【歴史】“独ソ不可侵条約”のおかげでソ連は1941年ドイツの侵攻を許さず、日本の攻撃も逃れた…専門家の見解
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/images/644/90/6449006.jpg
1939年、独ソ不可侵条約が締結されていなければ、ソ連がナチス・ドイツに抗うチャンスはほぼなかった。元国防相で、現在、ロシア軍事史協会の会長を務めるセルゲイ・イヴァノフ氏はスプートニクからの取材にこうした見解を表した。
「第2次世界大戦前夜に欧州諸国で作られた戦線のなかで(ナチスドイツに抵抗できる)力のあるものは1つもなかった。全てが攻撃を受け、結局、破られるか、降伏していった。もしドイツが1939年9月16日のような攻撃をソ連西部の国境で準備していたとすれば、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の死守など到底あり得なかっただろうし、ミンスクやキエフはそれよりずっと前に陥落していたはずだ。」
だがイヴァノフ氏が最も重要だと考えているのは、条約がなければ、国防産業を疎開させるチャンスはずっと少なかっただろうという点だ。
「仮にこれで1941年は持ちこたえることができたとしても、1942年にはソ連には事実上、戦う術は残されていなかったはずだ。」
「1941年夏、(秘密裡に結ばれた独ソ不可侵条約によって)ドイツに一時的に領土の一部への侵入を許しながら、その裏でソ連司令部は何十もの師団の動員、装備に間に合ったため、結果的に戦線での戦況を安定させて、モスクワへの侵攻を阻止することができた。」
「独ソ不可侵条約が結ばれていなかったら、1941年、ドイツ軍はベラルーシ西部、ウクライナを数百キロも進軍する必要はなかったはずだ。」
イヴァノフ氏は、この独ソ不可侵条約のおかげで日本のソ連に対する宣戦を防ぐことができたと考えている。日本はドイツが日本の見解を考慮せずにこの条約の締結を決めたことに「ショック」を受けていたというのが、その理由だ。
「ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、日本がノモンハン事件でソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、ソ連との間に不可侵条約を結んだ。この結果、日本政府は(編集部注:関東軍内での)更迭を余儀なくされたのだ。自分の同盟国の結んだ条約のせいで!私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。」
こうして日本は軍事産業および海軍力の構造改造に着手し、ソ連との国境から踵を返し、まもなく東南アジアの領土獲得に乗り出していく。
1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻し、この瞬間、1939年8月23日にモスクワで締結されていた独ソ不可侵条約は効力を失った。
ドイツとソ連は互いに暴力的行為、攻撃を慎み、論争や紛争を平和的に解決することを約束した。
この条約と同時に補足する秘密議定書が結ばれていた。これにはソ連とドイツの間で境界線をどう分けるかが記されていた。
議定書ではラトビア、リトアニア、エストニア、ベラルーシ西部、ウクライナ西部、ベッサラビアがソ連の影響下に入ることになり、これにより、ソ連と欧州を隔てる境界線は著しく西進した。
独ソ不可侵条約およびこれと同時に秘密議定書によってドイツの手は解かれた形となった。1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、その西部地域を最短時間でいとも簡単に占領。そして9月17日にはソ連軍がポーランド領の一部であったウクライナとベラルーシの西部に進軍した。
2019年07月08日 21:30
https://jp.sputniknews.com/opinion/201907086448948/ スターリングラードでの大敗北が日米開戦の前なら日本は開戦せずに我慢したのかな? >>176
そうなりそうだから
国境紛争のダマンスキー島
手打ち式したんだぜ
あいつら強いやつとは約束守る >>179
春に巻き返します(キリッ
に踊らされて結局奇襲攻撃w あとになって考えると第二次大戦は戦略的視点でめちゃくちゃだよな
日独同盟はどうみてもソ連挟撃のためにあるようなものなのに不可侵条約やら中立条約でなんのための同盟かわからなくなった
アメリカはアメリカで共産国家のソ連、中共を助けて後の冷戦の敵を生き延びさせるしなにがなんだかw どの道ドイツが東に向かうことは決まってたけどイギリス戦をきっちりやり終えてから東進すべきだった
バトルブリテンで失った航空機も結果的には補充可能だったわけだし上陸して東進が遅れてもイギリスさえ占領できてればその後の展開は変わったはずマリーンエンジン手に入ってたら勝ってたかもねw >>183
ナポレオンもおんなじこと
やったけどなー 太平洋はね、大事ですよ。
20世紀は太平洋の時代だと言われてた。
その太平洋を軍事で支配していたのは日本だった。
アメリカはパナマ運河ができるまで東西に二分されてたからね。
当時の日本の海軍力は太平洋一。
ロンドン軍縮がまずかったという意見もあるね。
どっちにしろ、太平洋をアメリカが支配するには日本をたたく必要があった。
アメリカ大陸が発見されたときも不毛の土地として喜ばれなかった。
当時はアジア、金のなる木であるアジアにみんな行きたかったわけだ。
オランダ、スペイン、イギリス、ドイツ、アメリカ、みんなアジアに来ただろ?
富があったからだ。インド、中国は太った豚。
太平洋が最大の富だったんだよ。
じゃまなのは日本だった。 >>183
制海権を獲れる見込みがない、それどころか制空権も取れなかったから無理だろう。
何十年もかけて戦力を蓄えるしかなさそうだな。 >>179
スターリングラードは大きな損失だったけど、あの時点じゃまだベラルーシとウクライナをまるまる占領してたからまだ形勢が逆転したとは言えない
その後の43年夏のクルスクが潮目で、あそこで西側に飛び出した突出部を潰せなかったことでドイツ軍の退潮が止まらなくなった ナポレオンもドイツもロシアでは負けた。
実は両方とも戦争で負けたのはわずかで、大半は風土病と寒さにやられたのだという。
ロシア軍はロシアの外で戦うとあんまり強くないが、ロシアの地の利があると
とても強い。独仏はロシアの冬の寒さに慣れてない。 >>188
あと、祖国防衛というのがでかい
負けたら親兄弟子供は皆虐殺
女房や恋人は輪姦の上虐殺では
戦わざるを得ない >>179
南方に手を出し始めた時点で米国との間が最悪だし
時間の問題というか、選択肢がそもそもなかったと思うよ
ルーズベルトさんは特に有色人種に価値無しの困ったちゃんだし
おまけに最初から型に嵌める形で結託して締め上げ続けてるんだから
どう振る舞っても最終的には戦争状態にさせられてたんじゃない
当時油の調達手段が無いってのは交渉のカードや抗う力すら断たれるということだもんな >>179
ノモンハンからずーっと反省ポイントはあったのに、全力で無視して突き進んでるから
情勢なんて関係ねえ。やって滅びるのみw あの時代の日本は国民とマスゴミ含めてどうしょもないw >>186
制海権を獲るために策定した最低限の整備計画が未達で
整備計画の原資は詐欺手形で
詐欺手形の償還=詐欺がバレる期日が開戦した時期とか見込みなさ過ぎだよなあ >>1
> 「1941年夏、(秘密裡に結ばれた独ソ不可侵条約によって)ドイツに一時的に領土の一部への侵入を許しながら、
> 「独ソ不可侵条約が結ばれていなかったら、1941年、ドイツ軍はベラルーシ西部、ウクライナを数百キロも進軍する必要 はなかったはずだ。」
この辺の意味がよくわからん。 日本が北進せずに、南進したのにはいろいろな理由があると思うが、
ひとつは海軍が米英と戦いたがった。海軍はイギリスで教育を受けたが、
差別がひどかった。で、海軍軍人は米英と戦って、やつらの鼻を空かしたかった、
見返したかったらしい。海軍説。
もうひとつは、当時政府は北進、満州開拓を進めた。しかし、日本人の多くは
南方気質なので、寒い北には向かいたがらなかった。一方、民間会社や財界は南方に
向かいたがった。結果、後者の圧力が勝った。国民が南を志向した説。
他にもあるが、眠いのでこの辺にしておく。 大正時代に日本もシベリアへ7年も出兵して敗れたことを思い出そう >>191
ノモンハンの戦訓は
ソ連は強い
補給能力 機甲師団 砲兵火力も
向こうは強い
だから軍備近代化しないとヤバイ
でもそれには工業力の増強、鉄鋼生産量増強
技術革新 開発
とお金も時間も遠大に掛かるもの
ましてや極東ソ連軍の増強で
対米6割 対ソ2割までさがついてしまってたら
好機生かして電撃戦で短期講和しかみちがない >>194
2年で油がなくなるのに
(出撃しなくて訓練等で
油が取れず実り少ない北に進む意味がない >>194
不可侵条約で北進できなくなったのと、西方進出よりも南方の方が海が輸送路として使える分
リスクとリターンでともに勝るのと、駐屯する兵力や進出の容易さでも南になるかねえ
ただ、獲得地分だけ前線が拡がるし、インフラも港湾も防御施設もないから稼働までにえらい手間がかかるし
維持も大変 どこで足を止めて防衛するかぐらいの計画は予め決めてほしいもんだ >>8
レンドリース法で検索
アメリカ参戦しなくても枢軸国の負けは揺るがない >>198
トラック島防備のために
ラバウル占領 その防備のため
南部ソロモン諸島までと主張したのが海軍
補給できない北部ソロモン諸島までと
強硬に主張したのが陸軍
で妥協案が中部ソロモン諸島
ガダルカナル ヒトラーはたしかに、ドイツと日本でソ連をはさみうち、ユーラシア大陸の西と東から
進軍して、ユーラシア全体を二国で支配することを夢見ていたらしい。
ナポレオンもたしかそんな雄大な計画をもっていたんだよな。
それがなぜ実現しなかったかはよくわからない。
もともと荒唐無稽だったのか。
アメリカもバカじゃないから、そう手をこまねいて見てはいないだろう。
20年も経てば、満州の工業化が完成して、日本は巨大な生産力をもつことに
なったろうから、それまでにたたきたかったわけだ。
しかし真珠湾は見事な作戦だったね。
結局あの戦術が今も続いているわけだからね。
第一次大戦の塹壕戦も、実は日露戦争でのそれがモデルだという。
日本はけっこう戦術では革新的だったんだよね。
日本海決戦も、正確な砲撃での艦隊戦はあれがはじめてだったわけだし。
砲弾計算ができる兵士は西欧と日本にしかいなかった。
それまでは海賊のように体当たりがふつう。 >>100
こいつら南北朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれているからな。
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンストを被ったような朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は、
朝鮮人がいつもやっている汚い手口だからな。
韓流アピールしてる人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレているから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやっている。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
https://s.webry.info/sp/14819219.at.webry.info/201201/article_8.html
. >>179
1年も後の話だから、意味のない仮定だね
>>194
南部仏印進駐は松岡ですら反対してたのに何言ってんだこいつ >>197
日米戦を大前提にしている時点で、
お前は反米左翼丸出し、議論が破綻してるんだよ┐(゚〜゚)┌ ドイツの戦争準備を過大評価してると思う
1939年時点でのドイツの戦争準備はかなりヤバイ状態だった
弾薬の生産能力と集積が不足の状態だし、戦車も不足
そんな状態でフランスとロシアを同時に相手にするなんて不可能だ
逆に日ソ中立条約がモスクワを救った面の方が大きいだろう
モスクワが陥落した所でソ連が降伏することは無いにしても
極東ソ連軍をモスクワ正面に投入出来たことは大きかった 降伏したフランスの植民地
なんて当事者能力ないんだから
切り取るんなら今
位の強硬論
武田滅んだあとの甲斐、信濃とらないでどうする位の勢い 怖ろしい話で、独ソ不可侵条約の締結した範囲が、現代ロシアの東欧圧迫とほぼ被るのはどうなんだい
プーチンにしたら日本の北方領土と同じような感覚なんだろうな
いずれプーチンが分捕るんだろうな 石原莞爾によると、南方での最大の失敗は用兵だという。
徴兵した陸軍の兵士を、たくさんある島に二千、三千の単位で送りこんで、
守備に当たらせた。これはだめなんだそうである。
徴兵された兵士というのはプロではないので、数万の単位で動かさないと
使えない。二千では孤立して何もできない。
そういうのには、海兵隊のようなプロの兵士を使わないと駄目なのだそうである。
日本にも海兵隊はいないわけではなかったが、数が少なかった。 仏領進駐のときに、フランスはドイツに敗北してたというのに気づいてない人
多いよね。 >>55
連合は離脱する自由がある。
国同士の条約を破るのとは違うわな。 北進論にしても南進論にしても
結局はドイツが独ソ戦で勝利する前提でないと、お先真っ暗だったのは事実
北進してソ連をドイツと共同で倒して、ドイツから石油を得るか
南進して自力で石油を調達するか?
前者は、日本の石油が尽きるまでにソ連が倒れないと日本は崩壊する
後者は、歴史通りのリスク
後者でもドイツがソ連を屈服させないと
日本は対英米戦で単独で勝てる見込みは無かったから、ドイツ頼みにならざる得ない
もし、タイフーン作戦が成功したとしても、ソ連はモスクワを放棄して
更に後方に下がって戦いを継続するだろうし、工業力も英米の援助も十分に得られる状態だったので
遅かれ早かれドイツは敗退したと思う 日本軍は、ノモンハンを本格的な戦争とは考えてないから敗北
気が付いたら10倍の敵が攻め込んでいたみたいな状態
敗北というわりにソ連軍の損害が日本よりでかいところが味噌
武器がしょぼいのに、ジューコフもドイツ軍よりすごかったというほどの日本軍
スターリンも絶対勝てると見込んだ敗戦寸前までとぼけきったわけだが 日本ではあまり知られてないけど、イギリス王室というのはドイツ系なんです。
だから、当然戦争中も親ナチスだった。ヒトラーは王室を足がかりに講話が
できると思っていたらしい。また親独派のイギリス人も意外と多かった。
しかし、一番の頼りの皇太子かなんかが恋愛問題で、王位を放棄して
しまったので、とっかかりがなくなった。
もし、その人が王位を放棄しなかったら、世界の歴史は変っていたかもしれない。 >>209
石原莞爾は、どうしても開戦が避けられないなら北進を選ぶべき、
南方作戦に関しては、日本軍の作戦範囲はニューギニア島西部までとし、
同島東部やソロモン諸島方面には進出せず、
海軍はシーレーン防衛に徹する、というものだったと思う。 独ソ戦になぜ負けたのかというのは、個別の戦術論になるから詳しくないけど、
時期なんですよ。戦えるのは冬までなんで、冬が来るまでに落とせていたら、
勝ちだし、それができないと負け。ナポレオンも同じ展開です。 ノモンハンも後に知られるように善戦していて現場将兵は勝てる見込みが有ったから41年7月に関東軍特種演習で動員出来たんじゃ無いの?守りに適したソ連も独ソ日と挟撃で勝てたろ。何故か南方対米に目移り >>216
シーレーン防衛の海防艦もなければ
制空権もなく
アメリカの潜水艦は待ち受けるでどうしろと 石原は日中戦争ですら反対だったですからね。シナはでかすぎて取れないと。
でも、現地部隊は自信過剰になっていて、シナなど組みし易しとあなどる。
大本営の戦線不拡大の方針を伝えにいさめに行かされるんだけど、
現地の将校に、あんただって満州で勝手に軍を動かしたじゃないかと言われて
何も言い返せない。 >>220
言った武藤章も
太平洋?お前らバカか?と言ったら
お前が言うなと部下から突き上げを
という因果応報 >>221
ソロモン諸島の戦いで3000機喪失
空母の航空隊まで陸上基地に移して決戦だったので
終わったときには戦力枯渇 ドイツでも二方面戦は避けるという原則があったのです。だから、もしイギリスと
講話できていたら、ソ連戦も勝てた可能性がある。両面戦争になったのが敗因ですね。
あとイタリアが弱すぎて、アフリカに戦力を裂かなければいけなかった。 >>217
冬季装備はワルシャワに山積みで
前線に持っていけなかったとも
これだと補給と兵力の問題
攻勢の限界点ごえ >>222
そして、上司の東條英機にサイパン陥落後、日本は負けましたので講和しましょうと進言して、
フィリピン送り。そこで皇道派として冷や飯食わされてた山下奉文に、統制派はやり過ぎましたと謝り、
最期はA級戦犯で東條の巻き添え食って死刑に。 北進論を取ってソ連領に侵攻しても、彼らの工業の中心地は日本から遥かに遠い
中国以上の領土を日独とも持て余して、攻勢限界に達して疲弊すると思われる
占領地も、パルチザンが湧いて中国以上の抵抗を受けるだろうし
過大に大きな獲物を飲み込んだ蛇みたいになると思う でもまあ、イギリスを落とせなかった、講和できなかったのがまあ最大の敗戦理由
ですね。なんで落とせなかったのよくわかりませんけどね。圧倒的に勝ってたのに。 >>229
そもそも、長年対ソ戦を練ってた皇道派の小畑敏四郎や鈴木率道の対ソ戦プランは短期決戦だからね。
日本の国力から見て長期は無理と彼らは結論してた。 >>211
頭が悪いわ。契約が解除できることが、連合の離脱の要件。 独ソ戦のタイフーン作戦が成功したとしても
ドイツ軍は更に今まで侵攻した距離以上の進軍をしないと
疎開したソ連の工場群を叩けない
レンドリースの経路を断つのも容易ではない
北のアルハンゲリスク経由と南のイラン・カスピ海経由の遮断は不可能に近い
奥に進軍すればする程、兵站線はキツくなる
私は、モスクワ辺りがドイツ軍の攻勢限界点だったろうと思うので
独ソ戦でドイツが勝つというのは無理だったと思う
日本が参戦したとしても、日本はドイツより攻勢限界が早く来ると思う
工業力も独ソ戦並の本格的な陸戦をするには不足だったろうからね >>231
そして彼らですら
下手打つと国境付近の要塞突破に
時間か犠牲がでかい場合
ウラジオどうしようか、
ハバロフスク付近で会戦か
イルクーツクが限界点かと
決め手欠いてたわけで 1945年11月に南九州に上陸
オリンピック作戦
ここを占領して基地にする
兵力25万 戦艦24隻 空母42隻
作戦機1200
1946年3月 コロネット作戦
兵力72万を2分し相模湾と九十九里に上陸
東京を包囲殲滅
あわせてダウンフォール作戦
手も足も出ずに負けただろうな >>230
電撃戦あたりで、ヒトラーは時々不安になって、
侵攻を中断するので、イギリス陸軍は無事本国に撤退できた。
次にドイツ単発戦闘機にドロップタンクがないもんで、
ドーバー渡って戦闘して戻ってこれないという。
Bf110の双発戦闘機に期待したけど、ぼろ負けで制空権とれず、
上陸前に撤収ですな。
アフリカは、ロンメルだし、空軍と権力争いするしで、
米の支援を受けて増強しまくったイギリスに勝てずに、
アフリカ軍団降伏。 >>215
第一次大戦じゃジョージ5世は王家の名前をドイツ系のサクス・コバーグ・ゴータからウィンザーに変え、従兄のヴィルヘルム2世が皇帝のドイツ帝国とはガチで戦争してるけど
第二次大戦でも親独的だったウィンザー公(前エドワード8世)をバハマ総督という事実上の島流しにしてその影響力を排除してるが フランスってソッコーでドイツに落とされたのになんで戦勝国なんだ? >>240
フランス軍は弱かったけどレジスタンスが頑張ったから >>8
日本がソ連に参戦しなかったら無理。
アメリカのレンドリース品(主に兵站関連物資)の半分がウラジオストクからシベリア鉄道経由でバンバン送られていた。
日米開戦前はアメリカの商船、開戦後はソ連の商船が、大手を振って津軽海峡などを通過していたよ。 フランスはイギリスに助けられたのになんでドイツよりイギリスが嫌いなん? >>242
ドゴールがイギリスで亡命政府をつくり、自由フランス政府なるものがある。
そのため、フランス軍は枢軸国側にいたけど、自由フランス軍は連合国側
フランス軍はアメリカ軍ともちゃんと交戦してる。
アジアに駐屯してたフランス軍は日本軍と協力関係にあり、
遠すぎた橋、サルの惑星の原作者ピエール・ブールはアジアで自由フランス軍に参加
日本軍に捕まっている、その時の体験で猿の惑星を書いたといわれているが
実は、日本軍は捕虜にした後、フランス軍に引き渡していてこの人、日本軍の
捕虜収容所には入ってないんだよねw ヒトラーは、ソ連はスターリンの恐怖政治で国民が支配されているだけで、
戦争になればすぐに内部崩壊を始めると考えていたんだろ。
この予想が外れた時点で、ドイツに勝ち目はなかった。 >>246
実はドイツ軍人の作戦立案者たちは、ソ連軍と事を構えるな。
二面作戦は失敗すると警告してたんだけど、総統閣下は聞く耳持たずに
作戦を決行しようとした、その時、功を焦ってたイタリアがアフリカで孤立してた
イギリス軍に手を出した。地中海を挟んでるので、ほかっておいてよかったんだけどね。
負け戦が続いたムッソリーニがヒトラーに泣きつき、ロンメル率いるアフリカ軍団を派遣
そのため、バルバロッサの決行時期が遅れると不運続きだったんだよ。
国防軍、海軍は、ヒトラーのこと、伍長wごときが!とよく馬鹿にしている。
たまたま、初期に作戦がすべて成功したのが原因で、自分が天才だと思い込んだ結果。
結局、現場が与えられた目標をクリアしようとして奮闘してただけなんだよね。 レーニン「スターリンをトップにすえたらヤバい」
廬武鉉「文をとっぷにすえたらヤバい」 >>1
関東軍は赤軍って呼ばれるくらいに革新主義思想に染まってた連中だらけだったんだよ
実際に戦後、関東軍や満州人脈の多くが共産党や社会党に入党してる
自民に入った革新は官僚も岸信介を筆頭に、国家統制経済を行った連中ばっかり
要するに、資本主義国家同士(日本とアメリカ)を戦わせて、日本を壊滅させ、
壊滅した日本で敗戦革命による新たな共産国家を樹立する作戦だったんだよ
共産系人脈の内ゲバや、社会主義者との血みどろの対立で成功しなかったけどね
共産主義者や社会主義者は、イデオロギーという夢物語に熱を上げすぎて現実を認識できなくなり、
その結果、分裂し内ゲバ闘争始めて自滅してくという、妙な業病を抱えてる >>5
39年でもソ連落とすのは無理。
領土が広大過ぎるのと冬将軍で敗戦する。
イギリスとの2正面作戦で、更に危険。
日本軍も装備で圧倒的な優位に立ちながら、広大な領土の中国と8年間の泥沼の戦争だった。 後付けなら誰でも言えるんだよな。
当時を生きる人間、ましてや庶民が情勢を的確に把握して
対中戦争や対英米戦争は絶対に避けるべき、なんて判断は下せなかった。
いや、下してる人間はいても圧倒的多数の人の声に押しつぶされていた。
それは今の時代と全く同じ。 松岡がトンチキだったから貴重な時間を浪費したんだよね。
あと近衛さんがいまいちで肝心なとこで対処を誤ったし
最期は政治にサジをなげたw
マスコミや国民は一貫してまともな判断なんか下してない。 >>230
イギリスのレーダー開発。
これでドイツ空軍を遊撃できた。
ユダヤ人を迫害した時点で、ドイツの科学者はナチスに協力しなくなる。
表面上は協力する振りをするが、内心は反発する。
頭の良い人は、頭の悪いネトウヨとは逆の思想を持ってる。
日本軍が敗戦したのも、科学者が本心では協力しなかったからだ。
ノーベル賞受賞するような天才は、殆どがネトウヨ言うところの反日左翼。
本当はネトウヨが反日なんだけど。
科学者を敵に回す、右翼思想では戦争に勝てない。 >>45
当時、ドイツでイギリスより明らかに優位なのは潜水艦と戦闘機だけ
イギリスを屈服させるだけの戦力は無かった >>115
アメリカが膨大な数のトラックや機関車とか色々と送っていたからソ連は戦車、戦闘機とかの
第一線の兵器の生産に注力できたといえるな >>1
>私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。
ノモンハンで負けたことで比較的に簡単な南に切り替えたのと
ソ連との戦いじゃ海軍が予算取れないから艦隊が活躍できる戦場が欲しいだけ >>254
レーダーもあるが、ドイツ軍の暗号を解読して筒抜けにしたのも大きい >>244
ラグビーとかサッカーでもそうだし世界中の共通認識だけど
世界で一番嫌われてる国がイギリス・・・
正確にはイングランドだけどむしろイギリス大好きなんて国がどこにあるのかとw
覇権握って世界中で好き放題して現代まで禍根を残す地域紛争の
原因のほとんどがイギリスのせいだし
サッチャーとかいうクズはフォークランド紛争で時代錯誤な覇権主義とるし
ロシアのクリミアなんか笑えないレベルの無法者がイギリス ソ連が助かったのはアメリカ議会で武器貸与法が可決されたのが一番影響力があったんだがロシア人はそこを隠したがる
当時のソ連兵はスパム食べてたくらい武器だけでなく食糧も依存してた 、、、ロシアはメルケルに毒を持ったんじゃないか?タイミングが良杉 結局、この条約によりドイツの期待に反してソ連は軍備増強して、結果、ドイツはソ連に負けたのだがら、ドイツはアホなことをしたなあ >>28
最後はじりじり押されて日本が戦場になるのは間違いないぞ?
勝てたとしてもピュロスの勝利、最後はやっぱりソ連が得する 中国軍みたいな三流を相手にいつまで戦ってんだよ
と先進各国の軍人から日本陸軍が馬鹿にされてたのは
意外に知られていない >>8
アメリカ不参戦じゃダメ、むしろ枢軸国参戦してないと
ドイツがアメリカから石油、軍需物資あらゆるものを当時の倍くらい買って
英国を占領した暁には、英国の負債は全部ドイツが肩代わりする
植民地の割譲
もろもろやった上で、日本もソ連に石油を求めて南下しない、中国満州で満足、満州の石油は秘密裏に確保
とかまでやれてればあるいは?じゃねーの
とにかく英国に加担しないとアメリカ経済がやばいって状況を無くせないとな まあドイツに条約破られたら同盟国の日本は同じことされるわなw
Q)「独ソ不可侵条約がソ連をドイツから守った」って本当?
A)微妙なところです。この条約は10年間有効でしたが、1〜2年で反古にされていますし
独ソ戦でドイツの敗退は、補給軽視が主な原因です
−−−−−−−
『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") その1
■1941年6月独逸軍350万人はソ連領に侵攻を開始した。3軍に分け
北方軍はレニングラードを、中央軍はモスクワを、南方軍はウクライナを目指した。
それぞれ600マイル、700マイル、900マイル離れていた。
人数はナポレオンのモスクワ遠征の5倍。補給をどうするかが問題だった。
■300マイル進んだ所で弾薬燃料が不足して前進が難しくなった。
ヒトラーは自動車を活用しようとしたが、トラックの数が全く足りなかった。
鉄道は1本あればトラック1600台分の輸送能力があったが柔軟性にかけた。
100個師団以上あるうち自動車化されていたのはわずか16個師団で
他は徒歩で進撃した。歩兵師団は馬車を使って輸送した。
このためすぐに距離が開いてしまいこれを待つ必要があった。
■自動車輸送連隊はわずか3つしかなく約2万トンの輸送力しかなかった。
連合軍は47万の部隊に7万トンの輸送能力があったがこれでも足りなかった。
■ロシアは悪路で有名であり雨が降るとすぐに泥沼となり輸送ができなくなった。
ロシア軍の抵抗のため損耗率も数割に達した。
『補給戦』(中公文庫/ヘブライ大学教授クレフェルト"supplying war") その2
■ロシアの鉄道を活用する予定だったが規格が独逸と異なりあまり活用できなかった。
■食料は50%現地調達できたが、燃料なども規格がことなり使えなかった。
■レニングラード近くまでいった北方軍は補給困難で必要な弾薬量の数分の1しかなく
作戦開始を何度も延期した。このためレニングラード市は防衛を固めることができた。
8月8日に攻撃開始したが遅かった。
■モスクワを目指す中央軍は歩兵部隊が追随できず停止した。燃料消費は少なくなったが
弾薬使用量が激増した。
■11月になると冬がきて零下20度になり泥沼が凍土となった。はまった車両を
引き上げることができず、進むことも退くこともできなくなった。
■鉄道も停止した。独逸の汽車はパイプが外側にあり凍り付いて破損したためだ。
■結果饒舌につくしがたい物資不足が生じた。
■戦争の仕事の9割は兵站(補給)の問題と言われる。独逸軍の作戦はこの欠如のため失敗した。 >>265
あれは降伏決意してた国民党政府を相手とせずとか抜かした近衛が悪い
あいつホント何度も意味不明なことやらかしてくれたがこれが一番の意味不明さだわ
戦犯として裁かれりゃ助かったやついたのにさっさと自殺して逃げやがったし >>5
39年はノモンハンで日本とソビエトが戦っていた
その後ろから ドイツが襲えば チャンスは十分にあった
また零戦の配備が1年はやければ単独でも勝てた >>ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、
>>日本がノモンハン事件でソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、
>>ソ連との間に不可侵条約を結んだ
ドイツは、英仏とソ連による挟撃を恐れて外交していて近視眼的だね。 愚にもつかない急降下試験などはやめて
とっとと中国戦線に送り込むべきだった
ソビエト戦車など木っ端微塵に粉砕できる >>260
>ソ連が助かったのはアメリカ議会で武器貸与法が可決されたのが一番影響力があったんだがロシア人はそこを隠したがる
それだよな
開戦当初の大敗で戦車など大型装備の大半を失ったのだから
米英の軍事援助がなければドイツに太刀打ちできなかった
でもロシアがそこを隠してがる >>164
>マンシュタイン閣下も荘園貰ってんだよね
>今はポーランド領のはずだけどw
荘園貰ったのはグデーリアン
マンシュタインとの会話で出たネタなので
よく勘違いされるけど >>271
まだポーランド戦も始まってない時期じゃん
国境も接してないのにどうやって後ろから襲うんだよ だから自分らが日本との条約が守らなくてもいいのかね >>23
幼稚園は言うことが違うなwwwwwwwwwwwwwwwww
最初から英仏はドイツとソ連を戦わせて日和る
気だったんだよ。ルールなんか占領したらソ連に
ドイツが敵対できない。
また西側の圧力が無いとソ連が対抗できる保証もない。
スペイン内戦ではドイツ側が勝利しただろ。
我が闘争を読め。ヒトラーは共産主義やユダヤのみならず
異常なくらいスラブ人への敵愾心が強いのがわかる。
何回も出てくるからなそれが。
そして英仏には少女のように外交的なラブコールをしているんだよ。
この馬鹿は正直の上に馬鹿が100回つくほど我が闘争の通りに
戦争をしている。
つまりな英仏は最初から東部戦線に対して西部戦線が温くなるのは予想していた。
そしてその通りの戦争になったからスターリンは第二戦線の構築の遅れに
後々激怒する。英米は呑気にアフリカ経由でハイキングしてたからな。
えーとトーチとか言うハイキングだwwwwwwwwwwwwwwww
第一次大戦でもスペインは中立を維持していたがおそらくこれも予想していた
かもしれない。フランコもアリバイ的な戦争はするが本格的に参戦してドイツ
側にはつかなかった。事実上は中立しその政権は1975年まで存続する。
どこがファシズムとの戦争なんだかなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
スペイン内戦同様、ファシズムと共産主義を戦わせて弱体化するための戦争だよ。
そして冷戦に入る分けだろ。
お前は馬鹿だからゴーストライターが書いたノーベル賞文学作品、大戦記とか
言うボケ老人チャーチルの出した本の史観を鵜呑みにしている。
わかったか?糞馬鹿幼稚園???? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています