないほど生活の一部になってんのさ 道端の転がる石ころにも神が宿ると考えるからな
縁起を気にしたり験担ぎなんかもひとつの信仰心のあらわれだし 日本人は無宗教に見える程に実生活と宗教が纏まってる。
言葉や習慣の至る所に宗教が散りばめられてて分離不可能。 キリストの誕生日祝って
一週間後には神社拝んで
自分は無宗教ですって平気で言える国だからな >具体的で形のある宗教集団に所属している
これが危険。争いの元。 メッカの巡礼者数より
明治神宮の参拝客のほうが多い事実 極論すれば所謂宗教とは、“ユダヤ”“キリスト”“イスラム”で、
それらの信者からすればそれ以外はまともに宗教と認めてないだけだろ。 >>54
それ成果の出る祈りをしないから感謝に繋がらないんだろw >>54
その家内安全、商売繁盛、大願成就は、願いじゃなくて誓いなんだよ
と同時にお礼参りとして感謝も捧げてる
初詣で今年「も」良い年になりますようにの、「も」に去年はありがとうございましたの念が含まれてるのよ 神社面倒だからって仏壇に線香あげてお爺ちゃんお婆ちゃんに神頼みしてるものな >>65
イベントとして行ってるけど信徒だと思ってる人はほとんどいないでしょう とにかく何がダメって
宗教やってるやつって視野が狭いってことなんだよ
おまいらは話したことある?
会話にならんよ、言っちゃ悪いが知恵遅れの人と話してるようだwww 十七条憲法や御成敗式目、教育勅語なんて律法捨てて西欧キリスト教的価値観で生活しるのにまだ何かいるのか >>66
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
感謝の思いを込めて賽銭箱に小銭を入れる人がどれだけいるのかと。
お守りやら熊手を買うのかと。
出したお金と同じかそれ以上のなにかが来るようにとの思いからですよ。 >>72
お前作ってくれた料理人や
食い物になってくれた物にありがとうって心込めた事ないの?
今ではそうだとしても行儀を教わった時から今まで
感謝を一度も込めた事がない程ヒネた人生だったの? ここまでありとあらゆる営みに宗教的なものが入り込んでる国はない
その辺にぶら下がってるカレンダーも今日の日付の下にちっこく仏滅と書いてある
かつての習合は大失敗だったので、多ければ多いほど希釈される利点もある 明治に「イギリスみたいに国教欲しいなー」と国家神道なる本来の神道すら蔑ろにした紛い物を国民に押し付けようとしたが、それすら否定したある意味頑固な国民性だからな 無宗教をも宗教にしとかないと宗教学者の立場がなくなるからしかたないわね
でもあり得なさすぎてアタマおかしいと思ってるけど 日本の宗教は八百万の神オンリーと言って良い
釈迦も天照もキリストも「八百万」のうちの一柱でしかない >>84
感謝の中に祈願も入ってるんだよ
なーんも考えずにチャリーンと入れてるだけならそりゃ願いも叶うかってw 神社のダメなところは戦争責任を認めてないことだね
国粋主義と結びついて国家神道化して、多くの日本人を殺したにも
関わらず、未だに責任を認めないのはいただけない
他の宗派は一応は戦争加担について反省をしているのに >>85
いや、だから礼儀だろと。
宗教行為じゃないくて。 >>筆者/徐正敏(明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長)
おまエラ如きに、日本の事をとやかく言われたくないわ…おうちに(半島)へお帰り ついでに言っておくけども
古今東西、争いのもとは「土地」か「宗教」のどちらかだからな
土地はなくせないが、宗教はなくせるんだから
撲滅したほうがいいって、絶対 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています