0001樽悶 ★
2019/08/10(土) 22:51:36.23ID:B90MJ8jB9https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/08/10/20190810oog00m010002000p/9.jpg
葵祭の当日。筆者は籠神社前で葵祭ツアーのバスを迎えた。府中の人はみんな祭りに出ているから、この日は記者が案内役。私は手始めに丹後半島の歴史をひもといた。丹後の暮らしは縄文時代にまでさかのぼる。朝鮮半島から人が移り住み、稲作や製鉄、織物の技を発展させてきた歴史にもつながる。ここは日本の源流なのだ。
さて、葵祭。籠神社の主祭神は祭祀(さいし)を取り仕切る海部家の先祖で、神に稲の種を授かったと言い伝わる。春祭りは田植えを前に豊作を祈る重要な日。神輿(みこし)に乗って神社の周りを巡る中で神は再生し、祈りに応えるエネルギーを蓄えると信じられている。獅子頭を操る神楽は神が進む道を清め、「太刀振り」と呼ぶ剣の舞も人々の祈りが神輿に届くように切り払うのが目的だ。神輿が神社に戻った後には神の再生を喜ぶ太刀振りをささげる。明治初期までは高性能な農業機械も食料を保存する冷蔵庫もなかった。籠神社の海部穀成宮司は「災いから逃れて家族が飢えずに暮らすために、太陽に恵みを祈る祭りは一年で最も重要な行事だったのでしょう」と語る。
神社の神門前で私が解説し始めると、見物に訪れた人が集まってきた。みんな祭りのことを学びたかったのだ。宮津市街地に住む池田佳美さん(68)は「神輿を担いで回るのは、実りを願って手を合わせたいという人々に応えるためだったのね。祭りの見え方が変わりました」と話した。
葵祭は8自治会が神輿や神楽、太刀振りなどを分担して同時に神事を営む。だが、いつ、どこで、誰が、どんなことをしているのかを学ぶ機会は、実は今までなかった。練習が始まるのは1カ月前。代々の師匠が青年に受け継ぎ、それを子どもたちが見てまねる。府中の太刀振りは府の無形民俗文化財に指定されており、所作は洗練されている。しかし「なぜ太刀を振るのか」と尋ねると、どの古老も「そんなことを聞かれても……」と首をかしげていた。今回の特集は、神事の意味を探りだす糸口にもなっていたのだ。
中堅世代の長本隆志さん(56)は記事を読んで「我々も初めて知ることが多くて新鮮だった」と話す。祭りを滞りなく遂げるのは氏子の使命である。しかし、大事に受け継ぐ神事の「本質」を語る力を受け継ぐことも、とても大切だと気づいたという。今春、京都市内から長男の隆慈さん(26)が家族と一緒に帰郷した。次の世代に何を残すか。長本さんは「伝統の『形』に『心』を込めることで私たちの祭りはもっと楽しくなる。みんなで学んでいきたい」と語った。【安部拓輝】
毎日新聞 2019年8月10日
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