https://www.afpbb.com/articles/-/3223855

この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
2019年5月9日 12:43 
発信地:バグズ近郊/シリア [ シリア 中東・北アフリカ ]

【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。

 そして今、ある一つの国が崩壊した。

 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。

 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって掌握し、「カリフ制国家」を宣言し、短期間のうちに世界中から多くの戦闘員を集めて一帯を席巻した。全盛期には、英国と同じくらいの広さと数百万の人々を支配下に置いた。

 今、その残党が砂漠に並んで座らされている。その横のキャンプには、全身黒ずくめの妻や子どもたち、そして彼らの最後の拠点となったシリア東部の村、バグズ(Baghouz)で保護された民間人らが身を寄せている。

 この「結末」を取材しながら、私の心には数々の思いがよぎった。シリアの民衆蜂起を取材するようになったのは、それが始まってから1年後だ。だから私はこの出来事に、ほぼ最初から立ち会ってきたことになる。

 数々の記憶、感情、そして悲惨さを目の当たりにした。そして非常に多くのことを学んだ。

 私が最初に取材したのは、2012年2月。シリア北西部イドリブ(Idlib)県の県都イドリブ市で起きた民衆蜂起だった。紛争地域の取材はこれが初めてだった。その1年前に首都ダマスカスで始まった平和的な抗議デモは、治安部隊によって容赦なく鎮圧され、結果的に反体制派組織「自由シリア軍(FSA)」の創設につながった。シリア全域で反体制派がゲリラ攻撃を行い、政権軍は至る所で彼らに降伏した。私がイドリブに到着したころには、同県の一部と同市の大半は、反体制派が掌握していた。政権軍の狙撃兵らが時々市内を攻撃したが、大規模な軍事作戦はなかった。

 抗議デモの始まりは、他の多くのデモと変わらなかった。人々が街の中心部に集まり、民主化運動「アラブの春(Arab Spring)」による革命が起きたエジプトやリビアの大きな旗が掲げられていた。民衆はスローガンを叫んでいた。
(リンク先に続きあり)

クルド人主体の部隊によるIS掃討後のラッカの町。建物が激しく損傷している(2017年10月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
https://www.afpbb.com/mwimgs/7/f/640/img_7f601edcd3867300882176eb522fa0e9563165.jpg