1.でも植物も...

・「でも植物は/も...」からはじまるのは、Plants tho(プランツゾウ)と呼ばれるビーガニズムに対する最も一般的な議論の一つ。
「でも植物にも命が...」という議論であれば、そもそもビーガニズムは搾取される対象の感覚や感情を尊重する思想であり、命を主題としたものではないため、この時点で論理的誤謬(藁人形論法)である。
また、命はすべて平等であるから等しく扱うべき、あるいは、命の平等さのみを考慮し、扱われる対象者の感覚や感情の応答を考慮する必要がない、というのであれば、当然ホモサピエンスの命も平等であるため、ホモサピエンスの搾取も正当化されることになる。

2.わからないだけで植物にも知覚があるかもしれないのでは?

・植物に外的な刺激に対する反応は認められても、動物に似た意識的感覚を持つと考えられる科学的根拠は一切存在していない。

3.苦痛が問題なら、苦痛なく殺せばよいということになるのでは?

・まず、論理の問題として、「知覚あるものを害してはいけない」ということは「知覚がなければ何をしても良い」を必ずしも含意しない。
知覚を持つことは最低限の道徳的地位を持つ決定的な条件であるが、その条件を退けるのではなく、他の条件を考慮することで、知覚がなくともある種の存在への配慮の必然性を示すことができる。

そのため、「ビーガニズムを受け入れることは、植物人間などが守られなくなるということであるため、積極的に動物の搾取をつづけなければならない」という奇怪な主張は(数ある問題点のうち、この点だけを見ても)誤った主張であると言える。

4.でもライオンも...

・「でもライオンも...」からはじまるのは、Lion tho(ライオンゾウ)と呼ばれる、Plants thoと並ぶビーガニズムに対する最も一般的な議論の一つ。
この議論が有効なのは、あなたがライオンと同等の理性しか持ち合わせないか、あるいはライオンと同じように他に選択肢がない場合だけだろう。