たまたまw

◆奈良–平安中期の皇統危機
>称徳天皇崩御による皇統断絶の危機に際して、大臣らは協議を行い
>その結果、天智天皇の孫に当たる年配の光仁天皇が皇位を継承することとなった。
>この事例は、臣下の協議による皇位継承の先例となった
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>仁明天皇の後、文徳天皇 - 清和天皇 - 陽成天皇と直系による皇位継承がほぼ順調に行われたが
>陽成天皇が内裏で重大事件(誤って殺人を犯したとする説が有力)を起こし、
>退位に追い込まれてしまい、再び直系継承の下で皇統断絶の危機が訪れることになった。
>このときは、有力候補がおらず、廃太子となった恒貞親王や嵯峨天皇の子である
>源融らが候補となったが、最終的には称徳天皇崩御時の先例をとって、仁明天皇の子で
>年配の光孝天皇が即位して皇位を継いだ。

>ただ、光孝天皇はあくまで陽成天皇の男子が成長するまでの中継ぎとの立場をとり、
>自身の皇子を全て臣籍降下させていたが崩御直前になっても後継者を立てていなかった
>(当時、陽成天皇にはまだ男子がいなかった)ため、緊急措置として急遽、
>光孝天皇の子の源定省が立太子され、宇多天皇となった。