世界遺産登録に関しては、「鎌倉の恥さらしのような大惨敗」は、京都のせいでもあるんだよね。
本来、京都のようなパターンの都市の場合、
世界的には、町並み全部を包括した「歴史地区」という形の指定が行われるのが普通。
ところが、京都には「面的な歴史的町並み」がほぼ全く残っていないので、「歴史地区」指定は無理筋だし、
そもそも地主としての京都財界が、そんな形で斜め上の開発規制がかかることに断固反対した。

そこで、「(町並み地区ではなく)歴史的史跡をピンポイントで何箇所もまとめて指定する」という、謎方式を採った。
他にはあんまり見ない。普通は歴史的都市は旧市街をまるごと指定するものだ。

これが鎌倉の申請時には裏目に出た。鎌倉には政治的史跡がまったく残っていない。
なにしろ幕府滅亡とともに政庁は更地になり、畑に戻ったのだ。
悲惨な審査結果に終わったのは、「史跡がないじゃないか」という致命的指摘によるもの。