【歴史】“独ソ不可侵条約”のおかげでソ連は1941年ドイツの侵攻を許さず、日本の攻撃も逃れた…専門家の見解
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1939年、独ソ不可侵条約が締結されていなければ、ソ連がナチス・ドイツに抗うチャンスはほぼなかった。元国防相で、現在、ロシア軍事史協会の会長を務めるセルゲイ・イヴァノフ氏はスプートニクからの取材にこうした見解を表した。
「第2次世界大戦前夜に欧州諸国で作られた戦線のなかで(ナチスドイツに抵抗できる)力のあるものは1つもなかった。全てが攻撃を受け、結局、破られるか、降伏していった。もしドイツが1939年9月16日のような攻撃をソ連西部の国境で準備していたとすれば、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の死守など到底あり得なかっただろうし、ミンスクやキエフはそれよりずっと前に陥落していたはずだ。」
だがイヴァノフ氏が最も重要だと考えているのは、条約がなければ、国防産業を疎開させるチャンスはずっと少なかっただろうという点だ。
「仮にこれで1941年は持ちこたえることができたとしても、1942年にはソ連には事実上、戦う術は残されていなかったはずだ。」
「1941年夏、(秘密裡に結ばれた独ソ不可侵条約によって)ドイツに一時的に領土の一部への侵入を許しながら、その裏でソ連司令部は何十もの師団の動員、装備に間に合ったため、結果的に戦線での戦況を安定させて、モスクワへの侵攻を阻止することができた。」
「独ソ不可侵条約が結ばれていなかったら、1941年、ドイツ軍はベラルーシ西部、ウクライナを数百キロも進軍する必要はなかったはずだ。」
イヴァノフ氏は、この独ソ不可侵条約のおかげで日本のソ連に対する宣戦を防ぐことができたと考えている。日本はドイツが日本の見解を考慮せずにこの条約の締結を決めたことに「ショック」を受けていたというのが、その理由だ。
「ドイツは同盟国である日本の見解に関心を払わず、日本がノモンハン事件でソ連とモンゴルの軍を相手に戦っている最中に、ソ連との間に不可侵条約を結んだ。この結果、日本政府は(編集部注:関東軍内での)更迭を余儀なくされたのだ。自分の同盟国の結んだ条約のせいで!私は、ノモンハン事件の敗北と独ソ不可侵条約が日本に南方の戦いにおけるベクトルを変えさせたと考えている。」
こうして日本は軍事産業および海軍力の構造改造に着手し、ソ連との国境から踵を返し、まもなく東南アジアの領土獲得に乗り出していく。
1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻し、この瞬間、1939年8月23日にモスクワで締結されていた独ソ不可侵条約は効力を失った。
ドイツとソ連は互いに暴力的行為、攻撃を慎み、論争や紛争を平和的に解決することを約束した。
この条約と同時に補足する秘密議定書が結ばれていた。これにはソ連とドイツの間で境界線をどう分けるかが記されていた。
議定書ではラトビア、リトアニア、エストニア、ベラルーシ西部、ウクライナ西部、ベッサラビアがソ連の影響下に入ることになり、これにより、ソ連と欧州を隔てる境界線は著しく西進した。
独ソ不可侵条約およびこれと同時に秘密議定書によってドイツの手は解かれた形となった。1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、その西部地域を最短時間でいとも簡単に占領。そして9月17日にはソ連軍がポーランド領の一部であったウクライナとベラルーシの西部に進軍した。
2019年07月08日 21:30
https://jp.sputniknews.com/opinion/201907086448948/ >>376
まあ確かに>>354やそれを是としてるアホはゲーム脳と言われても仕方ないけどさ。 >>380
キミだよ
国が戦争を遂行するのに何が必要なのか考えてみて >>374
南京戦がそうだったよね
敵の首都を落としたら勝ちだと勢いだけで進軍、首都落としたら民間人を
便衣隊として処分、女は戦利品・・・
ちなみに南京での蛮行を世界に広く知らしめたのがナチのラーべって
なんだかなあ・・・
宮様司令官が統率できず松井司令官が戦後責めを負って処刑ってのも
なんだかなあ・・・ >>351
無理だよ。ソ連はエカテリンブルクに後方1500キロまで後退できる。 ソ連を巻き込んで、枢軸側が四カ国同盟結べてればなあ…
アメリカ参戦しても逆転無理だったと思う
不可能ではなかったと思うけど >>383
まあいくら退いても同じような堅さの防衛線を引けるわけではないが…
しかしモスクワだけ陥としてもソ連を崩壊に追い込むのは無理だな
重要拠点をいくつも奪ったうちの一つにモスクワが含まれていれば勿論ポイントは高いことにはなるけれども。 >>1の発言の背景には''WW2開始時点でソ連がナチスと組んでた''
という後ろめたいことがあるから
実際の分析とはまた別 ラーベはナチではない。一時代前の帝政時代のドイツ人、つまり植民地主義者だ。
17歳でドイツを出ているので、ナチスドイツもヒットラーも見たことなかったんじゃないか。
中国で党籍はもったかもしれんが。彼は中国を植民地化しようと30年もやったのに、
日本軍にあっさり追い出されたので、極東の黄色い猿を恨んでいた。
30年ぶりにドイツに帰った彼は、中共のプロパガンダ写真で反日活動をするが、
ナチスは親日だったので、逮捕されてブタ箱入り。
結局彼はまた中東かどっかに転出していった。ドイツでは生きられない体質に
なっていたのだな。 そういう非常に特殊な立場の人をもってきて、それがどんな人だったかを解説もせずに、
南京があったとかなかったとか言っているのが左翼詐欺師。 >>4
まるで今の日本人が外交音痴じゃないような物言いだな 結果はわからんが条約がなければ互いに侵入されないように準備はするだろう やはりアメリカの不参戦だけで枢軸が勝ったのは間違いない
何をもって勝利とするかでいえばソ連にとっての生命線であるウクライナを枢軸が
押さえて講和になればまぁ勝利と言っていいだろう。
アメリカの本格参戦がなければ人口、国力、戦力ともに枢軸国と連合国でほぼ互角になる >>294
そんな合理的な発想ではない。
ヒトラーは情感や直感で動くような人物。 >>289
ヨーロッパとアジアからの挟撃なんて
言っている時点で妄想。
普通は国の両方を言うのであって
大陸の両翼からの挟撃なんて発想は無い。
シベリア鉄道の距離は約1万キロだよ。 >>289
多くの歴史家はその場合は枢軸が勝っていたとみている
日独双方から打撃を受けていればソヴィエト国家はおそらく持ち堪えることができず
崩壊したであろう(ドミートリー・ボリーソヴィチ ハザーノフ) モスクワをドイツ軍に占領されたら連合国からの支援が打ち切れていた可能性が大きい。
ただでさえ共産主義の連中に支援するなだとか
負けて無駄になる等々アメリカ議会内で反対も強かった。
また、歴史的に独裁政権の崩壊の過程では
独裁者が支配のために築いた拠点から逃げ出すと急速に支配力を失うので
モスクワ陥落の時点で戦争は終わらないかもしれないが統一した戦争指導は全く無理になる スターリンは元中ソ大使だったハリスに言っている
「ドイツは失敗した。3つの方向へ軍を分散した。もしモスクワに集中していれば
陥落していただろう。我々は組織だった抵抗ができなくなり敗北していただろう」と
モスクワを失ってもソ連は戦い最終的に勝利したという人々が多いがスターリンは
信じていなかった。政治・経済の中心であり、交通の要衝、通信の中枢であったからだ
他に代替可能な都市はなかった。レニングラード(現サンクトペテルブルク)は
包囲下にあり元々は通信の中枢になりうる資質はあっても不可能だったのだ。
だからこそ極東から呼んだジューコフの15個師団全てをモスクワ防衛にあて
38kmまで迫ったドイツ軍を160km後退させたのだ。 >>396
>ヨーロッパとアジアからの挟撃なんて言っている時点で妄想
それ以上の妄想が
「独ソ不可侵条約」だったわけだが
世界中が共産ソ連とナチスが手を組んだ事に驚愕した
平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇なり」と言って瓦解したが
当時としてはまだドイツと日本がソ連を挟撃する事事態は
イデオロギー的に見てもかなりマトモな考えの部類だった >>370
そこで必ず講和できると言う楽観論は
戦前の日本軍と大差ない。
中国やソ連やベトナムの共産圏の戦い方を
見ていると消耗戦や持久戦や長期戦に強いのがわかる。
これは共産主義体制が夢の社会主義から生まれた体制ではなく
内戦に特化された体制として生まれたから。
強力な統制力と監視、独裁体制とプロパガンダ等の
方法論は内戦を勝ち抜くための優れた体制だから。
これを辛くも証明したのは英国のチャーチルである。
英国保守党が労働党に戦勝直後の選挙で負けたのは
労働党が主張していた体制がチャーチルの敷いた
体制そのものだったからと言われている。
20世紀の国民総力戦にもっとも向いていたのは共産主義体制とも言える。
軍の反抗や暴走にしてもドイツや日本では頻繁に起きていたがソ連では
一切ない。これは国内が完全に統制されていたから。
1910年代から1930年代までのソ連国内での内戦から権力闘争は共産党が
完全に近い統制力を維持する期間として十分であった。
戦争とは只管政治である。 >>400
それは大陸の両方から政治的圧力を
掛けると言う意味で東西から進軍するなんて
妄想ではない。 不可侵条約があったのは確かだけど、
本当に破る気も戦力も無いってのをゾルゲに調査結果出させた諜報力はすごい。 >>399
事実としてスターリンは今のエカテリンブルクを
工業都市化していて独ソ戦ではここに工場等を
退避させている。 >>397
日本軍は燃料が枯渇して早々に戦線離脱。
帝大の資源調査隊が奇跡的に満州油田を発見していれば粘ることもできたろうが、
その場合はソ連側から仕掛けて油田地帯まるごと占領するはずだ。 >>402
参謀本部に北進論の計画自体が存在したわけだから
「妄想」では無いんだよ
結果として南進論を選択したというだけの話で >>407
ドイツに無くても日本には確実にあった
もちろん「友邦ドイツに加勢する」のは単なる建前で
利権分捕りが本音だが >>395
いやいや『我が闘争』に書いてある構想ではないの? >>409
どんな形であれ反対方向から軍事的圧力をかけたら「挟撃」でしょ モロトフ-リッペントロップ協定以外に不可侵条約があったってか?
何でも言うな、ロシキは。 >>409
結果的に二正面からの攻撃を受ければそれは挟撃になる
可能性の程度問題であって当時の状況に照らせば起こり得るケース
何も宇宙からUFOが攻めてくるようなファンタジーを唱えてるわけじゃない >>410
ほー読んだのか?
で、どんな内容なの? 「こうすれば良かった」と言っているのが、
秋丸機関擁護論者の妄想です。
確かに枢軸軍が勝つ服案はありました。
しかし、それは1941年初頭にまで遡って
ドイツが対ソ開戦せず、日本が対米開戦しなかったら
という前提があって初めて成り立つ構想でした。
要はアフリカ・中東・インド西部を独伊が攻めて
東南アジア・東インドを日本が攻めて、
英帝国を屈伏させるという事です。
だから、12月8日では、遅すぎました。(^_^;) まともに中学の歴史もやってないような人に一から説明するのは無理だし、
迷惑ですよ。やってもまた同じようなバカが乱入してくるから。 まぁ対米開戦に関してはペリー来航以来の
必然かな。
「海を制する者は世界を制する」
ペリーの弟子の言葉だな。 >>371
原材料の輸入元も製品の販売先も海外に依存する3のシーパワーが1と2のシーパワーを敵に回し、
連携しようのない遠隔地のランドパワーと組むって時点で、戦略として成立してないのは明白だよな。
イタリアはシーパワーだけど、ジブラルタルとスエズを押さえられると地中海から出てこられないから
全く意味ないし。 疎開した兵器生産工場でバンバン造った兵器はソ連は鉄道輸送に頼っていたけど、それに使った機関車約2000輌の内約1900輌がレンドリースされた米製だった事を考えれば、
アメリカの支援無しでは独との戦争継続は難しかった。 アメリカがソ連を必要以上に強くし過ぎました。
もし、蒋介石がヤルタ会談から除外された事に激怒して
シナ派遣軍との講和を実現したら、
日本軍は百万人以上の将兵が満州に移動した
でしょうから、
満州を防備は極東ソ連軍を凌駕することになって
ドイツ降伏3ヶ月後の参戦を躊躇して
対米講和の仲介に応じたでしょう。 >>419
そもそもソ連自体の工業力は欧州に集中してるから、いくら生産設備を疎開してても
鉄道網が急に整備されるわけじゃないし、人口だって圧倒的に欧州側の方が多いから
本当に欧州側をドイツに取られたら、外部援助なしにドイツと戦えない >>405油田発見して製油所作るのに何年かかると思う?
そこから輸送インフラ作るのにまた何年?
>>401つーかパルチザン
革命時の組織があっという間に再構築ってのが大きい
そもそもあいつらスターリンがどうなろうと知ったこっちゃない
でもドイツに立ち向かって結構な戦果を挙げてたのね
Q)独ソ戦でモスクワが陥落していたら、どんな展開になっていたの?
A)おそらく米国はソ連へのレンドリースを止めていたでしょう。
ドイツのものになってしまう恐れがあるからです。ソ連の鉄道網は
モスクワが中心になっているので、物流も情報も一気に数分の1になる。
ソ連はもう全く反撃もできず立ち枯れでしょう。
Q)工場疎開していたから大丈夫なんて意見もあるけど
A)ばかばかしい限りです。疎開工場の生産額なんて微々たるもの。
だいたい生産するための材料や工員などを考えればそれもいつまで続くか不明です。
残敵掃討戦に移り、どこかでスターリンの身柄確保→銃殺となっていたでしょう。
−−−−−
★米武器貸与法(LendLeaseAct1941/03)
■1941年03月から1945年9月30日まで米→ソ連に対して出荷された軍需物資
■約7兆円相当
■輸送は北極海の輸送船団、ペルシア回廊、太平洋ルートで行われた。太平洋ルートはレンドリース援助の
およそ半分が運ばれ、アメリカ西海岸からソ連極東へ輸送船団で、ウラジオストクからはシベリア鉄道で
運ばれた。[1]を参照。アメリカの参戦後、ソ連の船舶のみがこのルートでは使われた。
日本はソ連とは友好国だったので攻撃できなかった。
■内訳は以下の通り:
航空機 14,795
戦車 7,056
ジープ 51,503
トラック 375,883
オートバイ 35,170
トラクター 8,071
銃 8,218
機関銃 131,633
爆発物 345,735 トン
建物設備 10,910,000 ドル
鉄道貨車 11,155
機関車 1,981
輸送船 90
対潜艦 105
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%B3%95 >>379
>ソ連空軍の戦力は余りにも膨大で
1945年8月にソ連空軍が北海道を爆撃しなかった理由は何だとお考えですか? >>424
別に必要ないからじゃないの
前もって念入りに航空撃滅戦を展開しなければならないような有力な邀撃部隊はいなかった。 >>425
無抵抗のところはともかく、反撃した部隊に撃退されてたぞソ連
当時連合国が危惧してたのはのが日本がドイツと違って無傷の陸上部隊が700万も居たから
無理に上陸作戦やったら大損害出してしまう >>426
無傷といっても本土にいたのは実戦経験ゼロの兵だしな
実戦経験豊富な精鋭は中国大陸や南方に置きっ放しで遊兵化
ドイツのように逐次後退しつつ古参兵中心に再編したのとは随分差がある 一方的に条約破って侵攻してきたソビエト連邦
絶対に許せない
声優にロシアが好きな奴がいるが、そいつもロシアも嫌いだ あなたはどのタイプ?
A:条約違反のソ連は許せない派
B:日本も条約を破って北進すれば勝てた派
C:AとBを同時に言うクルクルパー >>428
実情じゃなく連合国が危惧してる要素
実戦力が半分でも300万相当なら連合国も躊躇する >>428
独ソ戦末期だと古参云々のレベルじゃないぞ
ベルリン攻防戦のドイツが動かせる防衛部隊はソ連の兵力の数十分の一しかなかった >>429
一方的ではないと思うんだな。
参戦はアメリカの要請だけど、アメリカはドイツに負けそうになってた
ソ連に大量の物資を援助して救った。
かたや日本はドイツの軍事同盟を結んで連合国に対抗してたから、
ソ連がどっちに義理だてするかと言えばそりゃアメリカだろ。
しかも日本もドイツも独ソ不可侵条約破ったり宣戦布告なしの
パールハーバーで条約違反の参戦の仕方してるんだよ。 >>381
ソ連は侵攻を受けた側で祖国防衛戦の防衛側の立場なのに何言ってんの?
寝言は仕掛けた側とその尻馬に載ろうとした方に言えって。 >>433
デター、共産左翼のすり替え印象操作
日ソ関係と他の国の関係は何も関係がない
ソ連の日ソ中立条約違反は完全なる明白な国際法違反
それ以上でもそれ以下でもない >>418
ってか、戦争遂行の為の物資と兵器を製造するための工作機械の相手国に
依存している状態で仕掛けるのが無理なんだから。
で、それで大敗して70年も経ってるのに、いまだに「日本が開戦したのは
英米を攻撃するための兵器を作る材料を英米がが売ってくれなくなったからだ」と
真面目に主張しているバカがいる。 >>430
> A:条約違反のソ連は許せない派
ちなみにソ連が違反した条約とはどれでいつのことさ? >>436
唐突にそんな自己紹介をされてもしょうがないのだが。 >>439
レスも読めない馬鹿が頓珍漢な精神論や人民戦争論を言ってゲーム脳を擁護したから
ゲーム脳の精神論者で間違いないだろうおまえ 一方日本は、日ソ中立条約をシカトしたソ連に攻撃された >>59
しかも降伏しろと言ってきた国の中にソ連はない(勿論ポツダム宣言にソ連は関わってるが当時の日本はそんなの知る由もない) ゾルゲってソ連人のスパイをドイツ人に
化けさせて 日本のドイツ大使館に送り込んで
スパイ活動させてて 日本がソ連に攻めないって
電報をソ連に打って情報教えてたよね
日本がドイツと共同でソ連に攻め込んだら勝てたの? >>5
なお落としても旨味が薄すぎる模様
アラスカまで追い込んで放置するくらい進行しなければならないからな アメリカなんて構わず最初から日独で挟み撃ちにしてボコっておけば良かったのにね >>445
そうならないために日本が対米攻撃に踏み切るよう共産主義者が工作していた 日本は暢気なもんで、カチューシャ歌ってるような国
背景の張鼓峰事件なんかもはや忘れている ヒトラーは挟み撃ちなんて考えてないからw
松岡との会談でヒトラーが問いただしたのはシンガポール攻撃だよw ドイツ語版wikipediaにおける独ソ不可侵条約の記事、その効果の項目
[ドイツ]
懸念されていたフランス、イギリス、ソ連三国の同盟が成ることにより生じたで
あろうドイツ包囲網を回避できたことで、ヒットラーにはソ連の干渉を恐れること
なく、ポーランドに侵攻できる可能性が生まれた。西側連合国は、ポーランドに
対して国防上の義務を負っていたため、ドイツにとっては、ソ連を中立に保つだけ
ではなく、この巨大帝国を経済上の同盟国として確保できたことが重要であった。
さらに、ソビエトは貿易上のパートナーあるいは供給国、重要な原材料の中継国と
しても役立つことになった。第一次大戦の際には、食料不足や重要資材の不足と
なって現れたイギリスによる海上封鎖の深刻な影響をも回避できたことで、戦争への
経済上の足かせを除くことができた。
一連の経済面での協定によって、互いの供給量やその内容が具体的に合意された。
ドイツは基本的にテクノロジーや機械を、ソ連は膨大な穀物や食料品、貴重な
石油製品ならびに非鉄金属を供給することになった。これらは、ドイツの戦争遂行に
とって不可欠な品々であった。 ドイツがロシアに侵攻したのは1941年6月
日本の真珠湾は1941年12月
半年あるんだから日独で連絡取り合えっての
ドイツは1941年12月にモスクワ直前で力尽き
その後何年も、ロシア極東部隊(が西に移動)に苦しめられた
ロシアを日本が攻めていれば、独ソ戦の様相は根本から変わってただろう [ソビエト連邦]
(略)
1939年9月28日(訳注:ポーランド侵攻後)の独ソ両国による和平交渉が、
イギリスとフランスによって拒否されたあと、ソ連の外交政策はより親ドイツの
方向へと舵を切っていく。1939年10月31日のソビエト連邦最高会議において、
モロトフ首相は国際政治の状況を分析し、それに沿って今後の共産主義陣営での
プロパガンダ方針を決定した。それによると、ドイツは強国としての地位を回復する
正当な権利を有しており、一方の西側連合国は、ヴェルサイユ体制の維持のために
帝国主義戦争を始めようとする侵略者であるとされた。
「彼らの目的は、ドイツに戦争を仕掛けることで、ヒットラー体制を破壊する
ことである。(...) そのような戦争には、けっしていかなる正当性もない。
その他のどんなイデオロギーについても同様であるが、人はヒットラー体制の
イデオロギーを受け入れたり、拒否したりはできる−−いわゆる政治的見解の相違である。
しかし、誰もが分かるとおり、イデオロギーは暴力によって破壊されてはならない。
けっして戦争によって根絶されてはならないのである。」
(『ベルリン問題に関する文書1944-1966』 出版社1987年、347ページ)
(略) >>451
何の準備もなく厳寒期のシベリアに出兵すんの?
敵と戦う前に凍え死ぬんちゃうw モンゴロイドは寒さに弱く、白人は暑さに弱い
シベリアでなく南方に進撃して白人と戦うのは間違ってはなかった >>431
確かに躊躇する
日本とて九州南部や関東の上陸正面に張り付けられる数は限られるし 張り付け部隊は砲爆撃で減らせるにせよ硫黄島や沖縄での損害を考えたら本土上陸など恐ろしい被害算定となる
連合国は事実上勝利しておりここから何十万もの兵の損害は意味がないしトルーマンはそれに耐えられない
原爆が完成し通常爆撃の基地もふんだんにあり護衛機もつけられる もう上陸は不要であり通常爆撃の継続 原爆攻撃 港湾の機雷封鎖と鉄道網の破壊 艦砲射撃 これなら連合軍の損害はほとんどない この鳥取城戦法をとられたら日本は自壊するしかない
本土決戦の決号作戦の最大の懸念は連合国が上陸してくれないと何も出来ないという点にある >>451
1941年4月に日ソ中立条約を結んだがその直前に松岡がドイツに行ってヒトラーやリッペントロープに会い日独伊蘇4ヶ国同盟をぶち上げた
もうバルバロッサ作戦はすっかり出来上がって 侵攻準備中に物凄くズレた事を言い出す日本の外相にヒトラーもびっくりでリッペントロープは遠回しにソ連との条約はどうなんでしょうみたいな事を告げたらしい
しかし凄まじい饒舌家で人の話を聞かない松岡にそういう腹芸は全然通じず独ソ開戦で松岡は驚くわけである イヤイヤあんたドイツで何聞いてきたのよと まあずっとドイツにいた大島も全然わかってなかったが
こんなのが外相だの駐独大使なんだからそりゃあ欧米の外交についてけるわけがない 松岡が日本に帰る時、スターリンはわざわざ駅まで見送りに出た
スターリンはすこぶる上機嫌だったそうだ
そりゃま、そうだろ
馬鹿を手玉に取ってやったわ、ハラショーだよ [日本]
日本はドイツとの間に1936年11月25日に日独防共協定を締結していた。この協定では、
国際共産主義の活動について常に情報を交換し協議するとともに、万一ソ連から攻撃
された場合は、互いに中立を守る義務があるとする秘密項目が含まれていた。
(訳注:1939年8月の)独ソ不可侵条約の締結は前もっての日本との協議なしに行なわれたため、
日本側から見れば明らかな防共協定違反であるとともに、協定の精神にも反するものであった。
その上、日本では独ソ不可侵条約とハルバ川付近でののちの元帥シューコフ率いるソ連軍との
戦闘(ノモンハン事件)における関東軍の手痛い敗北との関係が取り沙汰されたため、1939年
8月27日に親ドイツ内閣であった平沼内閣が総辞職した。これにより1938年来続いていたドイツと
軍事同盟を結ぶ交渉は大きな後退を余儀なくされた。日本はドイツへの軍事的信頼を失い、
1939年9月15日にはモンゴル−満州国境紛争を戦闘停止という形で終結させた。このことによって、
日本のシベリア方面への拡大というオプションも終了し、一層その比重を南洋方面に強めて
いくことになる。1941年4月には、大日本帝国自身がソ連邦との間に日ソ不可侵条約を結んだ。 日米同盟は大切だなユーラシア大陸の人達と性質が違うから >>430
D:石油禁輸の時点で北進はご破産だバカ >>440
だからもう君がちょっとおかしなことは十分伝わったから
そういう自己紹介を重ねる必要はないよ。 >>1
第二次世界大戦の開戦から80年以上経って、時間の封印が徐々に解かれ、当時の軍事・外交・
政治上の極秘文書が各国で公開され始め、未だ生き残っている関係者も口を開き出したのは
非常に良いことだね。
日本人自身の手でそれらを厳正に評価し、現有の史実に組み込んで、第二次世界大戦の実相に
まとめ上げ、その正確な歴史を作り上げる作業を行なう必要がある。
それをやることで、未だ決着がついていない戦時中の政治家たち、軍事指導者たちの評価を
日本人自身が行ない、彼らの功罪を明らかにしておく必要がある。
戦勝国による裁判結果を受け入れたままでは日本の未来は危うい。 >>462
大賛成!
非常にまともな意見。
でも、まだまだ逃げた戦犯どもの子孫がこの国を牛耳っているから難しいよね。
国民がもっと歴史を学ばないと。 独ソ不可侵条約とノモンハン事件の関連、因果関係は当時の国会でも問題になり、
内閣が総辞職している。しかし、日本人はそんなことすら忘れてしまって、
ロシア人やドイツ人の解説で知る始末。とほほな国民だね。 ノモンハン事件は、日教組が強かったころには教科書でも小さくしか扱われなかったからね。
そんなことがあったなんて知らない人も多い。 満州の利権に固執せず米国による石油禁輸を遅らせ
日独で東西からソ連を攻略してたら歴史はちょっと変わったかもな
ソ連経由で多少の石油も調達できたし >>444
工業国となっていたソ連落とせば
世界工業力の4割がドイツ
アメリカが50パー弱なので
アメリカとも戦える >>460
石油禁輸は南部仏印進駐の結果だから、
松岡が内閣を追い出されるまでは北進すればよかったってことでしょ
ならBじゃん 日本がドイツと共同でソ連攻めてたら
勝てた可能性は何%ぐらい ポーランド侵攻の時に、ドイツも実際は英仏とは戦わずにすませたかったから
独ソ条約はしかたないわな。
英仏とは結局戦闘になったから、あれだったけど。 >>469
90%くらいかな。
ソ連は粛清の嵐で軍にまともな指揮官がいない状況だったんだよ。
戦車も大半は整備不足で動かないような悲惨な状況だったのさ。
だから、弱小国のフィンランドすら攻め落とせなかったのさ。
まあ、フィンランドはチートパイロットやチートスナイパーがいたってのもあるけどね。
そんな時に挟み撃ちにして負ける要素はさすがの戦争下手くそ国家の日本でもありえないね。 Wikipedai 平沼内閣 記事より
>前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した。
>共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていたが、
>昭和14年(1939年)8月23日にドイツ(ナチス・ドイツ)が突然ソビエト連邦と
>独ソ不可侵条約を締結したことを受けて平沼首相は8月28日にいわゆる
>「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職した。
>
> 今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、
> 我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました
>
>というような談話を発表した。
>この談話は当時の日本外交の国際認識の欠如を象徴的に示している。
後の松岡外務もそうだが、日本は平和ボケと、駆け引きやポーカのような
心理作戦、プロパガンダときちんと分析し理解せずに、言葉と書面の字面
でだけ理解しようとするから騙される。ようするに大人と幼稚な子供の関係だ。 このことから得る教訓は一つ
アメリカと組むしかないということだ
バカサヨ、わかったか?日本は強い国と組むしかないんだよ >>474
正確には、当代最強のシーパワーと同盟するNo.2戦略が日本の最善手なんだよな。間違っても、弱者連合に加わったりランドパワーを当てにするような戦略を組んじゃいけない。 独ソ不可侵条約締結後、ドイツは経済面でもソ連と関係を深め、石油の供給を
受けていた。だから、産油国ではないドイツには戦争遂行のためにはロシアとの
協力関係が必要不可欠だったわけだ。
何万キロも離れていて、全然役に立たない日本との象徴的な関係よりは
当面そちらを重視したのでは。
しかし、初期の快進撃のおかげで、ルーマニア、チョコなどの東欧諸国を
保護下、枢軸国側に置くことができた。これらは産油国でもある。
ロシアも当然これらの国に権利を主張していた。だんだん利害が合わなくなる。
ロシアとしても、イギリスを落とすのに手間どっているドイツを見て、
そろそろ同盟相手をイギリスにチェンジする頃合いではと準備していたかもしれない。
石油に余裕が出て、もともと共産主義ロシアとの対決は不可避と見ていたヒットラーは
ここで一気にけりをつけようとあせり、東部戦線を開いた。
しかし、まだちょっと分からんねぇ。なぜドイツがロシアをあの時点で攻めたのか。
日本の対米宣戦はその半年後だから、ロシアと戦うこともできたと思う。
実際ドイツはそれを期待していたし、直前まで御前会議に北進南進の両論で
掛けられたことがわかるように、どっちもありえた。世界も日本がどっちに
打って出るのかを注目し、ソ連スパイのゾルゲもそれを探った。
しかし、日本の大規模な海軍の陣容も見ても、商船航路をインド洋まで張り巡らしたりと、
早くから南に打って出るのは決まっていたような気もするね。
ヨーロッパではロシア、太平洋ではアメリカが最大の敵、ライバルだったんだろう。
だから、このふたつが戦後は二大強国として、東西に冷戦を張ることになった。
やっぱり必然だよ。 >>471
ロシアも中国も攻めるのは上手くない
アフガニスタンもベトナムも火傷して撤退
でも弱いわけではないと思うな
彼らの真骨頂は自国に引き入れての焦土作戦だろう
縦深がドイツや日本の比じゃない 海軍は南進したかったんだろう。
また、南方資源を手に入れたがった企業や商社などは、
軍に南方へ進出したいと申し入れをしていて、
軍事の天下り先の面からも南進する方が軍人にとっては
メリットがあった。 大戦の結果が必然ではなく、日独の大戦相手選択については必然だったということ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています