【地域】「福岡の迎賓館」西鉄グランドホテルが開業50年。名誉総料理長「ホテルのレストランで洋食を楽しむ文化は、ここから広がった」
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190724-00000008-san-l40
福岡市中央区の西鉄グランドホテルが、開業から50年を迎えた。半世紀にわたり、「福岡の迎賓館」を掲げ地域の発展を支えてきた老舗ホテルは、
洋食文化を浸透させた草分け的存在でもある。「ホテルのレストランで洋食を楽しむ文化は、ここから広がった」。名誉総料理長の磯山俊二氏(71)が
産経新聞の取材に応じ、開業当時の熱気や伝統の味への思いを語った。
《ホテルは昭和44年4月21日に開業した。レストランのスタッフとして入ったのは、20歳のときだった》
大阪など各地から約100人の料理人が集められました。私は岡山からです。真新しいホテルはかっこよかった。周囲にまだ高い建物がなく、
門構えには重厚感があった。前の通りには路面電車が走っていました。
レストランは5つあり、洋食、中華、和食と世界の味がそろいました。14階にあった高級フレンチの「スカイシャトー」では、味にコクをもたせた
「これぞフランス料理」というメニューを出していた。連日盛況で、エレベーター前に行列ができたほどです。
当時福岡では、ホテルでの食事はまだ一般的ではありませんでした。「ここでの食事に憧れた」。お客さまはそう言い、スーツにネクタイ姿で来られました。
「福岡の迎賓館になろう。ホテルで食事を楽しむ文化を発信しよう」。スタッフにはその思いがありました。
調理場は目の回る忙しさでした。私の最初の担当は肉や魚の下ごしらえ。朝5時台の電車で出社し、休みも取れない日々を送りました。
それでもつらい、しんどいという感覚はなかった。20代が多数いる中、仕事をもらえることが喜びでした。技術を持つ料理人の姿を間近で見るのも楽しかった。
《昭和53年にホテルニューオータニ博多、平成元年にホテル日航福岡が開業するなど、競争は激しくなった》
地場のホテルとして、地元密着でやっていく。培ってきたものを守り、提供するという意識でやってきました。
ここならではの「体験」を重視し、お客さまの目の前で料理の仕上げをしたり、1万円のカレーなど話題性のあるメニューも提供したりしてきました。
最も大事にしてきたのは「伝統の味」です。盛りつけなどの見た目に流行を取り入れても、味や風味は基本的には創業当時から変わりません。
ビーフシチューや(伊勢エビ料理の)テルミドールなど、当初から親しまれる料理があります。ビーフシチューのソースは、ワインの煮詰め方でできあがりが変わり、
色付けも含め、料理人の感覚が問われます。
お客さまは、西鉄グランドホテルの味を覚えておられる。ショートケーキで生クリームの味を変えた際、パティシエが変わったのかと聞かれたことがありました。
名物料理は私たちが決めるのではなく、お客さまが作るものです。「あの料理をもう一度食べたい」「この料理は外せない」。その声に応え、味を忠実に守ることで、
名物が生まれるといえます。
《平成14年に総料理長に就任し、26年まで12年間務めた》
「自分の料理に責任を持て」と、スタッフには厳しく言いました。100点の料理を100点のまま席に届けるよう、作った料理をすぐに出すことを徹底しました。
■磯山俊二・名誉総料理長 伝統の味、忠実に
伝統の料理を新しく見せるため、従来にない技法を取り入れるなど工夫も凝らしました。電車の中でも他店で食事をしたときでも、
使えると思ったものは必ずメモをする。料理人たちも、考えたアイデアをよく持ってきました。
福岡日仏協会の記念パーティーが開かれた際、フランス国内の地方料理を出しました。現地の方に「懐かしい。すばらしい」と言われたのはうれしかったですね。
「福岡の迎賓館」という思いをみんなが持てば、それだけの料理やサービスが提供できる。50年がたち、古いという見方があっても、磨き続ければ光る。
愛情と自信を持つことが、良いホテルを作ります。
思い出されるのは、歴代の料理長の厳しい姿です。納得できない料理は絶対に出さなかった。
幹がしっかりしていれば、どれだけでも枝葉は広がります。創業当初からの姿を、これからも守ってほしいという気持ちが一番ですね。
【プロフィル】磯山俊二
いそやま・しゅんじ 昭和23年、岡山県生まれ。44年、西鉄グランドホテルに入り、平成14年に第4代総料理長に就任。26年から名誉総料理長。
10年にフランス料理界最高の名誉の一つ「ディシプル・ド・オーギュスト・エスコフィエ」受章。22年にフランスの食文化に貢献した人に贈られる「シュヴァリエ章」受章。 修羅国の迎賓館って、どんな修羅達がやって来るんだろ? ホテルのレストランで洋食を楽しむ文化って50年前から始まったのか!(笑)
なんでそんな嘘を付くんだ?
帝国ホテル」創業当時から125年かけて変わらぬ味と食の歴史 西鉄グランドはショボくて古臭い
建て替えるにしても金がない >>7
建て替える金が西鉄にないことはないと思う。金の話ではないんだろう。 国内の大学が、日本に打撃を与えるには別府・福岡・長崎に行かないことだと入れ知恵している。
松山大学・張貞旭「最も効果的な日本ボイコットは別府・福岡・長崎に行かないこと」 ネット「工作員みたいなのを教授にしてる松山大学…
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1563268157/ ホテルって大変だよな
あんな大きい物件でもいずれ古くなる
古くなると客足も鈍る
さぁどうしましょうという感じか まさかリッツカールトン西鉄グランドとかアホな名前になるんか? https://nnr-h.com/grandhotel/
なにこのショボいホテルwwwwwwwwwwwwwwwww 当時の長崎の出島なんかには外人専用の
ポルトガル料理店とかスペイン料理店とかあっただろうな
洋食の起源はこのあたりか >>9
金があれば数年前に建て替えてるよ
天神ビッグバンに乗り遅れた
近所にリッツカールトンもできるから
いよいよ終わるぞ西鉄グランドは 50年前っていうと普通にうちは家族でフレンチを食ってたぞ。
まあ場所はパリだったけど。 >>18
リッツカールトン建てるの西鉄連合だけどね >>18
自社ビルである福ビルと天神コアを建て替える西鉄がビッグバンに乗り遅れたとは? 50年前の福岡にはホテルで食事の習慣が無かったという話か
ファミレスならロイホがあったのにね >>25
そもそも当時の福岡にシティーホテルがなかった模様… 76年、太平洋クラブライオンズがメジャーリーグの名称レオ・ドローチャー監督の招聘を発表、当時の週刊ベースボールの選手名鑑には住所も当たり前で載ってて、ドローチャー監督の住所は「西鉄グランドホテル」だった。
ところが70代の高齢で肺炎とかでついに来日する事は無かった。
開幕前に鬼頭政一ヘッドコーチが監督昇格、2シーズン務めた後78年に根本陸夫監督が就任し、やはり西鉄グランドホテルが住所になってた。当時のホームグラウンド平和台球場はすぐそこで。
が、1年で所沢移転となってしまった。 >>16
領事館のお抱え料理人はいたかもしれないが
外食できるような店はないだろ 福ビルに金持ってかれてるから
西鉄グランドに出す金なんてねーだろ 鉄道会社が持つ最高級ホテル
西武 プリンスギャラリー紀尾井町 (マリオット系列)
東急 キャピトル東急(自ブランド)
阪神 リッツカールトン大阪 (マリオット系列)
近鉄 マリオット都大阪 (マリオット系列)
JR東海 マリオットアソシア(マリオット系列)
西鉄 リッツカールトン福岡(マリオット系列) 西鉄グランドホテルといえば、旭・ひばりの劇的再開の場所 こんなほのぼのニュースで必死であら探ししてる奴なんなん
青葉になるなよ >>26
呉服町の博多大丸(のちにエレデ寿屋)の中に帝国ホテルがあったんだけどな 福岡人は本州関東関西への劣等感で精神を病んでるからこれくらいの嘘は許してくださいお願いします 創業時の西鉄グランドホテルにジャイアント馬場さんを見たよ。デカかった。
太平洋クラブライオンズの時外人選手の子供とプールに入った。 そもそも福岡にはグランドホテル創業時にはヒルトンというお城のようなホテルがあってだな >>7
は?
福ビル天神コアビブレが一体開発するんだが そういや、わいが大学を卒業し宮殿に入った年に開業したな
社会人になって最初の給料でおとんとおかんにご馳走したわ
開業60周年の時にもわいが生きてとかどうかは分からんが、
とりあえずはおめっとさん >>33
んで亡くなる前に小倉で倒れて、西鉄グランドから程近い済生会福岡病院に入院と >ホテルのレストランで洋食を楽しむ文化
昭和の世代ならそういう文化があったという思い出があるのかもな。
今の時代だと、ホテルのフレンチとか、値段が高いだけでレベルは悪くはないが、そこまでの味でも。
ホテルじゃないほうが圧倒的に美味いフレンチ多いよなあ。 >>7
確か来年か再来年に建て替え工事が始まるんじゃなかったっけ? >>49
泊まるわけじゃなく食事だけを目的にホテルに行くというのが新しかったって話 >>15
まあ福岡でもかなり歴史のあるホテルだからねえ…。
まもなく建て替えになるみたいだけどねえ。 ああ、新宿の中野よりにあるな
あれ、東京新宿ってアピールするのか?w >>49
味はそうだけど空間はやっぱホテルだなあ。
リーズナブルで美味しいお店って店内狭いのが大半だからね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています