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河川氾濫、真備であの日何が 8時間に8カ所で連鎖決壊
西日本豪雨 有料記事
千種辰弥、編集委員・瀬川茂子 鈴木智之
2019年7月6日10時0分

 14府県で200人以上が亡くなった西日本豪雨から1年。大規模浸水で51人が死亡した岡山県倉敷市真備(まび)町地区では、堤防8カ所が連鎖的に決壊した。最初の氾濫(はんらん)から8時間後に浸水が深くなった地域でも13人が亡くなった。専門家は「避難情報だけでなく被害情報も伝える仕組みが必要」と指摘している。

 高梁(たかはし)川と支流の小田川に挟まれた低地に雨が降り続く。昨年7月6日午後10時40分、岡山地方気象台は大雨特別警報を発表した。しかし岡山県のアンケートではこの時、住民の半数以上は被害を予想しなかった。

 真備町地区全体で8カ所が破堤し、1200ヘクタールが最大約5・4メートル浸水。主因は「バックウォーター現象」だった。本流の高梁川が増水し、流れ込みを阻まれた小田川、さらに小田川支流の水が行き場を失った。
 国の高梁川水系小田川堤防調査委員会や岡山大のシミュレーションで、浸水状況が詳しく判明した。

 6日午後11時ごろ、小田川支流の末政川が有井橋付近で氾濫。日付が変わるころ、小田川支流の高馬川の西側堤防も崩れた。末政川は有井橋の上流も両岸からあふれ、浸食された西側堤防が決壊した。

 堤防は片側が切れると水位が下がり、対岸は切れにくくなるはずが、ドミノ倒しのように決壊が続いた。

 7日午前3時すぎ、小田川の北側堤防が決壊し、箭田(やた)地区に浸水が拡大。氾濫水は末政川の堤防を西から乗り越えて東にあふれ、午前7時前に末政川の東側堤防がさらに1カ所決壊し、濁流が川辺、辻田、岡田地区を襲った。

 浸水が時間差で起きた状況は、市消防局への当時の119番通報からも浮かぶ。発信時刻と地区が分かるのは約1千件。7日午前1時以降は箭田、続いて有井からの通報が増え、午前4〜8時にピークを迎えて減った。午前8時以降は川辺と辻田が増えた。通報は8日夕方まで続き、2350人以上が救助された。
■避難呼びかける中…
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