【古代】邪馬台国論争、議論は永遠の平行線★4
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。
ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。
折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。
結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。
高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。
土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。
ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀−との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。
論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。
交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。(文化部次長 古賀英毅)
西日本新聞 2019/7/27 10:40
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/
★1:2019/07/29(月) 23:59:18.84
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1564555663/ やまと → 邪馬台(当時の中国語速記官の適当な当て字)
だろ? >>1
>結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
それはない。
卑弥呼時代をさかのぼること900年前に成された「神武東征」を明らかにすれば済む。
また、卑弥呼時代を少し過ぎた時期に「日本武尊ヤマトタケル」が、近畿から九州南部に熊襲を征伐に出かけてる。 卑弥呼と大和政権のあいだに中国でも日本でも史料が乏しい「謎の四世紀」が挟まるのが元凶 >>1
解決しちゃったら片方は飯の食い上げですもんw >>1
実は邪馬台国論争はもう終わってます
九州説は学術的根拠のない俗説です
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c >>6
神武は、北九州の出身でなく南九州の出身。
神武が南九州から近畿を目指したのは、その当時、近畿が日本最大の繁栄地であったからだ。
もし北九州が栄えていたなら、目と鼻の先の北九州を目指していたろう。 ヤマタイの位置九州説は、九州男児の「ヤマたい」的な口調から来ているとかつて信じていた 陳寿の記載は邪馬壱国(やまいちこく)
邪馬台っていう記載が間違い、故に、、、、、、、古田説 いいことひらめいた
鬼道の達人卑弥呼は吉備の王
卑弥呼の末裔の鬼族を滅ぼしたのが吉備津彦=桃太郎
俺って賢くね? >>11
中国の歴史書の記述が概ね正しいと言うのは
中央アジアでも証明されつつあるからね
まあそれは学者さんたちに任せておけばいい
しかし学者の大半が大和説と言うのはあらためて驚きだな 東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨 >>3
わいもそう思う。または東大阪か、河内あたり。昔の大和川がその名前のなごり。 >>6
考古学的証拠からは、九州に前方後円墳が現れるなど畿内の文化が九州を制している
邪馬台国が九州にあったのだとすると、邪馬台国は大和政権に滅ぼされたことになる
東遷云々は神武東征を邪馬台国と結びつける在野研究家のヨタ噺 >>25
なるほどサンクス
邪馬台国がどこにあろうが
大和の権力が国内を制圧したと言うことだね ところで邪馬台国のこと書いてるという魏志?魏書?三国志?詳しく知らんけどその実物って今どこにあるの?
中国の博物館? >>1
そもそも魏志倭人伝の記述に信憑性がない。
倭国の人口が大幅に誇張されている。
さらに当時の倭人は文字が書けない。
この状況で邪馬台国を特定するのは不可能。
金印が出れば話は別だが。 コピペ馬鹿が薦める方が間違いだとよくわかるスレだな。
一人で50も60もレスしやがってw >>3
古代の九州博多にて。
「ここは、なんという国ですか?」
「ここは、ヤマトですたい。」
「ヤマトですたい。」
「ヤマですたい。」
「ヤマ…たい。」
「ヤマタイ!」
ばんざーい! \ミ^ω^彡/ &๑`^´๑&卑弥呼様ァァァァーーーーーー!!!!!!! >>18
陳寿は金で史書を創作してたことがバレてるけどな。
本国ですらそんなレベル東の夷国の事なんて、魏略から丸パクリよ?
そして魏略は漢書地理志と山海経をソースに書かれてる。
問題なのは山海経で、こいつが適当に歯黒国とか他にもいっぱい国を創作してる。
中国の史書が真実を書いてるなんて思わないのが第一歩 >>25
それが考古学手的に卑弥呼の死後からみられるという話の曲解。 中国の学者の指摘→「畿内説だと女王国の東にある倭種の国の説明がつかない」
畿内説だと東の海を渡り千余里にある倭種の国は東海または静岡だよな。
そしてその千余里が一日航海の距離という意味だと言い張ってた。
ならば、博多湾から投馬国(出雲)まで水行1〜2日で行けるよな。
畿内説は矛盾だらけの自己崩壊説だ。 >>39
中国の学者はそもそも短里を認めてないけどな。 >>41
中国の学者がBSの番組で邪馬台国は九州と言ってたけど
短里だろ 何にしても
@3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが東征して4世紀に大和朝廷になった
A3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが大和朝廷に3〜4世紀に征服された
B3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが大和朝廷になった
C3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが新興の大和朝廷に滅ぼされた
このどれかなんだろうな・・・ どっちでもいい。
宇宙人の話をしているに近い。
こんなものに熱中するやつは馬鹿。 歴史学者って学者なのっていいの?
感想文で殴りあってるだけじゃん。 邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
ここまでのまとめ
1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。
2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww
3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。
>>49
無いよ。だって近畿パーはリアルチョンだもん。 邪馬台国の時代って、今日みたいなクソ暑い日は
どうしてたんだろうな?
エアコンもないし。
冷たいビールもないし。
プールでもあったのか?
海水浴でもしてたのか?
なんか涼しくなるアイテムでも持ってたのか?
案外、そーゆーくだらねえ疑問から紐が解ける事もある。
邪馬台国はどこだ!卑弥呼はどこに居た?
皆いきなり本命から探ろうとし過ぎっしょ。
功を焦る気持ちは分かるが。 九州説と言うファンタジーをパヨクが捨てれば万事解決じゃね? >>25
DNAの研究で古墳時代に北部九州地域から日本列島全体に現代日本人が広がった事が判明している
神武東征もこの流れの一つだろう。 >>60
堀とかはあったみたいだから堀や川にどぶーんじゃないか、あるいは水浴びか >>32
こいつはいつも1日に100レス以上だぞw
あぼーんするとスッカスカになる >>62
魏志倭人伝を読んでの感想だから言語学者が適任者だろ。 ゴッドハンドに「邪馬台国↓」という木片を近畿と九州に埋めてもらって、先に発見した方が
邪馬台国名乗ればいいよ >>67
文章の読み方は知ってても、単里なんて知らんよ >>64
日向→紀伊半島→大和。
神武東征伝説どおりだ。
実際には崇神(ハツクニシラススメラミコト)なんだろうが。 天日槍は日本海側だけでなく瀬戸内海から姫路あたりに上陸しようとしてもめたと播磨風土記にも書いてあるからな
半島南部の倭人が手引きして大陸にいた人たちを北部九州経由で本州へ送り込んだのだろう ちなみにこの時代は遼東公孫氏滅亡で皆殺しとかかなり乱世。
もうちょっと後の時代になると五胡十六国時代でさらにカオス 畿内説と言うファンタジーをパヨクが捨てれば万事解決じゃね? >>70
中国の言語学の専門家が魏志倭人伝を読むと
短里を知らなくても邪馬台国の位置は北部九州だって理解したんだよ。 天皇家は古代にも2度断絶しているし、応仁の乱の時期にも遠縁から天皇を迎えている。
後花園天皇は、称光天皇とは8親等以上離れた続柄だ。
現在の天皇家は、この後花園天皇の直系。
後花園天皇の子の後土御門天皇なんぞは、葬儀の費用も無く、40日も御所に遺体が置かれたままだった。
まあ、貧乏人の子孫だ。 つかもう近畿パーって敗北するばっかだよな。
昔のブサヨとネトウヨの対決と似てる。
いつも中身無しでただ勝ち誇るだけの低脳ブサヨが
勝ち誇るごとにドンドン敗走していった。
クリソツな展開w まあ、まあ、みんな、落ち着いて!
みんなの意見を尊重して、数年毎の全国持ち回りにしようよ。
村おこしにもなるし、夢をみんなで体験しよう。
今年と来年は、グンマ−の高崎あたりにしてくれない? >>67
言語学者が古代の文献読んで、聖徳太子が実在したかどうかを
判断するのと同じ次元の愚行 >>73
まるで公園のような纒向遺跡を見て、そんな緊張感あふれる時代だったと感じとれるヤツは居ないな。 永遠にミステリーだから良いんだというバカが時々いるよね
なら、謎とき自体やめろっての 近畿パーってもう敗北確定してて、
使える武器が必殺自己紹介ビームとか
ただボケかまして許して貰おうとか
寒いシャレ言うとか
ただ単なるウソつくとか
ただ低脳丸出しで勝ち誇るとか
おいおい華麗な攻撃ばっかだな
流石近畿パー 隋書倭国伝も気になるんだよな。
阿蘇山も出てくるし、倭国王が阿毎多利思北孤。当時は女帝の推古天皇なのに。冠位十二階の記述もある。 九州土人の一部が騒いでいるだけ!
もう、人口推定や物証が多すぎて、
当時の日本の中心は近畿にあったことが実証されている。
当時の飛鳥遺跡から、全国各地の特徴を持つ、土器が発見されてるんだぞ。 >>85
阿蘇は高千穂、宇佐と並んで崇められていた聖地だからな
あと、聖徳太子から壬申の乱あたりの時代はどこまでが史実なのか非常に胡散臭い 機内か北九州か考える時に出雲勢力は無視出来ないと思うんだよね >>33
実はこれかなり有力らしいぞ
中国の漢字学者によれば山がちな日本の地形からヤマの音が入っている可能性が高いらしい 九州説を信じてる人達は近畿説の人達がどんなに決定的な証拠を見つけても認めないだろうな
浮気現場で抱き合ってるところを奥さんに踏み込まれても俺は浮気をしていないと言い張る馬鹿旦那のように >>86
日本の中心は近畿にあっても、魏と国交があったのは九州の邪馬台国だろ。
何も矛盾は無いぞ。 邪馬台国は倭国で最も大きい国なんて、どこにも書いてないからな。
日本列島に大きいクニが二つあったというだけのこと。 邪馬台国と大和国って偶然にしては名前が似すぎてるもんな @3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが東征して4世紀に大和朝廷になった
A3世紀に邪馬台国が九州に在り、それが大和朝廷に3〜4世紀に征服された
B3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが大和朝廷になった
C3世紀に邪馬台国が大和に在り、それが新興の大和朝廷に滅ぼされた
とにかくこのどれかだっちゅーの!
これと思うもの乃至はこれは絶対違うと言うのを明記してくれ
どうもCはなさそうだが・・・ 記紀に神武天皇が九州からやってきたと書かれているし、遺跡は九州の方が古い
九州説を無視するのはありえない >>76
言語学者が理解できるのは、書いてある文面までだ。
その解釈まで責任持てんよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています