【甲賀】天満宮?それとも天満神社?名称統一巡り、氏子と宮司対立
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二つの呼称がある滋賀県甲賀市信楽町小川の「天満宮」「天満神社」の名称一本化を巡り氏子と宮司が対立している。神社本庁への登録や法人登記の神社名は天満神社で、住民らは台帳記録などを基に「本来の名称」という天満宮への変更を求めるが、宮司は「根拠がない」などと拒否。反発した全氏子約150人が署名を突きつける事態となっている。
地元関係者によると、天満宮は江戸時代に信楽の神山神社から分離。明治政府誕生後に「宮」号が使えなくなり、天満神社へと改名した。神社の国家管理を脱した戦後、北野天満宮(京都市、旧北野神社)のように各地の天満宮の多くが元に戻った。小川地区の場合、1952〜53年に宮司(故人)が神社本庁と県に戦前の天満神社のまま手続きを行っていた。
二つの神社名の存在に不審を抱いた氏子有志らの調査で大津地方法務局信楽出張所の土地台帳に天満神社の前名として天満宮と記されていたことが判明。本殿や鳥居の扁額(へんがく)には天満宮と掲げられ、経緯を知った総代・氏子一同は先ごろ、古来伝わる歴史的な名称に統一することを決めた。
だが変更手続きは代表役員(宮司)が対応を拒んでいるため難航している。天満神社の北河千秋宮司(79)=京都府精華町=は「本来の名称に戻すというが、正式名を示す歴史資料はない。現神社名も定着している。どちらも祭神は道真公で神社の呼称が複数あるのはよくある」と話す。
一方、署名を提出した天満宮氏子総代長の鈴木道彦さん(76)は「本来、戦後に戻すべきだった。円満解決を目指し、全氏子の切なる声を宮司に粘り強く訴えていく」と語る。
神社本庁(東京)は「名称の変更には文書(もんじょ)や公的資料など根拠のあることが前提。そうでなければ通称名のままとなる」という。
2019年08月13日 10時30分配信
https://s.kyoto-np.jp/sightseeing/article/20190812000064
https://japan-geographic.tv/shiga/koka-tenmanjinja.html >>1
神社本庁の存在は地主神の敵
八百万の神への不遜である 宮司が反対してもしょうがないだろ
氏子がみんなそう望んでるんだからそう動け
その上で本庁に拒否られたらそれは仕方ない
こういう無駄に氏子と対立してる宮司って多いんだよな 日本人は怨霊信仰があるからな
明治神宮もそうじゃないかと思ってるが
自分たちの代わりに不幸を背負ってくれた人たちを
祀っとかないと祟られると思ってるんだよ 天満神社を正式名で地元の人たちが親しみをこめて「天神さん」でよろしい。 どうでもいいけど、神様がいることを証明できる?
できなきゃ詐欺だよ。 宗本家が太宰府天満宮なんだから支社も天満宮にしとけよ バカバカしい
社会貢献になるようなことを一切しないのな日本の伝統宗教って 正解は、好きなようにお呼びくださいでいいよ、参拝客は好きなように呼べばいい
アホ共はほっとけ >>15
出来るよ
今から証明するのでまずその屏風から神様を追い出してください >>19
天満宮としての本家本元は防府天満宮・・・ >宗本家が太宰府天満宮なんだから
京都・北野天満宮どす >>1
江戸時代創建程度の新しい神社で鼻息荒げんでもw
ワイは飛鳥奈良創建でない神社は認めてません 正式名称と通称とが違うってことで良いじゃん
そういえば天満神社って聞かないけど
八幡宮を名乗らず八幡神社としている神社は良くあるよね 土地台帳に書いてあったというのは理由としては弱いと思う >>15,16
こういう考え方に陥ると
ノーベル賞は取れない。
目に見えるもの、
既知のものが世界のすべてと
考えてしまうからである。
既に知っていることだけが
正義となり、やがて
他の可能性を考慮できない
狂気の世界へと陥っていくのである。 氏子らがそんなに納得行かないなら近所にもう1つこしらえて分霊だけキチンとして好きなように呼べばいい
ちなみに古い神社でもそういう類いの神社は割とある 富山の射水神社も然り >>34
目に見えない、言わば
神の領域の作用を
一つ一つ解明することにより、
逆説的に人類は
様々な世界の法則を
知ることができたのである。 >>15
天満宮は実在した菅原道真公だって知らないの? >>15
できないと思うならその論理で世界中の宗教団体に訴訟吹っ掛けりゃいい >>38
この世界のルールは
自分以外の、誰か
とても頭の良い人が
科学で解明しているから
神を信じる奴はアホ、
という言説が存在する。
この無責任で
全く当事者感の失われた態度を
事大主義という。 国家神道時代は「宮」は皇室かその祖先が祭神じゃないと名乗れなかった
菅公は臣下なので基準に達せず
大宰府も大宰府神社が正式名称だった >>32
「八幡」は、それだけで独立した神名だから「八幡宮」でも「八幡神社」でもOK。
菅原道真の御霊を祀る「天神」は、「天満大自在威徳天という(仏教風の神号を持つ)神様」を省略した愛称なので、
天/神社とか天満/宮と呼ぶのは可能だけど、天満神社は少し違和感があって広まらなかったんじゃないだろうか? >>52
んー
宮司は宗教関係者ってほど宗教関係者でもないぞ
特にこんな氏神さまのとこのは
道に伸びた庭の木の枝を切る切らない程度の対立構造 宮司がいるなら、お宮じゃねえの
神社はヌシカンさんだろ >>58
社家でもなく神社庁の補任の宮司なら、氏子に逆らうなんてけしからんと思う。
面倒くさい宮司なら、追放して頭家制にして氏子の自治に任せばよい 神社と宮って格の差で決めていたのかと思った。
昔の大社、一宮とかは宮で、他は神社じゃないのか? >>59
神社庁がでしゃばると必ず揉めるよな・・・宇佐八幡も揉めてなかったか? >>60
そういう時代もあったけど、今は多分違うと思う 明治の神仏分離令以前はどこかの寺の中のお社の一つに過ぎなかった
っていうオチだろw もともと宮だったのを何故戻すのが嫌なのか?
と思ったら一応理由はあるんだな
>天満神社の北河千秋宮司(79)=京都府精華町=は「本来の名称に戻すというが、正式名を示す歴史資料はない。
しかし
>大津地方法務局信楽出張所の土地台帳に天満神社の前名として天満宮と記されていた
という話もあるしよくわからないな 腐れ明治政府のせいで無茶苦茶。 天満宮に戻したらいいよ。 アホ宮司は返品すればいい。 >>13
> 自分たちの代わりに不幸を背負ってくれた人たちを
ちと違うと思う。
無念の死を遂げた魂を、ちゃんとお祀りしないと災いをもたらす怨霊になる。じゃなかったかな? >>68
梅原猛が怨霊信仰を強調しだしてから、神道の中心教義のように
誤解されだしたが、天神社や御霊神社以外は余り多くない >>59
どっちが良いかね?
・真夏に狩衣のとんぼが解けなくなって熱中症
・真冬に潔斎した様に見せかけての循環器不全 >>66
いわゆる“神経”説だとか、西洋かぶれもほどほどにだよなぁ 国家神道とかいう糞みたいなカルト思想の過去の遺物だから正しい正しくない関係なく天満宮に戻した方がええやろな >>74
国家神道以前は京都の公家 吉田家 に社名変更の許可がなければ出来なかった
国家神道の前後であまり変わらんよ >>8とか>>61とか>>66とか多数
まったくだな。
昭和20年で国家神道は終わったはずなのに、既得権益を守ることに
汲々としているように思える。もちろん神社の互助会という側面では
役立っているんだからそっちに徹すりゃいいのに、なんか夢見てる
爺さんたちがいるんだな。 >>75
ここでの問題は、宮司の人事権が神社本庁にある(というか
神社本庁から派遣される)という点にあるんじゃなかろうか。
だから氏子の思いが申請以前の段階で握りつぶされる。
この仕組みは国家神道下で確立されたものだよね。 >>75
元々どちらかわかってなくとも少なくとも国家神道以前は天満宮だったという史料は残ってるのだから戻すべきだろう 通称で勝手にやるぶんには認めているのだから
氏子崇敬者が勝手に呼んてればいいって話なのに 氏子からしてみりゃ、俺たち全員の神社なのになんで宮司一人が私物化して拒んでんだって話
宮司からしてみりゃ、祭りとか年数回の行事くらいしか来なくてあとは全部宮司が管理・仕事してんのに、こういう時だけ宮司を蔑ろにして何様お前らって話
これねー、どっちも半分ボランティア
って意識もあるからね
氏子は順に当たった役で、場合によっては会社やすんだりもしながら銭ももらえない草刈りとかやってるって意識で
宮司は特に(それだけでは)暮らせるわけでもない程度の給与で、めんどくさいことをやってるって意識
(先代の親や先々代の祖父辺りが氏子に頼まれてはじめたり、あるいは当宮司に跡継ぎあんたしかいないからよろしく的な事でやることになった、という成り立ちと意識を持ってる氏神レベルの神社の宮司は多い) 伝統の観点から言えば、天満宮が正しい
水戸のじいさんの与太話に振り回されすぎ。 >>81
神社本庁もダメって言ってるしな
本庁にそんなもんそこで止めとけと言われてるのか、宮司の勝手なプライドによるものかはしらんけど
宮司が直接そこで拒否してるのは悪手だわな、氏子の感情的にも
本庁に変えてくれと確認してみたもののダメだったスマン、ならそこまで対立しなかったろうに
まぁどっちにせよ結構なじいさんだしそんなとこまでいちいち気を使うのも面倒なのかもしれんけど >>65
縁起やら古地図やらでは天満神社なんやないか?
ある一時期のみに天満宮で届け出されてた時期があるとか 関係無いだろうけど、東京八王子にも北野天満宮がある 天満宮の本家福岡県にも天満宮と天満社の2種類あるが、天満宮は菅原道真が
主祭神だが天満社は農業に関わる神をまっているようだ天満社は小さな神社
ばかりだから由緒板が無い所ばかりで祭神は不明。 >明治政府誕生後に「宮」号が使えなくなり、天満神社へと改名した。
今の「神道」って明治以降の歴史しか大事にしていないからな。
少なくとも神社本庁の系統は。
神職の説く「伝統」ってあんまりあてにならない。 >>1
どっちでもいいんじゃね?
程度の低い八百万の神々なんていないんだし
実は誰も本気で信じちゃいないだろ
熱心な信者がいたとしたら、その人は世界からすると奇印だよ >>85
たぶん昔は無名の神様をまつっていて
明治時代に全国の神社を登録するときに
有名な神様に変えちゃったとか >>83
>天満神社の北河千秋宮司(79)=京都府精華町=は「本来の名称に戻すというが、正式名を示す歴史資料はない。現神社名も定着している。どちらも祭神は道真公で神社の呼称が複数あるのはよくある」と話す。
宮司がそういう資料ないと言ってるぞ
古地図レベルなら氏子が主張してる昔の土地台帳に天満宮と書かれてることくらい 新し過ぎるからな
せめて延喜式のリストに載る位なら決定的なのに
出雲大社とか諏訪大社も変な名前付けないで本来の名前に戻すべき https://youtu.be/h7E21-kKSiU
ムッソリーニ万歳。
靖国神社と護国神社にはムッソリーニの銅像を建てろ >>15
神は居ない。神は"在る"の。
アブラハムの宗教(キリスト教やイスラム教等)では[神は居る]らしいけどね。 >>27
創建年でいえば防府→大宰府→北野なんだよね。 創建ってのも曖昧な言葉で
観世音寺なんか、6世紀に建設始めて
7世紀に創建だが、その間に
普通に法要とかやってるからねえ。
建設始めた段階から寺行事はやってるわけで
寺として稼働したのは建設着手してすぐと
考えたほうが良い。
ちょっとした建物ができれば
全部完成しなくても行事はできるからね。 俺も神職だけど、府県をまたいで宮司してるのは珍しいな。
名称なんて正直どうでも良いわ。天満宮も天満神社も変わらん。それより、地名冠した方が良いと思う。
江戸時代以前の名称なんて、文献によって、時代によってコロコロ変わる(祭神すらも)し、いい加減だ >>94
正直、関係性も含めて防府の創建年は本当か?と思う
太宰府の一年前に創建とか
昔すぎて真偽はわからない >>97
当人が生きてるうちに建てたとこもあるらしいけど失礼じゃねって思うw
だいたいそんなことしてる暇あったら本人の為に何か他にできることあんだろって思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています