【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?
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前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。
今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。
不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。
また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。
徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。
それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。
さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。
しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。
そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)
2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai 大和朝廷は、神教派の物部が仏教派の蘇我に乗っ取られて、さらに藤原がクーデターで乗っ取る。 >>900
蘇我氏の本拠地:徳島県石井町の曽我氏神社古墳群
先日のNHKでは、方墳は飛鳥時代蘇我稲目の都塚古墳から突然始まると放送されていたが
蘇我氏の本拠地とされる徳島県石井町の曽我氏神社古墳群にはそれに先立ち、古墳時代前期に既に10m×12mの方墳(2号墳)が確認されている。
このことから、方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型であった可能性が高い。
また、同じ石井町には奈良の大和朝廷に先行すると思われる白鳳寺院跡および白鳳瓦窯跡が確認されている。
他にも吉野川中流域の美馬町・川島町にも白鳳寺院跡が存在する。
これらも倭国(阿波)内・外で頭角を現した有力豪族、蘇我氏に由来するものであろう。 @阿波 孫に櫛八玉神がいる水戸神の謎が阿波にありそうなんだがな 伊邪那美神社(式内社)って徳島にしかないからね
イザナミは天皇家の偉大なる母
邪馬台国は微妙だが神武天皇〜は確実に徳島 >>902
「水の神・彌都波能売神」が「八大龍王神社」で祀られているよ。 @阿波 >>903
>邪馬台国は微妙だが
「其山有丹」で決着済みだよ。 @阿波 >>896
>奴国は大和朝廷と繋がりがない論が強いのに
どこの異世界でそんな論が強いんだ?
それとも九州説信者の限られた狭い世界での話? >>898
忌部氏と中臣氏は、ともに朝廷の祭祀を司る氏族であったが、後に中臣氏が職掌を独占するようになって、
それに押されて忌部氏が衰退したっていうのは資料から判明しているが、
中臣氏が忌部の一族だったという資料はどこにありますか?
忌部氏の祖は「天太玉命」で中臣氏の祖は「天児屋命」です。
天照大神が天岩戸に隠れたとき、両名登場して活躍しているのですが、
どちらも忌部氏と断ずる根拠をお答えいただきたい。 泡爺さん頑張ってんな
まあこのスレの主役だから思いっきり語っていいよ >>892
琵琶湖の南側か
弥生後期に住居の痕跡がなく巨大銅鐸の祭祀殿跡か
誰が何を目的に何を祈ったのか? 四国で間違いないとおもう
ミクロネシアから航海で渡って来たことも明らかになったし
災害から離れて住むなら四国しかない >>849
あなたの話だと、日本の政権が
宗に王年代記を献上した時には
彦瀲尊を先祖に持つ九州の地方政権が
奈良に移って、日本代表を名乗っていた。
だから宗に渡した天皇のリストは
九州の地方政権のトップのリストに
なっている。
九州の地方政権の時にも後晋、唐と交流して
いて、その時には邪馬台という名前を使っていた
ということですか?
単に九州の地方政府が遷都を繰り返して
奈良に入ったということですか?
あなたが書いている
「日本の正当な国」というのはどこなんですか? >>907
>中臣氏が忌部の一族だったという資料はどこにありますか?
中臣氏とか忌部氏とかの氏族は、平安時代の『新撰姓氏録』によるもの。 記紀には、中臣氏とか忌部氏とかの氏族名はないでしょ?
>忌部氏の祖は「天太玉命」で中臣氏の祖は「天児屋命」です。
ともに「忌部一族」です。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。 @阿波 >>913
ミクロネシア人と日本人はDNAは近いのかな? >>911
坂東太郎の流域には海上国(うなかみのくに)があった。
古墳時代の関東に突然屹立した巨大国にして
古墳の副葬品に石枕を入れる人たちの国。
ロマンじゃのお。 >>913
あんな小さな島々から日本にすごい距離があるのに
船で渡ってくるというのは驚きですね。その間どうやって
水とか調達で来たんだろう? >>916
無茶苦茶だなwだったら秦氏はどうなるんですか?
徳島には秦氏の子孫も大勢いらっしゃいますよ、
小学校の時の教頭先生も秦先生でした。 >>919
>古墳の副葬品に石枕を入れる人たちの国。
その石枕って、阿波の青石じゃないの? @阿波 >>918
縄文人とミクロネシア人に共通の遺伝子があるそうだ イザナギ、イザナミについては、
延喜式祝詞では鎮火祭の祝詞に出てくる
「天都詞太詞事を以て申さく」と他人事のように書かれている。
鎮火祭
高天原に神留り坐す皇親神漏義・神漏美の命持ちて、
皇御孫命は豊葦原乃水穂国を安国と平けく知食せと、天下寄さし奉りし時に、
事寄さし奉りし天都詞太詞事を以て申さく、
神伊佐奈伎・伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて、国の八十国・嶋の八十嶋を生み給ひ、八百万神等を生み給ひて、
麻奈弟子に火結神を生み給ひて、美保止焼かえて石隠り坐して、
夜は七夜昼は七日、吾をな見給ひそ、吾が奈^背乃命と申し給ひき。
此の七日には足らずて、隠り坐す事奇しとて、見そなはす時に、火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき。
如是る時に、吾が名^背乃命の吾を見給ふなと申すを、吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて、吾が名^背能命は上津国を知食すべし。
吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて、与美津枚坂に至り坐して思食さく、吾が名^背命の知食す上津国に、心悪しき子を生み置きて来ぬと宣りたまひて、返り坐して、更に子を生みたまふ。
水神・匏・川菜・埴山姫、四種の物を生み給ひて、此の心悪しき子の心荒びそば、水神匏、埴山姫川菜を持ちて鎮め奉れと事教へ悟し給ひき。
此に依りて称辞竟へ奉らば、皇御孫の朝廷に御心一速び給はじと為て、進る物は、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物を備へ奉りて、
青海原に住む物は、鰭広物・鰭狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、御酒は�辺高知り、�腹満て雙べて、
和稲・荒稲に至るまでに、横山の如く置き高成して、天津祝詞の太祝詞事以て、称辞竟へ奉らくと申す。 >>922
知らんがな。
まあ、阿波と房総は親戚だからなあ。 >>920
途中の島は当然寄ってる
黒潮の流れに乗ってきたんだろう
ミクロネシア、フィリピン、台湾、沖縄、本土とね
最近も台湾から石垣島へ昔の船で200キロ航海する実験していた
成功したよ >>914
九州の【漢委奴国】狗奴国の
32代目の国王の
「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の
【第4皇子の神武】が、
【親魏倭王】の「邪馬台国」を滅ぼして、
天皇を名のって大和に移り住んで
大和にあったアマテラスの国をのっとった
神武は「第4皇子、であり、九州の【漢委奴国】狗奴国の33代目の国王ではないので「遷都ではない」 >>927 つづき
なので
後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年
【倭国伝・・つまり九州の「漢委奴国」伝】
古くは「漢委奴国」と呼び、どんな時代もずっと中国と交易していた、九州の国が【倭国】である
【日本国伝・・つまり大和の「日本国」伝】
神武がのっとり日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えた
という大和の国【日本】は、倭国ではなく、信用なら無い国だ 九州が一番説得力がある
畿内説はもはや宗教的な何か >>926
ググってみると丸二日かかったらしいな
200qを48時間、日に5時間漕ぐと仮定すると十日かかる計算になる
これに雨待ち風待ち潮待ち逗留の日数を加えると、200q移動するのに二十日ほどかかっても不思議はないな
ぜひ準構造船でも航行実験してみてほしいところだな
> 大阪市のなみはや号プロジェクト(引用元)
> 大阪市、大阪市教育委員会、(財)大阪市文化財協会は、大阪市制100周年・協会
> 創立10周年記念行事として舟形埴輪のモデルとなった古代船を復元し、「倭の五王」
> 時代の航海を再現する事にした。大阪から・韓国釜山まで700kmの航海実験であった。
>
> そこで10年前、大阪の長原高廻りから出土した舟形埴輪を10倍の大きさにし、実際に
> 木造船として作ってみました。現在の船の構造設計者によると、とても構造的に船に
> ならない、ということでしたが、直径2mの丸太をカナダから輸入し、埴輪を忠実に模する
> ことにより、全長12m、8人漕ぎの古代の準構造船を再現したのです。この船を”なみはや”
> と名づけ、実際に海に浮かべて漕いでみますと、非常に安定が悪く、そのうえなかなか
> 進みません。50cmの高さの波がきただけでもバランスを失ってひっくり返りそうです。
> 1mもの波がこようものなら漕ぎ出すのは到底無理なことです。また喫水が浅いため
> 少しの風でも倒れそうになるので、天理の東殿塚古墳から出土した土器の絵のように、
> 帆のようなものを立てるなどという事は、現実的に絶対に無理なことでした。
>
> 結局、船を安定させるため何百キロという重りを底に入れて、大学のボート部の学生に、
> 古代の人が渡ったであろうと思われるコースで、玄界灘を越えて韓国に向けて漕いで
> もらったわけですが、これが殆ど進みません。そのまま漕いで行っても、一体何日かかれば
> 港に到着するのか、見当がつかないほど進みません。 >>922
ところが、群馬・埼玉にも青石はある、見た目は阿波の青石とそっくり。
徳島みたいに河原中全部青石みたいなのはさすがに見たこと無いけどね。 >>924
> 吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて
辞書によると、「阿波多す(あわたす)」は「淡(あわ)」と語源を同じくして
「軽視する、恥をかかせる」の意と書いてあるな。
>>553で書いたヒルコの兄弟の「淡島」の謎が、意外なところで解けた気がする。
ありがとう。 >>930
九州にあったのは
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)
ですけど? >>930
九州にあったのは
出雲の、天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)の子の
炎尊(ほむらのみこと・山幸彦)が訪れた
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」
ですけど? >>858
淡路島は昭和30年代私鉄電車が走ってた。 >>913
まず南九州に漂着したが火山あるので
四国へ移住したんだろう
四国から畿内へ移住は南海トラフだろうな、奈良は津波来ないし >>805
正解、ヤマトトトヒとはヤマト、トート妃だから。トートとはエジプトの数学やらあらゆる知識の神、ピラミッドを作った神でもある。
つまり大物主の正体は元ははるか
エジプトからの神、
海を渡ってきたモノノベの意味だよ。 >>813
話題になるのは当時の日本に他にネタがないからだよ >>938
佐賀人A 「この席とっとっと?」
佐賀人B 「とっとーと!」 日本の記紀では
初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が生まれ
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)から
まず天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが
この、綿津見大神(豊玉彦)
その後奈良に
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)
が生まれて
素戔烏尊(すさのおのみこと)が奈良を出て
出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を
奈良の天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)に国譲りした
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらったのが
この、奈良の天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)と出雲の「葦原中国」の連合国 そもそも10世紀位に発見された銅鐸をみて何か判らん連中は、これはアショーカ王のお宝だ!
と騒いでた位だからな。
銅鐸も元をたどればメジェドだろう、何の神かはわからないが取り敢えずは守護神だw
眼の位置に穴もあいてるしな。 北九州次郎はトキ、四男は神武ケンシロウ、太郎は、羅王脱解昔氏。三男四国は解るな?、愛せよ。 三角の山に大物主がいるのはそういうこと。
まあ三輪山自体は讃岐と奈良に別れて天から
落ちて出来た山、という伝承もあるな。
大物主は金比羅さん、まあどちらにせよ
エジプトからインドを経てきた神だ。
トート王自身にもエジプトでは後々東アジアで
王になったという伝承がある。
しかもトート王の正体は朱鷺の化身だからなw アショカ王
阿射加、朝香、浅香、
あながち遠くないかも ヤマト政権が始まる前の八十神がいた芦原中津國は何処だろうか?
芦が散るはなにわの枕詞
聖武天皇の難波行幸に従駕したの笠朝臣金村詠んだ一首にも
押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし郷と‥
と歌われている
芦原中津國はなにわを中心とした近畿地方なんじゃないか?
芦原醜男は大国主の別名
大国主とスクナヒコナが国作りをしたクニはなにわを中心とした芦原中津國では?
芦原はアイヌ語で【サル】
サルで思い出すのがサルタヒコ
そしてサルタヒコは出雲の姫神である幸神とクナトの神の子
逃れたサルタヒコが見つかったのは、天の【八衢】
道が幾つにも分かれるところ、【方違】
堺の仁徳天皇陵の近くに方違神社があって、方違【幸】大神が祀られている 三輪大物主が天照(女王)に譲位したのが国譲りの伝説になったんだろ おまはんらー
なんしょんえー
ほなけんどなー
立江ちゃうでよ! たっちぇでよ! たっちぇ!
牟岐線はしんりょん? >>937
瀬戸内海は内海だから津波は影響少ないだろう そもそも天皇は半島や中国やもっと遠いところから来て
生粋の日本人じゃないよ説もあるし 新兵器もその流れで来てるだろうから
九州だろうが近畿だろうがどっちも支配された地域だろ 仁徳天皇の都は讃岐の難波郷
陵墓は眉山(以の山)にある毛受ヶ原「ササギの抜け穴」=「仁徳天皇陵墓跡」
大仙古墳は仁徳天皇を偲んだ忌部一族のレプリカ墓(からばか) @阿波 近畿パー勝ち誇るのやめたな。
さすがに恥ずかしくなったかな。
サハフタソみたいだもんなw >>955
うむ、マロンはおいしいよな。
それに加えて、今日は>>933の収穫があったから大満足なのだ。 稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。 斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、
石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。 蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡
原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩
徳島県で勾玉が出土された遺跡:稲持遺跡、矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡など。 井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、
新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。 出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、
当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。 @阿波
「稲持遺跡」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023036/ >>956
つうことはおなじものが徳島にもあんの
見てみたいわ まあ倭人伝によると倭では養蚕をやってて、卑弥呼が魏に倭錦(絹織物)を献上したりしてるが
この時代の遺跡から絹が出土するのは九州のみ。その時点でなあ >>968
>この時代の遺跡から絹が出土するのは九州のみ。
それはよかったね。
「加茂宮ノ前遺跡」bQ
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。
弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡計100棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。
弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。
鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。
那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲) @阿波 >>966
それ、縄文時代の遺跡ですね。
徳島だけで無く西日本は東日本と比較して縄文時代の遺跡の出土が少ないので、大変貴重な遺跡と言えるでしょう。
ところで阿波忌部氏と皇室のつながりを感じさせる大麻の栽培の記事を貼って置きますね。
https://www.topics.or.jp/articles/-/186792
麻の栽培は、古く縄文時代から伝承されてきたものでは無いかと推測します。 >>971
麻とかどうでもいいし、絹は弥生時代やで まあ邪馬台国はどこにあるかもわからんから徳島でもいいと思うけど、>863みたいな言説は仁徳天皇陵よりでかい古墳とか東大寺より立派な寺とかないとって思うよね >>971
先日、三木家へ、践祚大嘗祭の麁布に使うための大麻畑を見学に行ってきました。 @阿波 >>969
>当然本物はレプリカよりでかいんだよね
あのねぇ、本物の大王墓は山稜に造営されるものなんだよ。 理解できる? 記紀にも書いてあるでしょ?
平地に造るどでかいお墓は、臣下のお墓やレプリカ墓(霊のない空墓)。 @阿波 >>972
天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ、
皇室では養蚕もやってますし、絹のほうが高級そうなんですが。
>>974
それ貴重な体験でしたね、自分も行ってみたけど、行ける時期には既に刈り取った後かなあ・・・。 >>970
山丹有だからな。丹だけなら佐賀の虚空蔵山にもあるんやで
阿波はまず絹を見つけてから何か言ったら >>976
>天皇の代替わりの儀式に切る装束が麻っていうのも不思議ですねえ
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、
木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。 @阿波 >>977
>阿波はまず絹を見つけてから何か言ったら
「丹」を掘り出していたから、それだけで腹いっぱいだよ。 わははははは @阿波 神武天皇の神社は阿波は古いのが多いんだよ。橿原神宮とかは明治だからね。
徐福の探検隊の一隊が阿波にたどり着いて、富士にたどり着いてた一隊と再会した
なんていう説もある。 まず前提として、俺は朱(水銀朱)も紅(ベンガラ=酸化鉄)も「丹」だという立場だが、
それはさておき。
>>977とか
豊前田川の香春岳は古くからの銅山で、ここの香春神社は宇佐神宮の
前身とも言われているが、その神職は赤染氏なんだよね。
赤染氏は中央貴族も出している名家だが、姓は常世連で、「新撰姓氏録」によると、
「燕国王公孫淵より出ず」という系譜らしい。
その出自と「赤染」という氏から、朱丹(水銀朱)を司る一族である可能性が高いのだ。 >>976
昔からの習慣を重視しているなら、初期のヤマト政権には絹が無かったからと見るか
何らかの宗教的な理由によるものか、当時の日本の絹の質が余り良くなく
かつ麻の方が暑い日本には合っていたか、かのいずれかのような気はする >>982
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。 @阿波 大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
麻といえば、阿波忌部。
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 >>975
そんなことどこに書いてある?
ぼくは論証できない時期の記述だったら納得しないよ >>985
>ぼくは論証できない時期の記述だったら納得しないよ
少なくとも初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。
初代〜第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には
まず神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、
初期の天皇陵は、 山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。 @阿波 >>986
それはその時代だけだろ 時代というのも怪しい代だが
7世紀まで説明していただかないと
山の麓だからって仁徳陵並みのものがつくれないわけじゃないし >>970
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
によると
硫黄同体比から見ると、北九州から丹後までの丹は中国産の可能性が高く(ちなみに虚空蔵山のものも中国産に近い)、畿内のものは三重、もしくは徳島産のものに近いとか
この辺りに勢力の境界があったかも知れない >>987
>それはその時代だけだろ
なに言ってんの? 現代もそうじゃないの? わははははは @阿波 女が治めたのが重要なヒント
九州の風土では女が治めることは無いだろう
四国の阿波ならあり得る >>987
>山の麓だからって仁徳陵並みのものがつくれないわけじゃないし
山の麓じゃないよ。 山稜。 @阿波 >>989
本気で言ってるの?
八王子の陵墓は山の麓ですか?
高尾山まで何キロ離れてるかご存知ですか? >>991
少なくともこの時代の陵墓が山という証拠は出せないわけね >>992
>八王子の陵墓は山の麓ですか?
本気で言ってるの?
八王子の陵墓は盆地の湿地帯ですか? わははははは @阿波 >>994
盆地ではなく台地だが
間違っても山稜じゃありませんが? >>993
>少なくともこの時代の陵墓が山という証拠は出せないわけね
「この時代」って、いつの時代のこと言ってんの? @阿波 >>996
史実が確認できるようになってから7世紀までね しかし書いていることすらわからない人が多すぎる
まぁそういう人は鹿児島も宮崎も区別つかないのかな
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>995
>間違っても山稜じゃありませんが?
台地であっても、間違っても「盆地の湿地帯」じゃありませんが? ワハハハハ @阿波 >>999
じゃあ山稜だからでかい墓はつくれないというのは正確じゃないと認めるわけね レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。