【訃報】14代沈壽官(ちん・じゅかん)さん死去 薩摩焼宗家、司馬作品「故郷忘じがたく候」の主人公も
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【訃報】14代沈壽官(ちん・じゅかん)さん死去 薩摩焼宗家、司馬作品「故郷忘じがたく候」の主人公も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000048-asahi-soci
14代沈壽官さん死去 薩摩焼宗家、司馬作品の主人公も
6/16(日) 20:54配信
薩摩焼宗家の14代沈壽官(ちん・じゅかん、本名大迫恵吉=おおさこ・けいきち)さんが16日、肺炎のため死去した。92歳だった。
16世紀末に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から薩摩へ連れてこられた朝鮮陶工の末裔(まつえい)。朝鮮陶工たちの望郷の思いを題材にした司馬遼太郎さんの短編「故郷忘じがたく候」にも主人公として取り上げられた。
早稲田大卒。13代が死去した1964年、14代を襲名した。99年には長男に15代を襲名させた。
創作活動に加え、70年の大阪万国博覧会など国内外での展覧会への出品、焼きものを紹介した著書などを通じ、薩摩焼の普及に尽力した。98年に鹿児島県で開催されたイベント「薩摩焼400年祭」では実行委メンバーとして企画立案から加わった。
薩摩焼を通じた日韓の文化の橋渡しにも積極的に貢献。89年には国内初の韓国名誉総領事に任命され、99年には日本人として初めて韓国銀冠文化勲章を受章した。2004年に鹿児島県指宿市で日韓首脳会談が行われた際には、当時の盧武鉉・韓国大統領を地元の沈壽官窯に迎えた。10年には長年の日韓文化交流活動が評価され、旭日小綬章を受章した。
朝日新聞社 俺は鹿児島出身で、それも沈寿官と同じ二中(現 甲南)出身だが、「故郷忘じがたく」を読んだ時まさに
沈寿官が入学時に上級生に呼び出されたという記述のとこが強烈に違和感があったんだよね。
それが >>74 を読んでああ、やっぱりかと少し氷解した。
そもそも鹿児島は在日朝鮮人が日本で一番か2番目に少なく、在日との諍いなんて殆ど聞いた事が無い。
あらためて司馬遼太郎の罪は重いな。(この場合沈寿官も嘘をついてたのかも知れんが) >>126
東郷は開戦時と終戦時――日本現代史で最も重要な時局に、二度にわたって外相を務めた。当時の日米関係史を読むほどに、
はたして東郷がこの時期、二度の外相に適任だったのか、とつくづく考えてしまう。
東郷は韓国からの渡来人の末裔で、本名は朴茂徳。東大法学部に進学する折、東郷茂徳と改名した。誠心誠意の人物として
知られるが、あえていうなら朝鮮民族のDNAのせいか、いささか短気なところ、短絡的なところがある。
たとえば東郷はハル・ノートを突きつけられたとき、「頭の中が真っ白になった」と記し、こんなものを受け入れれば先人らが
積み重ねた努力がすべて無に帰す、こうなれば戦争もやむを得ない……といった意味のことを縷々と記している(『時代の一面』)。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1462627646/13
東郷元外相の口供書は陸、海軍、また木戸右大臣にたいしても激しい言葉で“挑戦”していた。
(中略)
そして、口供書は終戦時の努力にもふれたあと、次のような言葉で結ばれている。
「1941年に戦争を阻止し得なかったことは余の生涯に於ける大なる痛恨事であったが、1945年之を終結に導き人類の苦悩を軽減
することに寄与し得たことは、以って聊か慰めと為す次第である」
この口供書は、木戸口供書とならんで軍人被告たちの反感を呼んだ。いや、文官被告たちの間でも、あまりに自分の立場だけを
主張している、と不評を招いた。陸軍中将でもある鈴木元企画院総裁は「自己ノ責任ヲ他人ニ転化スルノ心事、実ニ劣等ナリ。
彼ハ元来、朝鮮人ノ帰化人ノ種トテ……」と、いささか人身攻撃的口調の論評を日誌に記述した。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1462627646/14 東郷茂彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E8%8C%82%E5%BD%A6
1969年に朝日新聞社に入社した。朝日新聞名古屋支局で愛知県警詰めキャップも経験し、東京本社に戻って政治部に配属され
首相の番記者として期待されていたばかりだったが、1976年5月の昼間、衆議院本館の一階から三階までの階段で国会見学に
来ていた神奈川県の小学生たちに後ろから近づきスカートをめくって触るわいせつ事件をおこした。さらに、二週間ほど前にも
同じ場所で同じような事件をしたと認めたが父親の詫び状によって起訴はされなかった。事件の翌々日に妻と二人の息子も
いたが、朝日新聞を依願退職した。同年にワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。
2001年11月13日午後4半時ごろ地下鉄千代田線車内で痴漢事件をおこした。東郷は「女子高生が可愛かったのでついやって
しまった。」、「実はこれまでにも九回くらい、電車内で痴漢をしたことがある。」と白状した。捜査関係者も「常習者だから起訴された。
被害者は全員若い女性だ。」と話している[3][4]。 >>74
司馬遼太郎嫌いだからフォローしたくないけど、そいつはあくまでも小説家であって、書いているのはフィクション(嘘話)だぞ? 司馬が嘘とは、それ知ってショックだな
この人は鶴瓶に出てた人かな 胡散臭い人
李家幽竹
https://yuchiku.com/resume/
朝鮮・李王朝の王族の中で、王家のための風水の知識を継ぐ家に生まれる。
その後継者として3歳の時に修行を始めて以来、風水を研究し、広めることに人生を捧げてきた。
騙りじゃなければ、李家元宥(李聖賢)の子孫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%B6%E5%85%83%E5%AE%A5
風水じゃなくて、武官なんだけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています