【歴史】太平洋戦争での敗戦の原因、インパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景に“石田三成の存在”★2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
http://wedge.ismedia.jp/mwimgs/d/2/-/img_d2142b935992465cd72daa97500d01683697306.jpg
※省略
日本の太平洋戦争での敗戦の原因、特にインパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景には、石田三成の存在があるのではないか……。
こんなふうに書くと三成の子孫やファンに怒られるかもしれないが、この家人の出来事のあと、歴史上のイメージで真っ先に思い出したのがこの“太平洋戦争三成責任論”だった。
※省略
三成について『戦国武将合戦辞典』(吉川弘文館)は、「武将ではあるが、その本領は軍事よりもむしろ吏務に長じ、五奉行中随一の実力者として政務の処理にあたり、内政面での功績が大きかった」としている。
その一方で三成につきまとうイメージは戦下手。映画にもなった『のぼうの城』(和田竜、小学館)で三成は、水攻めなどを用いて忍城を攻めるも、結局落とすことができず、まさに戦闘では役に立たないような武将として描かれている。
さらに三成のイメージを悪くしている一つに、文禄・慶長の役(秀吉による朝鮮侵略)での軋轢だ。奉行として渡海するなどした三成だったが、前線で戦うことはなく、その役目は食糧の輸送や戦闘状況をチェックしての秀吉への報告だった。報告の中には三成が処分を求めて実際に処罰されてしまった武将もいたものだから、加藤清正や黒田長政ら前線指揮官の武人派からは「ちくり」だと怒りを買ってしまう。
※省略
ではなぜ、三成が太平洋戦争の敗戦に影響しているのかというと、またしても『戦国武将合戦辞典」の記述を拝借したい。戦闘能力が高かったとの記述はないが、「戦陣に臨んでも兵站関係や占領地の処理にその手腕を発揮した』とある。
■文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかった
兵站とは、戦闘地帯の後方にあって食糧や軍需品の供給・補給などにあたる活動のことだ。いくら屈強な兵士を集めても腹が減っては力も出ない。どんなに武器の扱いに熟練していても、肝心の銃や戦闘機がなければ最新鋭のアメリカ軍には太刀打ちできない。
三成はこうした兵站、つまりロジに長けていたというのだ。実際に、当時は前代未聞とされた20万以上もの軍勢を動員した九州攻めで兵站の役割をこなし、海を渡った文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかったとされる。
■「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島
太平洋戦争では多くの日本軍兵士や軍属が太平洋の島々などで餓死したとされる。その事例として挙げられるのが、インパール作戦や、「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島での戦いだ。太平洋戦争全体の全餓死者数の公式記録はないものの、ある研究では200万人を超える軍人軍属の戦没者のうち、餓死・戦病死者は140万人にも上るという推察もあるぐらいだ。
この三成と鋭く対立したことで知られる加藤清正は、日清戦争や日露戦争で清正を祀る神社や寺で戦勝祈願が行われるなど「軍神清正」としてあがめられることになったという。清正は朝鮮での虎退治や餓死寸前にまで追い込まれながら起死回生の勝利をあげた蔚山城の戦いなどの武功もあり、猛将と描かれることが多い(実際には熊本城築城や治水など行政手腕にも優れていたのだが……)。
まさか、「清正のように食糧がなくても気力で勝てる」と昭和の日本軍が宣伝したことはないだろうが、現在でも陰湿なキャラ設定が多い文治派武将と比べて、清正のような猛将型武将は豪放磊落とどこかいいイメージで描かれることがしばしばだ。
関ヶ原の戦いを契機として、戦争では勇ましさが好まれ、逆に三成のような兵站の重要性は省みられなくなったのではないだろうか。豊臣政権の五奉行のうち三成を含む三人が敗者となり、五奉行ではないが三成と同様に輸送や兵站で優れ、西軍の主力を構成した大谷吉継や小西行長も三成と運命を共にしたことも、兵站軽視思想に拍車をかけたのかもしれない。
小西行長を描いた『鉄の首枷』(中公文庫)の中で遠藤周作は、「主計(会計)将校の孤独」という章をわざわざ設けて、「輜重(武器、兵糧などの軍需物資)部隊の指揮官であることが前線将校の侮蔑を受ける」と記している。
これは、明治維新以降、軍隊が近代化してからも、陸軍士官学校、海軍兵学校など前線指揮官ことこそが花形であり、遠藤は「主計将校を幼年学校や陸士出将校たちがむしろ軽侮の眼で見たのは日本陸軍の伝統」として兵站を扱う人材は脇役であり続けたことと重ね合わせている。(続きはソース)
2019年5月19日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16169
★1:2019/05/19(日) 17:01:28.01
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1558252888/ 安倍晋三「みんな、ただいま♪無事、僕の日本に着陸*\(^o^)/*
みんな、僕の留守中、この国を守ってくれてありがとう♪
ちゃんと浮気しないで良い子にしていたかな(^^;;」 日本兵は捕虜になると聞かれもしないことまでペラペラ喋ってしまい米軍の尋問官を呆れさせたそうだよ
欧米の軍では「国軍将兵はたとえ捕虜となってもその義務が終わるわけではない。サボタージュ・脱走を試み敵の後方を悩ましめよ」
という観念が隅々まで浸透していたから、後ろめたさを感じる様子もなく平然と利敵行為に及ぶ日本兵の体たらくに衝撃を受けたらしい 前スレ>>971
石油などの資源が豊富な南方の資源地帯が欲しかった
ここを確保出来ればアメリカやイギリスから石油や屑鉄の輸出制限を掛けられてもなんとかなると考えていた 毛沢東は行く先々で略奪して力を蓄えたってのになぁ。 丸山「北方領土は戦争でしか返ってこない」
こういう人が多かっただけw ■停戦の訳
インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。
知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。
何がなんだかわからなかったが不思議なことに、パキスタン側でも銃声がやんでいた。歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか旗を持って一列で歩いてきていた。
われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが通り過ぎて見えたくなるまで一発の銃弾も発射しなかった。結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。
停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、上官に聞きに言った。その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で持っていた旗は日の丸だということを聞いた。
その話を聞いてその夜は泣いた。
ものすごく泣いた。
その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。
こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。
あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人でかつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って敬意を表して戦闘を中断したそうだ。 前スレ読むと、太平洋戦争の敗因は海軍が糞過ぎだったからということを改めて認識させられるね Yalta Conference - 1945 | Today In History | 4 Feb 18
https://youtu.be/pVLawWtYdg0 ■独立を眺めていた韓国光復軍と勝ち取ったインド国民軍
インパール作戦は結果的に、英国の軛からインドを解放した。
ただし、インド人は帝國陸軍に頼っただけではない。INAを組織し、帝國陸軍と共に英軍と死闘を演じた。総兵力4万5000人の内2万〜6000人が作戦に参加し、
戦死・戦病死は3000〜2000人。帝國陸軍も5万4000〜5万人もの戦没者を出した。
日本の敗戦後、英国は将校3人への極刑を含むINA将兵2万人を、英国王への反逆罪で裁こうとした。
ところが、これがインド人の独立への闘志を再燃させ、一斉蜂起に至る。英国海軍のインド系将兵も1946年、「INA海軍」を宣言し決起、多数の艦艇を乗っ取った。市街戦も激化し、英国はインド独立を認めざるを得なくなる。
インド国民は日本を称讃して止まない。●(=鯖の魚が立)國神社の資料にはこうある。
P.N.レキ最高裁弁護士「太陽の光がこの地上を照すかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」
S.S.ヤダバ元INA大尉(INA全国在郷軍人会代表)「われわれINA将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として、戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して
もっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義に生命を捧げた
勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。
我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます」
実際、先帝(昭和天皇)陛下崩御に際し、インドでは政府関係の庁舎や国会など、
いたるところに3日〜1週間にわたり半旗が掲げられ、大統領の呼び掛けで国民は喪に服している。
自国の歴史に自信が持てる国は外国にも敬意を払う。
自信がない国は外国に歴史改竄のお先棒を担いでもらう。 >>12
戦争に至るまでの戦略部分の負け要因が大半で戦術部分はみんなよくやってたんじゃないの 三成って島津義弘に「奇襲しかけたら勝機はある」ってアドバイスされたけど無視したんだよな? >>9
日本兵「こことここから攻める予定だったんで機関銃設置するといいですよ」
米兵「ふむふむ」 >>4
南方の資源も日本まで送らねば加工出来ない。
だから輸送路を確保する必要がある。
フィリピンの米航空基地から爆撃されたら輸送船は全滅するからフィリピンを攻略する必要がある。
フィリピン攻略中に米国からの増援があると困る。
輸送艦隊を護衛する米太平洋艦隊を倒すために戦艦級を拠点護衛に出す燃料が無い。
米太平洋艦隊をハワイで奇襲するしか無い。
真珠湾攻撃は理にかなってるな。 日本兵は姑息だったらしいね。レイテ沖海戦の動画を観たら、年老いた退役米兵
がいろいろと証言してた。日本刀や日本兵の死体に爆弾しかけたり、
投降して手を上げて出てきて背中の銃を掴んでいきなり撃ち始めたり。
まあ、そこまで追い詰められていたのだろうけどさ。正々堂々とした大和魂すら
捨てて戦ったわな。イギリス兵やアメリカ兵の姑息な作戦はあんまり聞かないだろ? 真面目な人間が馬鹿を見る日本社会
戦後70年以上経っても変わってないよ >>17
まあ体面重視で作戦拒否して負けた奴多いよな。(´・ω・`) >>1
このような旧態依然とした俗説はまともな軍事研究の領域ではすでに否定されている。
インパール作戦失敗の最大要因は日本軍の補給計画ではなく連合軍の戦術変容にある
連合軍の新しい空中補給戦術によって、一年前までの第一次アキャブ戦のような軽装部隊に
よる迅速な包囲撃滅戦が突然通用しなくなった
それでも第五飛行師団がダコタ輸送機の飛来を妨害できればまだ十分な勝機はあったが
主に地上支援に回されてしまった。
雨季の到来とともに速やかに撤退していれば飢餓は起こらなかっただろう。その意味では
第十五軍司令官とビルマ方面軍司令部には同じくらいの責任がある。
だがそれは別のフェイズでの話であり、補給云々や飢餓が等の「反論」は情緒的な反発の域を出ていない >>22
フライングタイガースとか姑息すぎて笑うんだが。 物資の豊富なアメリカと比べるから日本軍は兵站軽視って論調になっただけなんだよね
ドイツだって兵站考えず天候頼みでバルジの戦い始めたし
周り中が敵だらけでそれを補える物資なんてアメリカでさえ無いよ
局面打開で都合のいい妄想で攻勢考えるしか無い状態に自分を追い込んだ頭の悪さが原因だよ どこの国でも自国に都合のいい報道を政府がするもんで、日本が太平洋戦争をした理由が報道されたのはごく最近なんだってな。
つまり、金融機関は凍結され、石油は禁輸で貿易ができない。
そしたら、とりあえず、油田を確保するため、戦争するしかないんだが、アメリカ人に一番ショックだったのは、
真珠湾攻撃を実は盗聴でアメリカ政府は知ってた事実。
在米日本大使館員が、宣戦布告を酔っぱらってて遅れたのが真珠湾攻撃の「ジャップは汚い」って理由だけど、
睡眠薬でも飲まされたかもな。 この精神は気力と根性で地方大会から甲子園まで投げ抜く高校野球に引き継がれています 素人は戦術を語り、プロフェッショナルは補給を語る。 >>12
長年使い込んだ国家予算の額が桁違いなら、戦時中に行った利敵行為の数々はもう米国から勲章を頂いてもおかしくないくらいですよ
台湾沖で米空母艦隊を撃滅したと天皇内閣陸軍国民に嘘をついた挙句、それを信用した陸軍がルソン島からレイテ島を兵員を移動させる度に輸送船は沈められまくり
そして兵士の頭の上に次々と爆弾が落とされていく
こんな出来事はざらですね 大戦の反省で、自衛隊の兵站は優秀だ。
災害時に緊急救助に派遣するが、場所も規模も期間も季節も様々なのに
後方からの補給支援は問題を起こさない。 だけど、イギリスやフランスがヒトラーの台頭を止められなかった原因のひとつに
第一次大戦の勝利があるんだよな。
英仏は勝利はしたけど犠牲者も数多く出してしまったから余力がなくなってしまった。
孫子の兵法などで書かれている良くない勝ち方だな。 ちょwwwwwww
関ケ原に負けたからって、太平洋戦争まで俺のせいかよwwww
300年後の戦争の責任なんて知らねーよwwwwwwwww
勝てば官軍wwww負ければ賊軍wwwww
マジやってらんねーwwwwwwww
俺のせいじゃねーっての!wwwwww >>9
死ぬまで戦え、って精神論だけで捕虜になった場合の措置とかあり得ないから、
氏名階級以外喋るな、とかできるだけ無駄飯食ってサボタージュして敵を消耗させろ、とか当然のことを知らない。
むしろ、アナターヲほりょニシターとニホンにツウホウシマース、とか言われると
それだけはやめてくれなんでも喋るレベル。 >>26
コンドル軍団「お、おう・・・」
黒シャツ旅団「せやな」 物資の現地調達は日本の伝統
保守なら胸を張って
誇りを持て >>25
兵站軽視がその時点で指摘されてる記録いくらでも残ってなかったか >>16
台湾沖航空戦の誤報からのフィリピンの陸軍大壊滅の犠牲者を考えるととても擁護する気になれない >まさか、「清正のように食糧がなくても気力で勝てる」と昭和の日本軍が宣伝したことはないだろうが、
してただろ ばかなの?
>>20文春新書『日本兵捕虜は何をしゃべったか』山本武利 >>22 追記
日本がこれからサッカーを強くしていくぞという東雲の時期の釜本サッカー
が相似形だった。ペナルティーキックの笛がなると意表をついてプレーをし始める
そんな姑息な工夫が勝ちに行く工夫だった。
日本人のチームワークにも実は弱点があるんだよ。形から入るチームワークだから
それを見せないとチームは信じてくれない。
だから柳沢はあそこでチームメートにパスを出した。仲がよさそうで実は仲良くない
んだな。信頼しあってるようで実は根っこに信頼がない。 >>1
最初から最後まで全部間違ってます。
例えば前線の個々の兵士の抱える糧食・弾丸(中隊・大隊・連隊の段列に抱える糧食・弾丸)を増せば
部隊の運動性を悪化させますよね(抱えるべき弾薬と食料が倍になったら走れませんよね)
師団の抱える物資も同様です。師団が動けばこの師団倉庫も動かないといけないですから、
1基数に必要な員数の増加があって、道路や輸送機材の限度から、運べる規模は自ずから定まってきます。
たとえ車両を増しても、その車両が消費する燃料や整備機材そして道路の限界から輸送力は頭打ちに
なります(これは朝の道路の渋滞を見れば判りますね)このことは実働演習で証明されています。 周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。
これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ。 >>3
開戦当初のアメリカ軍で、日本文化に詳しい捕虜尋問に当たっていた尋問官がどや顔で、
尋問官「天皇は神ではない、人間だ!」
あまりの一言に、呆然とする日本兵捕虜。
日本兵捕虜「……それがなにか?」
尋問官が呆然とした。
という逸話が好き(笑)。 >>1
以上から、部隊の機動力と継戦能力、そして補給力のバランスはどの時代でもアンバランスになりがちです。
身軽にすれば素早く奥深くまで進撃できるけど、身軽であるが故に後続の補給に依存する度合いが大きく、
そして奥深くまで進撃したがゆえに兵站補給線も長くなる(北アフリカが良い例ですね)だからといって身重に
したらそもそも進撃速度が得られない。当然ですが進撃速度は敵の防衛体制が整う時間にそのまま影響し、
例えるならWW1の凄惨な消耗戦のような情景にそのまま繋がります
(つまり、それこそ必要な補給量が増えてしまう)
逆に言うならば、じっくり時間をかけて補給と補充量を蓄積してから叩くとするならば、それは最終的には
国力同士の比較に土俵を持ち込むことになり、そしてそれでは千日手になってしまうことがWW1で
示されています。下手するとチタデレ作戦のドイツ軍で負けちゃったりします。
この手段は日本軍にはとり得ないという事は理解できるでしょう。
以上から、予算以前に、日本陸軍は、そのような愚かしいというか知力を用いる事を放棄するが如き行動を
良しとするような無知蒙昧な集団ではなかったという事なのです。 前スレ
>>815
近衛上奏文のことかよ。
あれはちょっと天皇じゃなくても聞き入れは難しいだろ。軍部中枢が赤くなって
敗戦革命を画策しているみたいな基地外っぷり。
まあ三笠宮とかの行動を見ていれば陸軍の赤化はあったんだろうし、ソ連に
終戦の仲介を頼むとかあり得ない判断だわ
アメリカのレッドパージやGHQに食い込んだ隠れ共産主義者もいたしな。
ソ連コミンテルンの世界同時革命工作はあったと今は思う。
そのへんの軟着陸は昭和天皇の手には余る話だわ。赤化せずに日本を敗戦に
導くためには鈴木貫太郎を総理にして御前会議で聖断を下して軍を個別に
押し切るしかなかったわな。
天皇自らはマッカーサーに自分はどうなってもいいと発言したことがマッカーサーの
自伝に書かれている。天皇は機関だから替えはいると思っていたんだろ。
命乞いなんてする必要はない。 WW2時のソ連も補給なんてろくに出来てないんだがな
武器の配給も出来なかったから石と棒で突撃させられたり散々だった模様 箱根が噴火しそうじゃないか。
火山性地震が何十回とか。
火山性地震は火山性微動よりマジだから、噴火するぞ。
たぶん今度の噴火は前回より大きくなる。 兵站軽視というか、戦線をコントロールできないから結果、兵站軽視になるという。(´・ω・`)
戦後も同じ。
いわゆる「チャレンジする」って奴だ。 食糧なんか現地調達すればよくねwww(笑)
程度に考えていたけど10万の兵力を養えるくらいの村落が存在しなかっただけやぞ
完全なる下見不足 >>22
勝ってる方は姑息なことはやらない。イギリス軍やアメリカ軍は日本兵に対し
残忍なことをやってた。 >>3
そりゃベトナム戦争のときの韓国軍だろうが、アメリカ兵のほとんどは拷問されても口を割らなかったが
韓国兵捕虜は拷問をちらつかすだけでしゃべりにしゃべりまくったので、北ベトナムの尋問官が
あまりのふがいなさに呆れかえったという話 >>34
というか、対独賠償とか酷かったからでしょう
だからケインズがパリ講和会議の代表を辞任したんやん だから、戦術も戦略も、そして精神論も全て大事なんだって何度言えばわかるんですかね?
そして、何が重要なファクターになるかもケースバイケースです。
戦術を軽視する人間は関ヶ原やミッドウェーで敗れる事になるのです。
そして、歴史に鑑みるに真剣勝負というのは大体はあっけなく
勝負がついてしまうつまらないものである事の方が多いし”いい戦争”なんかする必要はない。 >>22
バカなのかよ。
日本が米軍の攻撃にさらされたとき、米軍の戦闘機が狙ったのは民間人。
フィルムに残ってるだろ。
民間人の家を機銃で攻撃しまくる。
これ、戦争でもやっちゃいけないこと。
戦争で殺害していいのは、軍人だけだから。
しかも、原爆や東京や大都市の大空襲は、完全に民間人を狙ったものだろ。
自分のおバカなレスを反省せえよ。 インパールいくまでも悪手続きだったんじゃないの?
真珠湾奇襲で米軍太平洋艦隊が留守で潰せなかったり
ミッドウェーで情報筒抜けの上に偵察おろそかにして準備不足で大失敗とか >>20
横からだけど有名な話
文春新書から出ている、日本兵捕虜は何をしゃべったか とかに詳しい。 モンゴルをはじめとする騎馬民族の遠征というと騎馬隊で編成された軍隊が
広大な大陸を縦横無尽に駆け回る姿を連想するけど、実際は家畜や移動式住居んど
生活用品の全てを持っての移動だからな。
彼らの遠征は普段の遊牧生活の延長にすぎない。 実際に陸軍では慎重策と積極策では積極策が採用されることが多かったというのは聞いた
積極策で失敗しても許す風潮があったらしい >>44
だから自分で敷設すればいいじゃん
既存のものをだけを利用するとか薄汚い百姓かよwww
だから汚らしい色付きと馬鹿にされんだよ 幼稚園児でも負けると分かる作戦を強行したからでしょ
アメリカ軍にとって日本軍との戦いはボーナスステージみたいなもんだった >>18
捕虜が補給地点をしゃべってしまい、集まってきた兵や船を思いっきり攻撃されたことも。
捕虜になったらしゃべらなくていいことも知らないし、そもそも
もう日本に帰れないと思ってたからね。 >>64
まあミッドウェーまで一方的にボコられてたのが無けりゃな。 >>49
まあ後半になるとアメリカの数歩手前レベルでシステム化されたから負け戦じゃ補給どころじゃないって話だね だけど戦争に負けて良かったと思うぞ。
もし勝っていたら今でも軍部や特高が幅を利かせている世の中になってるからな。
とても5chなんか気楽にやってる場合ではないからな。 >>62
だからその種の無能積極主義者加点主義とか今も受け継いでんだよ
害務省とか他のもそうだけど
意味不明のやる気とか気合が評価される場所だからwww >>23
この国のお上がウスノロの牛のように仕事しないじゃん。
マッカーサーを超えて日本国民のために働いたお上がだれ一人としていないという
哀しみの国よ、ここは。 >>22
ブービートラップなんてどこだってやるだろ。
大抵の軍ではやり方が教本に載っている。 >>54
軍事政権時代だから国に残した親族が村八分されたりしなかったんだろうか? >>49
>WW2時のソ連も補給なんてろくに出来てないんだがな
あそこは邪魔な国内の人間を殺す役割も有ったんだよ >>34
そう。
だからアフガニスタンからも追い出されてアフガニスタンが独立した。
日本が本気でアジア解放をやりたかったんなら、戦機はここしかなかったんだよ。
イギリスがアフガニスタン軍に負けてんだから。
第一次世界大戦とその後を知れば、大東亜共栄圏なんて後付けだという事がよくわかるんだよ。 ゲリラ戦とは敵を精神的に追い詰めることから始まる。
平穏に食事することも、そして眠ることもできないように昼夜を問わず攻撃をしかけるのだ。
敵に休息を与えてはならない。何処にいても地雷を踏み、狙い撃ちされ、そんな恐怖感を敵に植え付けるのだ。
そうすれば敵はやがて疲れはて最期には死滅する。
インドシナに送り込まれてくるフランスの兵はやがて本国の家族に宛てる手紙にこう書くようになるだろう。
「ベトナムではありとあらゆる洞窟、ありとあらゆる茂み、ありとあらゆる沼地、どこにいても死が待ち受けている」と。
ホー・チ・ミン >>66
そもそも海軍は中将が捕虜になって暗号書奪われてるしなぁ 「兵站」なんて言葉、久しぶりに聞いた、今でも使うんだね。(´・ω・`) >>74
手りゅう弾隠し持って投降というのは教本に書いてないだろw インパールでは牟田口はちゃんと前線への補給を命じていたが、運搬にあたる輜重部隊が途中で投棄したという説もある >>3
本来なら敵の捕虜になった場合の尋問対処法(この情報は喋って良いのか悪いのか)を教えるんだが
日本の場合は「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えていたので下士官兵には捕虜になった場合のことは殆ど教えていなかった
しかも敵の捕虜になったことが本国や日本軍に知られると家族まで「非国民」として村八分にされてしまうので
自暴自棄になって全部喋ったりするパターンもあったとか >>59
ミッドウェーでは開戦前の想定で何回やっても結果が大敗にしかならんくて参謀もこれ無理ゲーじゃね?
つってたのに我が日本軍は強いんじゃ!米軍は弱いんじゃ!つって米軍の想定戦力を下方修正させ
日本軍を実力以上に評価してのなんとか勝利する想定を出して
よし!日本軍はやっぱり最強!いくぜ!つって挑んだんでしょ
参謀の胸中や如何に 日本以外の世界中を制覇していた大英帝国を滅ぼした強い有色人種人種がいるらしいw 天皇が負けたら俺知らない
航空機一杯作れない(鉄がない金がない)
ゼロ戦の性能に頼りいつの間にかアメージャ機に性能抜かれる
時代遅れの大和武蔵
気合いとか意味の分からない自信
一億総特効を仕掛けたのは天皇
沖縄の浅瀬に乗り上げて砲台になれアホかどんな作戦だよ >>69
そう、この国の歴史の理解は難しいんだよな。
特攻は愚策でも英霊には敬意を払わないといけないだの。
日本のお上はマッカーサーをできるだけ悪人として
日本国民には捉えて欲しいという思惑があるということを知らないといけないし。 >>79
ゲリラ戦は、ゲリラの方が遥かに死者数は多いのだ >>66
捕虜になったことが日本国内でバレれば家族は村八分になるような土人国家だったからね。
まあ、第二次大戦時のソ連軍は捕虜になった兵に対して戦後まとめて処刑するなどさらに過酷だったんだけど。 6年籠城できる食料備蓄あったと言われる小田原城があっさり降伏したんだから兵站なんて重要じゃないわ >>67
ミッドウェーまでって開戦後たった半年しかないんじゃないですかね?
その後の日本軍ボコられ期間のが長すぎるのでは? 日本人は歴史の流れを勉強しないからな
ただ年号と出来事と人名を暗記するだけ
日本人は世界の歴史から学ぶことができない 兵站軽視した訳でも情報を軽視した訳でも無くて全て自分に都合よく解釈した結果
船舶の喪失率なり敵の反撃を軽く見積もったり
現実見たくなくて責任取りたくなくて
誰か起死回生の戦功上げてくれないかな?って
目立ちたいだけのバカの立てた作戦に上層部がすがるってのの繰り返し >>69
大正デモクラシーの時の自由過ぎる発言の数々を考えたら、戦時下の一時期だけの状態より日本はかなり自由度がましていったと思いますよ
明治ですら民衆が講和が気にいらないと日比谷焼き討ち事件とかしでかしてるぐらいですからね >>3
最初は殺せ殺せ、殺してくれとわめいて叫んで大変だけど落ち着くと何でもかんでもペラペラ喋るっていうね
生きて虜囚の辱めを受けること勿れって言われてたからだな まぁ高級将校は今も昔も無能で矮小な連中の集まりだわ
www
>>58
軍人でも中立国のは殺しちゃだめだぞ
だまし討ちはするわ、同盟国の民間人は無差別爆撃で殺しまくるわ
日本軍は先に自分たちがやったことを報復されただけ。
日本軍にとって日本の民間人はいくら犠牲にしても構わない虫けらだったってことだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています