【最後の軍人】「朝日はアカだから」。小野田寛郎少尉は「終戦」も「朝日新聞の変節」も知っていた★2
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190623-00567361-shincho-soci
この夏は、令和になり初めての終戦記念日が控える。否応なしに昭和の時代を振り返ることになるが、
戦後になってもなお異国の地で最後まで闘っていた男が小野田寛郎少尉だ。終戦から29年、
51歳で帰還した残留兵は、持ち前の慧眼で大新聞の変節を察知していた。
1974年(昭和49年)3月、元上官の命による武装解除に応じるまで、小野田少尉は帝国軍人として生き、
フィリピンはルバング島の山中を舞台に、米軍基地や現地住民への遊撃戦を仕掛けていた。
平和を謳歌する戦後ニッポンに、突如現れた帝国軍人の姿は国民に衝撃を与えた。実際、帰国の模様を
中継したNHKの番組は、視聴率40%超えを記録したが、「小野田さんブーム」はこれに止まらなかった。
小野田さんと親交のあった関係者はこう振り返る。
「寛郎さんに対して、“選挙に出ないか”とか“ウチの役員に”とか、利用しようとする人たちも多くいました。
結婚話も山のようにあって、親族の家にまで結婚を求める手紙や電話が多く来たので、電話番号を変えたほど。
家にまで押しかけ“娘を貰ってくれ!”と言う父親もいましたよ」
報道各社のスクープ合戦も熾烈を極め、中でも彼の「独占手記」を得るために、水面下では露骨に札ビラが舞っていたというのだ。
「朝日はアカだから」
「朝日新聞は1億出すと言ったそうですが、小野田さんは3500万円しか示さない講談社を選んだのです」
とは、小野田さんが帰国した年に初めて出版した著書『わがルバン島の30年戦争』の構成を務めた津田信氏の次男・山田幸伯氏だ。
「理由は小野田さんが『朝日はアカだから』と言って、毛嫌いしたためと聞きました。現地では捜索隊が日本の様子を
伝えようと新聞を残していきましたが、彼はそこから終戦を知ると同時に、各紙の論調を把握するほど熱心に、
事細かく読み込んでいたのだと思います」
戦時中、率先して戦意高揚に筆を揮った大新聞の変節を、帰国直後の小野田さんは見抜いていたのである。
また山田氏は、彼のこんな一面を目の当たりにしたと続ける。
「私の父は、手記を書くために伊豆で小野田さんと2カ月間、共同生活を送りました。まだ大学生だった私も
何度かお会いしましたが、滞在した家の池には鯉を食べようと鷺がやってくるんです。小野田さんはその様子を
どうしても写真に撮りたいと、一日中ずっとカメラを構えていました。非常に意固地で、決めたことはやり通す人だと思いました」
5年前、91歳で往生を遂げた小野田さん。晩年まで慰安婦問題に抗議する活動を熱心に行っていたという。
小野田寛郎氏
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190623-00567361-shincho-000-view.jpg
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1561239024/
1が建った時刻:2019/06/23(日) 06:30:24.20 この人、フィリピン人殺しまくって、報復が怖くて山中に逃げてただけの人でしょ。 ユーチューブで見ると小野田さんの慰安婦説明は解りやすい 本当はもう1人部下も一緒に戦ってたんだよね?
帰国直前に亡くなったとか。
グアムで見つかった恥ずかしながらの人よりは晩節を汚さないだけまし。 戦後に変節したんでなくて戦前からアカが右翼のふりして戦争煽ってたのを知ってたってことなだけじゃないの? >>5
そういう命令だったからな
なお、命令をした上官は長らく忘れて放置していた模様
大学生が研究で本音を聞き出し、元上官を連れてきて命令解除させて終了 >>14
日本を戦争に巻き込むのが、当時のインターナショナルの方針だから、戦争を煽った。 >>14
当時の大日本帝国及びその臣民はアカだったんだな ☆あちこちにコピペしてる堀拓也本人です☆いつもありがとう!!!
僕の名前は男性のアソコが大好き1989年5月23日生まれの治験プロの堀拓也30歳本人だお!
裏技使って連続で治験に参加して治験無申告だからまるまる手取り年収400万だお!主にピーワンクリニックの施設に参加してるお!
仲間が欲しくていつもあちこちにコピペしてゴメンねゴメンね
☆詳しくは堀拓也スペシャルで検索☆
https://i.imgur.com/x5vRhBl.jpg
↑
僕の顔写真だお! 日本国内で生活してるとなかなか気づかないんだよね
なんで日本人はこんなに、にぶくなっちゃったんだろ?
日本自体がアカくなってしまったせい? 終戦知ってて戦争ごっこしてただけの人
横井庄一の方が人間味があって好感持てる ただし、アメリカ軍司令官や兵士の殺傷に関して、アメリカ側にはそのような出来事は記録されておらず、実際に殺傷したのは武器を持たない現地住民が大半であった[6][要ページ番号]。このことは後に日本とフィリピン政府との間で補償問題へと発展した[7]。 >>朝日はアカだから
か、良い言葉だな
心に刻んでおくわ >>24
まず、知らされていない。
真実を語る人、伝承する人が少なくなった。
平和で豊かな暮らしの中にいれば考えなくなる。
メディアと新聞が嘘ばっかり流す。 >>26
戦争ごっこというか、終戦になっても潜伏しろと命令を受けていたからな
家族も匙を投げる中、当時大学生が粘り強く接触を図り、何年かして「上官の解除命令があれば帰る」という言質を取り、元上官を連れてきて終了した フィリピンに対する戦後賠償自体は1956年の日比賠償協定によって解決済みとされていたが、小野田によ
るフィリピン民間人殺傷と略奪のほとんどは終戦以降に発生したものであり、反日世論が高まることへの懸
念から、日本政府はフィリピン側に対し「見舞金」という形で3億円を拠出する方針を決定した[7]。 >>32
終戦後も現地の警察官と戦闘して死傷者を出した 小野田寛郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E
同年12月、フィリピン防衛戦を担当する第14方面軍情報部付となり、残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣。
当地では第14方面軍隷下の第8師団参謀部付(配属)となっており、その師団長横山静雄陸軍中将から
「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。
いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けている[4]。
派遣にあたり、高級司令部が持っている情報は全て教えられ、日本が占領された後も連合国軍と戦い続けるとの計画であった。
1974年に、一連の捜索活動に触発された鈴木紀夫がルバング島を訪れ、2月20日にジャングルで孤独にさいなまれていた小野田との接触に成功する。
鈴木は日本が敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国をうながし、小野田も直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承する。
この際、鈴木は小野田の写真を撮影した。3月9日に、かつての上官である谷口義美元陸軍少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将(14HA司令官)名の「尚武集団作戦命令」と、
口達による「参謀部別班命令(下記)」で任務解除・帰国命令が下る。
小野田はフィリピン軍基地に着くと、フィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示した。
この時、小野田は処刑される覚悟だったと言われる。
フィリピン軍司令官は一旦受け取った軍刀をそのまま小野田に返した。
司令官は小野田を「軍隊における忠誠の見本」と評した。
Q)キムチ臭いのが小野田少尉を「犯罪者だニダ!」なんてわめいているけど
A)帝国陸軍小野田少尉は軍事行動をとっていたので、言うまでもなく犯罪ではありません。
Q)「終戦を知っていたニダ!」とも言っているけど
A)戦時には情報戦といって虚実混ぜた宣伝工作を行うもの。
その疑いがあれば、「遊撃戦を実施せよ」という任務を続行するのは当然です。
Q)「遊撃戦」?
A)潜伏して敵の後方活動を妨害することです。小野田少尉だけではなく
帝国陸軍では多くの要員を育成しており北ベトナムの勝利などに貢献しています。
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★ベトコンを養成しゲリラ戦術を教授した旧日本軍★
旧日本軍は太平洋戦争末期来るべき本土決戦にそなえゲリラ戦を研究していた
その秘密戦、遊撃戦のスペシャリストが第55 師団陸軍小佐石井卓雄だッた。
彼は戦後旧日本軍から義勇軍組織しベトナムで独立戦争に参加した。
またベトナム士官養成学校の教官には旧日本兵が多くなっており石井卓雄も教官を
努めゲリラ戦術をあますところなく教え込んでいた、ベトコンの戦い方は
当時の指導されたものだと言われている。第一次インドシナ戦争[ 独立戦争] に
参加した残留日本兵による第308小団は当時精強部隊と言われている。
1990 年代ベトナム政府は帰還した旧日本兵に勲章を与えている 朝日新聞本社などの大量保有の土地は、戦時中に戦争をあおりにあおって、ボロ儲けした金で購入した「死の資産」。
今は新聞が売れずに、不動産で高給を得ている。大量の日本人を戦死させて得た利益を、現代の新入社員までも財布に入れて、飯を食ったり車を買ったりしている。朝日保有のビルは「死体の上に」建っている。
これ以上ない恥ずかしい「死の金」で生活しているのが朝日新聞の社員である。
ゲッベルス同様のプロパガンダを主導した組織は、戦後、解体、接収すべきだった。財閥よりも新聞社の方が遥かに人を殺した。学徒出陣までさせたのは実質新聞社だ。
戦争責任があると感じるなら、不動産は今すぐ売ってどこかへ募金し、純粋に新聞や出版からの利益だけで再出発すべきだ。
大量殺人で得た不動産から給与を得るなど、新入社員は牛丼さえ気持ち悪くて食えないはずだ。 小野田さんを説得した大学生の鈴木さんはその後、雪男を探しに行って、
行方不明になってるんだよ。豆ね 終戦後29年も日本の敗戦を知らないわけないと思ってたが、やはりそうだったんだな。
その29年間に何があったか不明だが、戦争の犠牲者で話は終わった。 6月は、1942年のミッドウェー大惨敗、1944年のマリアナ沖大惨敗
1945年の沖縄大惨敗と
みっともない、大惨敗ばかり繰り返したから、ほんとに旧日本軍のみじめさを思い知る月だな
ほんとに旧日本軍にはボンクラ、無能しかいないかったんだな、小野田おまえもその一人だ
1942年6月ミッドウェー 日本、正規空母4隻沈没、雨 正規空母1隻沈没
日本は、太平洋での航空機作戦を行うことがほぼ不可能に
1944年6月 マリアナ沖
日本、正規、軽空母 7隻沈没、雨 軽空母 1隻沈没
雨に対して軽微な抵抗をすることも不可能に、人命を無視した作戦ばかりをするようになる
1945年6月 沖縄
旧軍は沖縄住人全員に雨に抵抗するように強要し、歯向かえば殺害した
沖縄住人10万人が犠牲となった
小野田も責任をとれ、上層部よりは罪は軽いが >>1
そこまで知ってたのならもっと早く出て来いよ
部下2人を殺すまで留まって、一人になったらさっさと出てくるとかどんだけ身勝手なんだよ
>米軍基地や現地住民への遊撃戦を仕掛けていた。
住民を殺したのは食料や物を奪うためだろうが
嘘も言えるのか
どこが立派な軍人だw
屑だろうがwww >>38
後で読み返したら大学中退の冒険家だったわ
でも小野田さんを発見したときは23-4歳なので殆ど変わらないね
「パンダ・小野田さん・雪男」に会うのが夢で、最後に残った雪男に会うためにヒマラヤを捜索し、死亡 アカが書き、ヤクザが買って、バカが読む
で、そのバカを釣りたい反社が広告を出す コミンテルンの指令通りに「弱腰東條!鬼畜米英!」と必死に対米開戦を煽っていたのが朝日新聞
こいつらが今も存在するのはおかしいんだよ
皆殺しにされても当然の戦犯だ >>46
命令だからと盲目的に従う軍人は好きではないが、終戦後も潜伏して工作しろという命令だったから
撤収命令に29年も掛けた政府の責任 陸軍内部での派閥抗争では
統制派は皇道派を「神懸かり」と罵倒し
皇道派は統制派を「アカ」と罵倒していた >>43
元々の命令が終戦後も潜伏して工作しろというもの
29年も経ってようやく解除命令が下り、武装解除して帰国した >著書『わがルバン島の30年戦争』
この本って面白いの?いまでも読める? >>54
ドイツ国民を騙したナチスは処刑されただろ
日本人を騙した朝日新聞の戦犯社員も当然全員処刑されるべきだ >>51
命令を受けて潜伏していた工作員だよ
なお、命令した上官も忘れていた模様 >>60
ごめんなさい言い直します
工作員のくせに >>62
まあ、頑固で意固地な工作員ではあるな
そういう人だからこそ受けた命令なのかも知れないけど
29年も掛けずに早く解除命令を出してやれとしか思えない 敵性語の排斥を執拗に繰り返したのが朝日
軍は諜報や謀略も含めて敵性語を軽視することはしなかった
アウト、ボール、ストライク・・・みんな朝日が強硬に排除にかかったんだよ
軍賛美も臭い美麗字句で書きなぐった
そして敗戦
記者の内で心ある人は社を去っている。残って手のひら返しのアカ礼賛を始めたのは
全く恥知らずの厚顔の連中と在だったという
今、良識のある日本国民からNOを突きつけられている朝日の実情 29年も経って、解除命令出してないコトに気が付いた時の心境…www。 >>59
マスコミの責任がないと言うつもりは全くないが当時は少しでも反戦的、厭戦的な主張を公然としようもんならマスコミだろうが言論人だろうがそこらの一般人だろうが民衆に猛批判された時代
責任があるとすればそんな空気感にあろうことか迎合してしまったことだろうな 本当の小野田さん
15歳の時に親が嫌いで家を飛び出て商社に就職
十代の時に散々遊び回ったから次は国の為に働くと軍隊に入る
帰国時は帝国軍人を演じていた >>68
民衆ももちろんだが、新聞が政府の統制下にあったことも >>65
雪男を探しに行ってね
パンダ、小野田さん、雪男に会うことを生涯の目標とし、本当に小野田さんを見つけて帰国に多大な貢献をした人
最後に雪男にも会えたのかも知れない えー
朝日はアカだったのかよ?
はじめて知ったわ。
恐ろしいなあ。 >>71
だね
そしてそんな体制を多くの民衆は支持した 小野田少尉は「陸軍中野学校」の情報将校だから。
朝日新聞が、ソ連のスパイ「ゾルゲ」と協力してスパイ活動をしていた事や
尾崎秀実記者がスパイ罪で逮捕され処刑された事も知っていた。
戦争中に変節して「欲しがりません、勝つまでは」の標語を作り、日本が
ポツダム宣言を受諾する事を察知した際には、天声人語で「1億玉砕火の玉だ」と
本土決戦を煽った。太平洋戦争も煽った「弱腰東條、弱腰軍部」と書いて
米国への宣戦布告を煽った。
戦後、一貫して「知らんぷりぷり」を決め込み、GHQに取り入り、今度は「東京裁判」
「A級戦犯」と喧伝。
GHQ支配下から解放され、日本が主権を回復すると「毛沢東を礼賛」「金日成を礼賛」
「北朝鮮は地上の楽園」と喧伝。ポルポトも「アジア的優しさ」と礼賛。
その後、本多勝一の南京大虐殺の捏造。植村隆の「慰安婦20万人」捏造。
主筆「若宮啓文」の竹島を韓国に差し上げろ記事。今も続く「国賊新聞」w 小野田さんのこと調べていくうちに、朝日新聞の記者さんが何度も小野田さんへ投降を呼びかけるのに奔走したってありました。
でも完全無視されたらしいですね 泥棒だけで20年以上生き伸びたんだからすごい
銃があっても弾薬の補給はどうしたんだろう そんな小野田さんも日本が愛国者という名の守銭奴に支配されてるとは知らなかった
そしてブラジルに渡った 何が聖断だwww。何が終戦だwww。何が変節だwww。
自分の頭の上に原爆が落ちてきそうになったら、自分だけさっさと降伏したくせにwww
俺はそもそも日本が嫌いだし、日本は俺の敵。
逆にだからこそ言えるが、テンノー及びその取り巻きこそクズだろwww。
1億玉砕してくれていれば今頃地球がきれいだったのになwww 昔この人の子供向け読本は読んだ
ジャングルでのサバイバル生活の話が主で
詳細な挿絵もあって
単にサバイバル物として読んでたので
すごくワクワクの愛読書だった
海底二万マイル、シートン動物記系が好きな子供だったからな >>78
朝日新聞の記者ならスパイに決まってるじゃないかw! 情報将校つかまえてこいつよく分かってるみたいな記事よく書けるな。
ブン屋の品性もなければ知性もない気持ち悪さよ。 >>69
優秀な人だけどサイコパス的な性格だったみたいだね。
それがさらに軍隊で磨かれて戦後なのに30人も現地人殺したり傷つけるモンスターになった。 >>53
その命令は敗戦で軍が解体されたから無効になってる
それを知りなら留まったのはもはや個人的理由でしかない
とどまるのは勝手だが2人の部下のも残留を強制したのは間違いで開放して返さないといけない
死ぬまで留めたのは間違いだし、死んだら自分だけノコノコと出てきたのはもっと間違い
政府に責任はない、命令した上官とそれに意固地になって従った小野田寛郎という下の下の屑の責任 自分の半生をかけて戦った相手に媚びへつらっている日本人を見て小野田さんは日本を棄てたんだよ ネットが発達して北からやっと小野田さんのことが理解できてきた。
子供の頃は英雄だと思ってたが、ネットで 小野田 サイコパス で調べたらいくらでも知らなかった事実がどんどん出てきたわ。
今の俺は英雄とは思ってない。 アサヒなんかで出版したらどれだけ嘘盛られるかわからんもんね
アカというより出版人として人として信頼出来ない奴らの集合体 >>89
戦前のエリートや知識人は殆どアカじゃネーの? >>81 追記
俺は米国の99%の一人になりたい。俺はアフリカ系米国人になりたい。 同じように頑張ってたけど人知れず死んでしまった人もいるんだろうなあ 庄一つぁんは隠れて自給自足してたけど
この人食糧確保のためにひどいことを 勇敢な奴はみんな死んだ
残ったのは卑怯未練な保身野郎と守銭奴
その連中が敵国アメリカとつるんで右だ保守だ愛国者だデタラメほざいてるのを見て心底絶望したんだと思うよ 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - Y!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20140124-00031918/
なんかこんな記事みつけた 朝日新聞の尾崎秀実が暗躍してた事は周知の事実だからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています