室町時代の鬼瓦。角は鎌倉時代の1本から室町時代に2本に増えた=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/07/29/20190729oog00m010035000p/9.jpg
ハスの花びらに線が入った新羅の軒丸瓦=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/07/29/20190729oog00m010036000p/9.jpg
豊浦寺跡(明日香村)で出土した軒丸瓦。ハスの花びらに線があり、新羅の影響を受けているのが分かる=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/07/29/20190729oog00m010037000p/9.jpg

 緑豊かな丘陵に位置する帝塚山大学東生駒キャンパス(奈良市)の一角にある建物に、考古学研究所と付属博物館が併設されている。東アジア(日本、朝鮮、中国)の瓦約7600点を所蔵し、規模と質は日本有数、朝鮮の瓦は最多という。瓦からは、文献では分からない古代史の実像が浮かび上がる。【大森顕浩】

 常設展示室の片隅に、いかつい顔をした鬼瓦が並ぶ。「日本の鬼瓦は角が鎌倉時代は1本、室町時代から2本になるのです」。研究所長と博物館長を兼ねる同大教授の清水昭博さんが解説してくれた。鬼瓦の歴史を、源流の中国の品も含め展示で学べる。

 豊富な瓦の所蔵品は1982年と89年、研究所の前身の帝塚山考古学研究所が朝鮮瓦の収集家から計約2700点を購入したのが始まりだ。その後も収集家からの寄贈が続き、現在は朝鮮半島が約3000点、中国は約150点、日本は約4500点に及び、ほぼ全時代を網羅する。古代瓦研究の第一人者として知られた森郁夫さん(1938〜2013年)が研究所長を長年務めた。

 付属博物館は04年開館。学生の博物館学芸員の資格取得に必要な博物館実習を学内で担いつつ、一般向けの展示もする。研究所の瓦も移管され、現在は瓦を含め、考古、民俗、美術の各分野で中国鏡や絵馬など計約1万点を所蔵する。

 瓦の魅力について、自らも古代瓦を研究する清水さんは「歴史の生き証人という点です」と力説する。

 日本書紀によると588年に古代朝鮮・百済から「瓦博士」と呼ばれた技術者4人が来日し、国内最初の寺院・飛鳥寺(明日香村)で瓦が初めて使われたとされる。「国内の瓦作りは奈良で始まったのです」と清水さん。「7世紀末に藤原宮の宮殿で登場するまで、飛鳥時代で瓦のある建物はほぼ寺院だけ。瓦が出土すれば、文献にないものも含め寺院の様子が分かる」と指摘する。

 例に挙げるのは聖徳太子が造営したとされる法隆寺(斑鳩町)と四天王寺(大阪市)。両寺とも創建当時の軒先を飾る丸い軒丸瓦には同笵(どうはん)(同じ鋳型)のものがあり、ともに聖徳太子が関わったこととも符合する。実は三郷町の遺跡周辺でも同笵の軒丸瓦が確認されている。清水さんは「瓦が見つかった一帯は聖徳太子と何らかの関連があった」と推測する。

 瓦からは技術や文化の伝来もうかがえる。古代朝鮮の3国、百済、新羅、高句麗の軒丸瓦と似た文様が、日本の寺院跡でも確認されている。仏教の象徴、ハスの花を表現する文様で、百済の特徴は花びらの先端にある丸い膨らみや切り込み、反りだ。飛鳥寺や法隆寺、四天王寺の出土品にもある。豊浦寺跡(明日香村)の出土品は花びらに線が入っているのが新羅と同じで、そのルーツは中国・南北朝時代(5〜6世紀)の南朝にあるという。

 高句麗はハスのつぼみと、直線やつる草を交互に並べるのが特徴で、西安寺跡(王寺町)に例がある。高句麗の瓦は赤色だが、西安寺跡は灰色。色を出す焼き方は百済と同じなのが興味深い。瓦の伝来は文献上百済なのだが、新羅や高句麗、さらに源流の中国の影響も分かるのだ。

 研究所では瓦と古代寺院をテーマに定期的に研究発表会を開催している。博物館と共催で市民向けの古代史講座も開く。近年は韓国の研究機関との協力も進む。海外にある半島由来の文化財を調査する韓国の「国外所在文化財団」と共同で、博物館所蔵の瓦を調査する。韓国瓦学会とは瓦の製作実験などで交流を図る。高句麗は現在の北朝鮮に当たるため、韓国にとって高句麗の瓦は貴重という。

 瓦を1点ずつ高精細な写真に撮影してデータベース化する作業も進めている。清水さんは「国内外の幅広い研究者に利用してもらえれば」と話す。

毎日新聞 2019年7月29日
https://mainichi.jp/articles/20190729/ddl/k29/040/292000c?inb=ra