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【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?★2

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2019/07/14(日) 21:38:10.28ID:ikYG5zEr9
https://iwiz-cmspf.c.yimg.jp/c/cmspf/91/95/43/28/d84db72ed4bf9740d5e41e0436f8eed1.jpg

 前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。

 今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。

 不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。

 また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。

 徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。

 それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。

 さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。

 しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。

 そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)

2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai

★1:2019/07/11(木) 22:59:41.95
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562853581/
2019/07/15(月) 15:35:08.00ID:ks8XWIY60
昔の国というものが今の市より小さいものだから倭国全体も想像よりずっと小さい範囲の事を言っていると思うわ
361名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:36:28.35ID:f/eJXn1K0
>>354
>:f/eJXn1K0 みたいなのがわくなら、四国説派は無視したがよいな。

トンデモ派がへたな工作し始めたようだ。 わははははは  @阿波
362名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:36:41.80ID:l98wUCOo0
>>359
普通に天孫降臨の地(高千穂)ですなw
363名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:37:12.89ID:+9fOU5p40
>>341
お前とぼけてるよなw
364名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:37:51.34ID:+9fOU5p40
>>342
周旋五千余里は裸国、黒歯国のこと。
365名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:38:05.45ID:f/eJXn1K0
>>358
>だから現在の地形とは整合しなくなる

そりゃ、トンデモだからさ。 わははははは  @阿波
366名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:38:19.83ID:+9fOU5p40
>>348
お前捏造すんなよ近畿パー
367名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:38:54.71ID:+9fOU5p40
>>361
お前トンデモだよなw
368名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:39:48.56ID:+9fOU5p40
>>365
お前トンデモだよな。 わははははは  
369名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:40:08.97ID:f/eJXn1K0
>>360
>昔の国というものが今の市より小さいものだから倭国全体も想像よりずっと小さい範囲の事を言っていると思うわ

全くその通り。 倭国はせいぜい、阿波・讃岐・淡路程度。  @阿波
2019/07/15(月) 15:41:29.31ID:LZkP8aiT0
淡路島の後に四国が産まれたって間違ってはいないけどミスリードだよな
正確には、淡路島の後に四国を含めた島(本州、九州含む)が産まれたって話
371名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:44:43.68ID:f/eJXn1K0
>>370
>淡路島の後に四国が産まれたって間違ってはいないけどミスリードだよな

だから、淡路島じゃないんだよ。  忌部の郷にある吉野川中洲(粟島)。  @阿波
2019/07/15(月) 15:50:00.13ID:JqcHIB5W0
そやから邪馬台国は四国って言ってるだろ
跡継ぎも名前からして伊予とかだろ
2019/07/15(月) 15:51:06.44ID:dpfBMqWv0
>>370
阿波は既に存在しとったんで、まずさいしょに淡路島(阿波路島)が作られたのだっていう説もあるんじょ。
374名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 15:53:18.96ID:DNriPihD0
水銀は大分でも和歌山奈良でも取れるから、決定的な証拠にはならない。

魏志倭人伝によれば青玉(サファイア)・真珠も取れると書いてある。
サファイアは和歌山しか取れないから畿内説で決まりじゃないの?真珠は三重で
取れるし。
375374
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2019/07/15(月) 15:56:37.05ID:DNriPihD0
ごめん。
九州・愛媛・畿内の3つの中では畿内でしかサファイアは取れない。
和歌山でなく奈良と滋賀だった。
2019/07/15(月) 15:56:49.28ID:JqcHIB5W0
>>312
上沼恵美子、阪神の近本、渡哲也渡瀬恒彦兄弟
このへんに勝ってから言うべき
2019/07/15(月) 15:58:48.58ID:JqcHIB5W0
>>135
愛媛県にある大山祇神社に祭られている大山祇命の娘だな
2019/07/15(月) 16:00:54.17ID:JqcHIB5W0
宇佐神宮は豊前
鉱山とかは豊後だろ
379名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:02:40.50ID:f/eJXn1K0
>>374
>水銀は大分でも和歌山奈良でも取れるから、決定的な証拠にはならない。

「取れる」と「採掘していた」は、ぜんぜん意味が違うってこと、分かるかい?  @阿波
380名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:04:22.98ID:+9fOU5p40
>>369
そんなことより糞食えよ
2019/07/15(月) 16:06:05.60ID:f/eJXn1K0
糞くらえ
382名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:09:47.52ID:0fl3KS190
弥生時代中期〜後期の阿波は、鉱山であり石切場であり大量の木材を消費する工場
383名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:11:48.70ID:+9fOU5p40
>>381
いいから糞食えよ
2019/07/15(月) 16:13:13.02ID:LZkP8aiT0
>>373
いっそそれなら二人目の淡島は阿波が由来とか
淡路島は琵琶湖説もあるよねえ
385名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:16:14.06ID:f/eJXn1K0
>>382
>弥生時代中期〜後期の阿波は、鉱山であり石切場であり大量の木材を消費する工場

あっ、弥生の工房なしで、木材枯渇心配小心者が九州からきた。  @阿波
2019/07/15(月) 16:24:10.22ID:TOMbaaO60
>>379
真っ赤な宇佐神宮は丹が豊富に取れたから
阿波には何もない
387名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:25:45.85ID:f/eJXn1K0
>>386 名無しさん@1周年 sage ▼ New! 2019/07/15(月) 16:24:10.22 ID:TOMbaaO60 [17回目]
>>379
真っ赤な宇佐神宮は丹が豊富に取れたから
2019/07/15(月) 16:26:25.16ID:TOMbaaO60
>>378
邪馬台国は豊前と豊後
狗奴国は日向
投馬国は殺馬國=薩摩
389名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:29:18.82ID:f/eJXn1K0
>>386
>真っ赤な宇佐神宮は丹が豊富に取れたから

ベンガラがそんなに有難いのかい? 少し、朱をお分けしよか?  わははははは  @阿波
2019/07/15(月) 16:32:27.44ID:JqcHIB5W0
宇佐神宮は愛媛の八幡浜にあったりしたな
391名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 16:34:03.33ID:f/eJXn1K0
>>390
『大分宇佐八幡宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』 

大分の宇佐八幡宮の開基は725年。

一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。   御祭神は、誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)。

「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略

大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。

よって、大分の宇佐八幡宮も、 『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。
392名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 16:35:43.07ID:njbJ3Bxk0
倭人伝の数字を見たら判るが殆どが奇数だろう。偶数は使ってはいない
シナ人は奇数を好むから、だから本当は二千戸の家があったとしても三千戸とか
五千戸と記載するから実際の数の最低でも倍は大きく書いている。
2019/07/15(月) 16:38:30.42ID:sb1P+CzS0
徳島に「ヤマタイ」ないし「ヤマト」ないし「ヤマイ」って地名ある?
2019/07/15(月) 16:41:11.61ID:TOMbaaO60
>>389
宇佐神宮は丹朱な
阿波は何もない
395名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 16:43:05.77ID:f/eJXn1K0
丹朱ってなに? 九州お得意のベンガラじゃないの?  @阿波
396名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 16:47:44.11ID:ks/w5TN80
近畿ヤマト政権は北九州糸島にあったイト国が前身
イト国は 邪馬台国連合の一つだったが 日向に進出し
東征後 大勢力を形成し 邪馬台国を土蜘蛛として 滅ぼした
記紀編纂時 前身イト国を 漢の属国を隠すため
高天原時代の話にして 隠ぺいした

唐人からみると 邪馬台国の後継国だし
和人からすると イト国の後継国になる
2019/07/15(月) 16:47:55.49ID:TOMbaaO60
>>391
社伝は秦氏が宇佐神宮を乗っ取った後に書き換えられている
その前から宇佐神宮はある
ほかの八幡も秦氏の背乗りグループ
宇佐神宮の正確な元宮は身許山にある大元神社
身許山の山頂には古神道の太陽を使った磐座の祭祀跡が残っている
2019/07/15(月) 16:48:43.62ID:rS6CvGSl0
>>393
大和町があるし山田とかも有りと考えると日本全国津々浦々
399名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 16:49:08.57ID:f/eJXn1K0
九州の古墳って、九州お得意のベンガラを副葬するんだって?  わははははは  @阿波
2019/07/15(月) 16:51:36.09ID:rS6CvGSl0
個人的には、邪馬台国奄美大島説が好きだ
2019/07/15(月) 16:52:03.41ID:f/eJXn1K0
>>397
いかにも胡散臭い出自だね。  @阿波
2019/07/15(月) 16:56:12.48ID:sb1P+CzS0
>>398
そうか「ヤマタ」も入るのかwこれは俺の近所の山田町あるな
2019/07/15(月) 16:56:19.48ID:f/eJXn1K0
>>393
さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。

久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。

一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。

一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。

さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。

まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。  @阿波
2019/07/15(月) 17:15:45.85ID:JIsaOEE/0
村上水軍と上総の村上氏と信濃の村上氏って何か関係あるの?
2019/07/15(月) 17:19:07.69ID:f/eJXn1K0
神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が、全国で唯一、式内社「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 、「宇志比古尊」を祀るはずがない。  後は推して知るべし。   @阿波 
2019/07/15(月) 17:19:24.14ID:+wX6lxfm0
ちょいと出遅れたが赤色顔料の件でひとこと言いたい。。
「丹とは辰砂(ヴァーミリオン)のことである」という誤解が、ネットにはびこってるんだよな。
もちろん辰砂も丹(朱丹)ではあるが、鉛丹(レッドリード)は鉛丹だし、
ベンガラ(ベネシャンレッド)は鉄丹だ。さらに奈良の枕詞である「青丹(緑青)」に至っては
赤ですらなく、「鮮やかなカラー」を指す言葉になっちゃってる。

>>312
おお、すごい!
自分の好きな本を他人にも読んでもらえるのは嬉しいもんだ。
2019/07/15(月) 17:23:19.73ID:f/eJXn1K0
>>406
>「丹とは辰砂(ヴァーミリオン)のことである」という誤解が、ネットにはびこってるんだよな。

だから、九州の古墳って、九州お得意のベンガラを副葬するんだって?  わははははは  @阿波
2019/07/15(月) 17:25:53.34ID:dpfBMqWv0
板野の黒谷川郡頭遺跡の黒谷川の北側エリアの半分以上は板野町大寺字山田畑なんじょ
https://goo.gl/maps/zBQMpBteTkPWtJqP7

大寺字郡頭・山田畑・野神の最低三つの字にまたがってる遺跡なん、
工事した所しか発掘されてないんで全貌はまだまだ不明なんじょ。

「ヤマダ」と「ハタ」ちょっと意味深な地名かもなあ。
2019/07/15(月) 17:34:59.11ID:f/eJXn1K0
板野の「黒谷川郡頭遺跡」

この遺跡も魅力的だよね。  奈良や福岡にあれば、天下を取ったように言うんだろうね、きっと。 奈良や福岡はヘボい集落しかないからw   @阿波
2019/07/15(月) 17:41:53.90ID:+wX6lxfm0
>>371
どうでも良い話だが、その吉野川の中州の対岸の八幡にある粟島神社の、
今の祭神は阿波津媛命なんだよね。

>>1  しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ

の謎が、昨晩 粟島といっしょに解けた気がしたんだが、まだピースが足りん。
イザナギ・イザナミ夫婦の犯した禁忌の代償を背負った淡島神は、やはり阿波には居ないのか?
2019/07/15(月) 17:43:05.47ID:JIsaOEE/0
>>402
ヤマダ電機なら近所にある🙏
2019/07/15(月) 17:45:00.59ID:f/eJXn1K0
この辺りは、鳴門の萩原・大麻に近く、鳴門・板野古墳群にもなっているね。

国府・石井の気延山古墳群との双璧を成している。  @阿波
413名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 17:57:19.31ID:6Evj7bmk0
>>107
ぱっぱ
2019/07/15(月) 18:25:05.37ID:MjMMtAc60
倭国に上陸して陸行したのちにまた水行するということは準構造船(倭人の船)を使ったと
仮定して、こんな船で水行何日かけてどこまでいけるのやら

http://inoues.net/science/war.html
この船を”なみはや”と名づけ、実際に海に浮かべて漕いでみますと、非常に安定が悪く、
そのうえなかなか進みません。50cmの高さの波がきただけでもバランスを失ってひっくり
返りそうです。1mもの波がこようものなら漕ぎ出すのは到底無理なことです。また喫水が
浅いため少しの風でも倒れそうになるので、天理の東殿塚古墳から出土した土器の絵の
ように、帆のようなものを立てるなどという事は、現実的に絶対に無理なことでした。

結局、船を安定させるため何百キロという重りを底に入れて、大学のボート部の学生に、
古代の人が渡ったであろうと思われるコースで、玄界灘を越えて韓国に向けて漕いで
もらったわけですが、これが殆ど進みません。そのまま漕いで行っても、一体何日かか
れば港に到着するのか、見当がつかないほど進みません。

http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_73.htm
いっぽう、帆の構造上の関係で揚力を利用できない帆掛け舟の場合には、順風ないしは
それに近い後方よりの風でしか前に進めないうえに、風速以上の船速を出すことはでき
ないから、きわめて走行能力が低くなってしまう。しかも、逆風などの場合には帆をたたむ
しかないわけだし、また、たとえそうしたとしても風下に流されるのを避けることはできない。

遣唐使船は言うに及ばず、江戸時代の千石船や北前船にいたるまで、我が国の船はほと
んどが船央付近に帆柱をもつ「帆掛け舟」であったから、行く先々の港で風待ちをしながら
順風だけを頼りに進まざるをえなかった。したがって、このような船に乗って安全な沿岸地
帯を離れ、風向きの一定しない外洋に出てしまった場合には、風浪に翻弄され、目的地に
着く前に難破したり漂流したりしてしまうのがむしろ自然なことであった。

遣唐使船の復原模型をみたかぎりでは、その帆は二枚ともに相当大きな長方形の麻布製
で、帆裏には竹材や葦のようなしなやかで強靭な補強材が密に編みそえられてあったよう
である。迅速に上げ下げするのが難しいこのような重たい帆だと、それでなくても高い船の
重心がさらに高くなり、順風であっても強風の時などには帆柱全体に強い力が加わり不安
定になってしまったに違いない。しかも、上部になるほど受ける力が小さく風向きに合わせ
て帆の角度を自由に変えられる三角帆や、上げ下しが容易でマストの先端に近いほど小
さくなる洋式帆船の複層帆と違って、下部よりもむしろ上部のほうの幅が広い和船の帆は、
力学的にみても相当に無理があった。

たとえ同じ大きさの力であっても、帆柱の先端よりにその力が加わると、テコの原理によって
支点にあたるマストの根元付近や船の本体にかかる力は大きくなる。だから、突風や強風
に煽られるとマストが折れたり、船が不安定になって傾いたりすることは頻繁に起こったこ
とだろう。

悪名高い倭寇について述べた明時代の文献には、「倭寇の使う船は船底が平で波を切り
裂いて進むことができない。その帆布は中心線が帆柱と重なるように張られており、中国船
のごとく帆の端線が帆柱と重なるようには張られていないから、順風を使うことしかできない。

逆風や無風の状態になると帆柱を倒して艪を使うのだが、思うようには航行できないから、
倭寇の乗る船は東シナ海を渡り切るのに一ヶ月余もかかってしまう」といった意味のことが
述べられている。
2019/07/15(月) 18:53:30.79ID:SeOSsr260
>>304
唐古鍵は解体され木箱に入れられたとみられる馬の骨や
馬の頭部の埴輪が出土してる。
2019/07/15(月) 19:07:22.28ID:SDYhuzPq0
>>73
わざわざ「破壊しろ」とまで言うのは怪しくないか
2019/07/15(月) 19:08:02.16ID:f/eJXn1K0
>>415
唐古鍵から馬の骨?  @阿波
418名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 19:10:31.47ID:iQlJ3Vfa0
日本の記紀では

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が生まれ

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)から
まず天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが
この、綿津見大神(豊玉彦)

その後奈良に
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)

が生まれて

素戔烏尊が奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を奈良の天照大神尊に国譲りした

魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらったのが
この、奈良の天照大神尊と出雲の素戔烏尊の連合国
419名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 19:22:31.23ID:iQlJ3Vfa0
日本の記紀では

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が生まれ

伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが
この、九州の綿津見大神(豊玉彦)の国

その後奈良に
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)

が生まれて

素戔烏尊が奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を、奈良の天照大神尊に国譲りした

魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらったのが
この、奈良の天照大神尊と出雲の素戔烏尊の連合国

そして

出雲に派遣していた、奈良の天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)の
息子の炎尊(ほむらのみこと)火遠理命(山幸彦)が九州の綿津見大神(豊玉彦)の国に亡命して、綿津見大神(豊玉彦)の国の王となり、

その孫の神武が
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらった
奈良の天照大神尊と出雲の素戔烏尊の連合国をのっとって
天皇を名乗った
2019/07/15(月) 19:27:59.36ID:GiTea4OP0
九州、畿内は男神
四国は女神の国
こんなわかりやすいキーワードを残してるのに
2019/07/15(月) 19:29:04.56ID:SeOSsr260
>>419
>その孫の神武が
・・・・・・
>天皇を名乗った
それは時代錯誤、時代考証ができてない
2019/07/15(月) 19:29:03.32ID:f/eJXn1K0
>>418
>その後奈良に

なんで、ここで奈良が出てくるの? 勝手に奈良をもってこないように。  @阿波  
423名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:30:34.89ID:fFWxLitV0
記紀に魏は神功皇后のこじつけ以外出て来ないのがな
2019/07/15(月) 19:36:25.83ID:f/eJXn1K0
>>419
>この、九州の

なんで、ここで九州が出てくるの? 勝手に九州をもってこないように。  @阿波
2019/07/15(月) 19:36:42.28ID:uwCiPVAA0
>>423
まあ、 記紀は白村江の戦い後の敗戦後に中国に対抗して書かれたものだからね。
だから中国に朝貢した倭王(卑弥呼)はいなかった
神功皇后は朝貢したけどあくまで皇后で倭王じゃないよってことにしてる
426名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:44:15.07ID:f/eJXn1K0
畿内第V様式土器はあくまで、厚型重量弥生式土器。 そんなものの文化斉一性に意味はない。

文化的斉一性が見られるのは、軽量薄型丸底土器。 いわゆる「東阿波型土器」なのである。  @阿波 
427名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:49:04.34ID:f/eJXn1K0
鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。

中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、東阿波型土器と呼んでいる。   @阿波
428名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:49:38.30ID:yYCuglkG0
>>408
なんじょって方言使うんですね
熊野、南紀の親戚が使うから懐かしい
2019/07/15(月) 19:50:16.57ID:t14Dk8w30
>>414
野生号 仁川から博多まで47日
なみはや 大阪から釜山まで34日
まあ、妥当なとこだろう

九州説の中には、帯方郡から九州上陸まで1000数百キロを水行十日だと言い張るアホがいる
沿岸航行の時代に、東シナ海を横断して呉と畿内が交流してたと言うアホもいる
430名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:52:18.55ID:iQlJ3Vfa0
>>420
九州は綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」
出雲は素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」
2019/07/15(月) 19:53:18.86ID:DQGSf6FA0
オラが街の邪馬台国
432名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:53:19.95ID:f/eJXn1K0
企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。 土器製作専業集団によるものだろう。

類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。   @阿波
433名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:53:25.89ID:iQlJ3Vfa0
>>424
日本の記紀にそう書かれているんだからしょうがない
434名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:54:14.38ID:iQlJ3Vfa0
九州は綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」
出雲は素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」

日本の記紀にそう書かれているんだからしょうがない
435名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:54:43.23ID:TQtwtnzK0
ネットで難波の語源をみると波が早いとか書いてあって大阪のどこが速いんだと納得行かなかったが、阿波から大阪行くときは鳴門海峡近く通るから確かに早いとか早合点だよな
436名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:55:37.15ID:zWKAUubO0
さすがに徳島では、つじつまが阿波ない
437名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:56:29.86ID:f/eJXn1K0
>>433

日本の記紀に、九州や奈良って書いてあるのかね?  だから、トンデモ説って言われるんだよ。  @阿波
438名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:58:37.16ID:njbJ3Bxk0
邪馬台は山と門の合成語、しかも隣国との紛争中なので武器が出土して当然、
倭人伝の方角は伊都国から見たら南の方角であり日が昇ってくる東の方角では無いから
誰が考えても福岡県久留米市〜みやま市〜大牟田市にかけての広大な地域が
邪馬台国となる
439名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 19:58:43.43ID:fFWxLitV0
なみはやのは他の船に引っ張って貰っての話やん
検証としては失敗の部類やろ
2019/07/15(月) 20:02:38.48ID:MjMMtAc60
>>439
それほど進まないという傍証だな
2019/07/15(月) 20:03:54.26ID:TOMbaaO60
野生号は帆がないインチキ船
当時の対馬海峡の船は帆があった
442名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:04:14.93ID:iQlJ3Vfa0
九州は綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」
出雲は素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」

奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」が
出雲は素戔烏尊の「葦原中国」を併合し

出雲は素戔烏尊の「葦原中国」から山幸彦が
九州は綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」に亡命し

山幸彦の孫の神武が、九州は綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」から出て
アマテラスから十種の神宝を授かった奈良の饒速日命(ニギハヤヒ)を服従させて

奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」に移り住んで、
天皇を名のって、奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」を治めた

日本の記紀にそう書かれているんだからしょうがない
2019/07/15(月) 20:05:10.79ID:+wX6lxfm0
>>439
継体帝の石棺に使われた阿蘇ピンク岩の輸送を再現した「大王のひつぎ実験航海事業」
https://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/10hitugi/hitugi.html
こっちはけっこう頑張った。

>>434
アマテラスは大和の地ではよそ者だな。
444名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:05:50.51ID:iQlJ3Vfa0
>>437
書いてあるよ

んなことも知らないから四国だなんてマヌケこと言うんだよ

m9(^Д^)プギャー
2019/07/15(月) 20:07:25.78ID:MjMMtAc60
>>441
当時の帆掛け船は
>行く先々の港で風待ちをしながら順風だけを頼りに進まざるをえなかった。
かもしれないそうだから遅々として進まなかったかもしれないね
またこんなことも

>悪名高い倭寇について述べた明時代の文献には、「倭寇の使う船は船底が平で波を切り
>裂いて進むことができない。その帆布は中心線が帆柱と重なるように張られており、中国船
>のごとく帆の端線が帆柱と重なるようには張られていないから、順風を使うことしかできない。
>逆風や無風の状態になると帆柱を倒して艪を使うのだが、思うようには航行できないから、
>倭寇の乗る船は東シナ海を渡り切るのに一ヶ月余もかかってしまう」といった意味のことが
>述べられている。
446名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:07:31.81ID:0fl3KS190
なにわ、な庭、なんば、難波
丹波、丹庭、たんば、
神庭、かんば、

元は庭、波は関係ない

朝庭の庭と同じ意味やな
447名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:10:51.90ID:+9fOU5p40
>>389
いやお前は糞食ってればオケ
448名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:12:10.02ID:TQtwtnzK0
>>446
では難波は、なん=南 = ミナミの庭の意味だな。時代が大分違うと思うが理解した。
449名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:12:50.21ID:+9fOU5p40
>>437
倭奴は九州だよカスwww
450名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:13:10.54ID:zWKAUubO0
まぁ、書き起こされる前は、原典の無い口承文学の世界だからなぁ
おまえらの先祖とかいちいち理屈っぽいキモヲタ気質の奴が当時もいて、
「えー、然れど吾は覚束なく覚ゆ!」などとケチつけてくるたびに
「チッ、いとわづらはし」と思いながら修正を加えていった産物

必ずしも真実しか書かれていないというわけでもなかろう
451名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:14:06.72ID:+9fOU5p40
>>448
魚庭だろアホ
452名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:16:48.73ID:TQtwtnzK0
>>451
大阪の地名の語源なんか知るかボケ
453名無しさん@1周年
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2019/07/15(月) 20:17:21.63ID:0fl3KS190
妄想を一つ
話は倭国の建国前、紀元前に遡るのだ
日本海側の二大勢力の王が追放されるんだな

神庭と丹庭

神庭の王族と丹庭の王族が上町台地〜泉北丘陵逃れてきたんだよ
上町台地は今で言う難波、堺は八衢だな
その結果、丹後半島に遅れて淡路島や池上曽根遺跡など畿内周辺で鉄工房が始まった
八衢の人々と逃れてきた神庭と丹庭の人々が一緒になり、クニ作りを始めたんだな
記紀でいう大国主とスクナヒコナのクニ作り
本当は丹後半島から逃れてきたヤマタノオロチ、八衢のオロチも一緒に国作りをしたんだよ

クニはクナ、魏志倭人伝でいう狗奴国
後にヤマタノオロチは伊吹山に移ったんだろう
伊吹山の麓、稲部遺跡で鉄が見つかっている
454名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 20:18:00.94ID:fFWxLitV0
>>443
読んでみたけどすげえ
ただ純粋に石を運ぶ事のみに特化した結果な気はするが、凄いのは変わらないか
2019/07/15(月) 20:19:31.87ID:+wX6lxfm0
>>446
万葉集の柿本人麿の歌
 飼飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船
でも「庭」という認識だね。木村紀子先生によると「魚(な)の庭」
つまり豊穣な(朝廷の御食どころの)海。。
456名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 20:22:01.37ID:f/eJXn1K0
>>438

「丹」の採れない北部九州に、邪馬台国が在るわけがない。 

天皇が近年まで行幸したことがない北部九州に、邪馬台国が在るわけがない。   以上。   @阿波
457名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 20:22:32.32ID:W6wCtMHI0
前から気になっているんだが
卑弥呼 という名前に当てている漢字はどうにかならんのか?
なんで、ネガティブな卑しい という字を使うのか。

これは、後から卑弥呼が気に食わなかった奴が付けた名前という気がする。

もっと良い感じを当てられないものか。

陽御來 とか 緋美娘 とか

なんかいい字は無いか?
2019/07/15(月) 20:23:05.01ID:LKrTKOVw0
>>2
>>空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。

とれねえよ馬鹿
459名無しさん@1周年
垢版 |
2019/07/15(月) 20:23:37.41ID:f/eJXn1K0
>>442

日本の記紀に、「九州」や「奈良」って書いてあるのかね?  だから、トンデモ説って言われるんだよ。  わははははは   @阿波
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