【大阪】「邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力…」 百舌鳥・古市古墳群をテーマにした特別講演会に300人
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百舌鳥・古市古墳群をテーマにした講演会=大阪府河南町大字東山の府立近つ飛鳥博物館で、山本夏美代撮影
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世界遺産「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の登録決定を記念する特別講演会が先月、河南町東山の府立近つ飛鳥博物館であった。古墳研究の第一人者、同館名誉館長の白石太一郎さんが同古墳群について「古代日本の歴史を考える上でも貴重な歴史遺産、歴史資料」と語り、約300人が熱心に耳を傾けた。
白石さんは「エジプトのピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並ぶ巨大で特異な古代の帝王墓群で、人類共通の文化遺産であることは言うまでもない」と語り、百舌鳥・古市古墳群出現の背景に迫った。
当時の日本は古墳時代(3〜7世紀)。大和や河内の大首長(後に大王・天皇と呼ばれる)が中心のヤマト王権が、各地の首長たちと政治連合を形成していたとされる。この時代、規模の違う前方後円墳が北と南を除く日本列島各地に存在、それらは同じ設計により造営されたと考えられることから、政治連合を形成した様子がうかがい知れるという。
古墳は、政治勢力の本拠地に造られるのが原則であったと考えられるという。大王墓と思われる巨大な前方後円墳の造営場所をみると、古墳時代初期には奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群に、同北部の佐紀古墳群を経て、4世紀末以降、大阪平野南部の古市と百舌鳥古墳群へと移った。
この変遷から、河内(大阪平野)の勢力がヤマト王権の盟主権を掌握したことが分かるという。王朝の交代や大和の勢力の打倒ではなく、ヤマト王権内部での盟主権の移動であることを白石さんは強調。朝鮮半島の北に位置した高句麗が南下策を取り始めるなど、激しく変化する東アジア情勢の影響をあげた。
情勢の変化に、邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力では対応しきれず、古くから朝鮮半島との外交や交易を担当していた大阪湾岸の河内、和泉の勢力が、外交や政治の実権を掌握するようになったと考えられ、当然の成り行きだったとした。
白石さんは「百舌鳥・古市古墳群が世界遺産になり喜ばしいが、今後どのように活用するべきか、議論が必要」と締めくくった。【山本夏美代】
毎日新聞 2019年8月9日
https://mainichi.jp/articles/20190809/ddl/k27/040/276000c?inb=ra >>958
潮の流れが変わるのを待つために、わざと遠回りすることが非現実的
手前で待っていればいいだけ
神武東征を史実だと言い張るための作り話でしかない
しかも、作り話でこじつけても紀元前まで遡らないといけないという無理筋
5世紀以降の地形なら、日本書紀にドンピシャなんだからあえて否定する理由がない
ドンピシャを否定して、こじつけ話をごり押しするのは不合理 やっぱ九州だな。卑弥呼は筑紫君、台与は宇佐君。宗像、秦やらに滅ぼされたな秦は新羅神の香春神、宇佐神宮は応神を祀ってる。 >>961
入口付近は少し流れがあるやろから、少し離れたとこで待つんが普通ちゃう?
難波之碕に敵がいた場合は岸から弓の届かないとこまで離れる必要が出るから、
沖の方が碕の岸近くよりは多少流れが強いはずだから、
漕ぐのがめんどくさければ更に遠ざかる必要出るだろうし。
常識的に考えればいいだけのように思うけど。 >>963 の続き
まあ、先の先端付近には渦のように旋回してる流れがあるだろうから、
そこでぐるぐる回ってるのも手かもしれないが。 >>954
もう最近は滅茶苦茶だからな、願望の羅列が酷い状態。
崇神天皇の項を見ても何の関係もない箸墓伝承が出てくる、間違いなくここで暴れてる奴だろう。 >>963
それ全部、不自然な作り話に過ぎない
こじつけのための作り話をいくら並べても根拠にならない
もういいな
日本書紀の記述は、5世紀以降の地形ならドンピシャ
これが結論 >>967
なるほど。
過去にもこんなやり取りがあって、最後は無視されたわけやね。 というか、いきなり無視されたんかな?
僕くらい丁寧に付き合ってくれるやつはそうおらんやろ。 >>968
5世紀以降の地形ならドンピシャなのを否定して、
非現実的な航路を通ったことが正しいとする合理的な根拠を示してから言ってくれ
ひたすら作り話を並べてゴリ押しするのが議論だと思ってるのか?
まあ、こんな感じで議論してるつもりになってるようだから、いろんな人に突っ込まれたんだろwww
作り話を並べてゴリ押しは議論ではない 一点を定めて設計を始め
同心円的発想を重視し
円と角を組み合わせ
聖域に石を敷いて
その内部や周りに、その為の特殊な形を含めた土器を並べる
縄文の遺跡でも前方後円墳の説明でもある
気が付いてる奴はたくさんいるはずだ
高句麗の南下に伴って聖都を逆方向に移動させたならまだ筋が通るがね
軍事的、政治的な緊張下であれらの墓作りにあのエネルギーを割くアホが大王家だったと
何もかんも地元を中心にした弥生人の仕事の継続で強引に押そうとするからこういう間抜けな事になる ニニギ、山幸彦、ウガキヤアエズ、神武は薩摩や日向など南九州ってことになってるけど
応神天皇系列(継体天皇以前の倭の五王時代とか)の皇后は南九州系が多いんだとな。
万世一系にするため出自が誤魔化されているが応神天皇系は南九州系?
図書館で何冊か読んだ異説古代史本では神功皇后のこともあって応神天皇は
北陸、山陰、海を変えて新羅など日本海沿岸勢力系としてるのがあったけどさ。 >>943
違うわクソボケが。
高千穂に剣刺さってるだろがカスが。 >>943
宇美は神功皇后の遥か前からある地名なのに産みが語源なわけが無いだろクルクルパーかお前は。 箸墓は時代を画する大墳墓で四世紀、モモソ〜がネタ、
これなら大王崇神しか考えられない。
崇神の墓で間違いない。
他に選択肢が存在しない。
>>952
ところで婆さんや。
ホムタワケの他に似通った名の垂仁の第一子ホムツワケが居るんだが、
名の他に似てる面では、戦いの中で生まれたというのがある。
そしてホムツワケは火中出産の皇孫神格とスサノオ・オオナムジ(アジスキ)系の泣き虫雨降らしの出雲神=農耕神の神格も持ち合わせる。
この接点に、ホムタワケが気比神社のイササ神=食物の神と名を交換したを持ってくると不思議な化学変化をする w
イワレヒコの別名はワカミケヌ。ミケヌは食物の神に通じる。
その他に垂仁帝記はサホ、ヒバスヒメ系の丹波道守家の伝承が相当に入ってるかも知れない。
もう少し整理しなきゃあかんけど、整理し甲斐がありそうだ。 ここまでのまとめ
一。畿内説は可能性がゼロ。ただのネタ。文献的にも考古学的にも否定され尽くした。
例えば>>28こんなの一発で反論不能に陥るシロモノ。ただのネタ。ファンタジー。
近畿パーはキチガイ小保方擁護が「やっぱりオボちゃんが正しかったね。
オボちゃん叩いてたヤツらはいつオボちゃんに謝るの?」とか言ってるのと同類。
ただのバカ。
二。九州説は、卑弥呼の墓が御井の祇園山古墳であることまで突き止めた。問題はほぼ解決済み。
唯一の深刻な問題点は御井周辺にある邪馬台国の具体的な位置を特定出来ていないこと「だけ」。
少なくとも、深刻な矛盾点は何一つとしてない。
邪馬台国論争は九州御井説が最終的な勝利を収めつつある。
>>864,>>894,>>898
縄文人の遺伝子を5%しか受け継いでいない人には受け入れ難いかもしれないけど、これが科学的な事実だな 邪馬台国の怪の工作員はマジで異常だろ。
毎回何百のレスで埋め尽くすとかw ここまででわかったこと
祇園山古墳は
1. 三世紀の造築
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの
3. 棺があって槨が無い(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている
5. 前方後円墳などではなくありふれた方墳である
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう
7. 100名近くの殉葬者がある
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上、倭国王として君臨し
邪馬台国が240年に「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡だということが判明した
糸島市の三雲・井原遺跡の古墳時代の大型掘立柱建築物跡にしても
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上、倭国王として君臨し
邪馬台国が240年に「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡でだということが判明した 肝心の高良大神が一夜山を貸してくれ、といとてやって来た神だという時点で祇園山は元々九州の神ではない事は明白だけどなw
高良とは孝霊の事でしょ、マジで。
畿内の様式なのもその為だよww >>975
大事なのは、「皆がそう信じている」ことなんだってば。
実際に近隣の妊婦さんが安産祈願やってきて、拝殿の裏の石を持ち帰り、
無事に出産を終えて代わりの石を持ってお礼参りにやってくる。
なぜそのサイクルが維持されているのか(=なぜ宇美八幡宮が安産の神として
機能しているのか)と言うと、「そこで神功皇后が応神帝を産みたもうた」からだよね。
>>980
身も蓋もない言い方をすれば、「水増し」なんだろうなあ。
雄略と武烈なんかもそんな感じ。
上の神功擁護の書きっぷりと温度差があるのは、俺の好みの問題で申し訳ないw >>985
妄想おつ
高良玉垂命は阿曇磯良
玉垂とは玉を授けるという意味
神功皇后の三韓征伐の際に海から現れ潮の満ち引きを操る2つの宝玉を神功皇后に授けたのが安曇磯良である
だから高良大社の拝殿には海から現れる龍神が彫られている
https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/27/61/c0222861_22412148.jpg 神功皇后自体、葛城高額姫という母親の名前から葛城、二上山周辺の出自なのははっきりしてるからなw
そこは孝霊天皇の宮も近い、元々話は二上山周辺が舞台だよ。
だから高良の神が九州に山を借りた、イコール
大陸への足場にしたという事。 こうやって妄想だけで作られたのが畿内説です
冗談抜きで 冗談抜きで今の神武天皇より江戸時代まで孝霊天皇はずっとメジャーな存在だからな。
ちなみに孝霊の名前、フトニは太珠とも書く。
富士山や琵琶湖の誕生の話から出雲で新羅と山比べしたり、月支国の船団と戦った話とか。
そこまで広範囲に逸話残しているのに、明治維新以降は東征を正とする薩摩長州史観と相容れないから軽く見られてるけどな。
高木神から山を借りた高良神とは孝霊の事だね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/孝霊天皇
>孝霊天皇(こうれいてんのう、正字体:孝靈天皇、孝安天皇51年 - 孝霊天皇76年2月8日)は、日本の第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日 - 孝霊天皇76年2月8日)。
>欠史八代の一人で実在性に乏しい。
>欠史八代の一人で実在性に乏しい。
>欠史八代の一人で実在性に乏しい。
>事績
>『日本書紀』・『古事記』ともほぼ系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。
>『日本書紀』・『古事記』ともほぼ系譜の記載のみに限られ
>『日本書紀』・『古事記』ともほぼ系譜の記載のみに限られ
実在性に乏しく、事績の記載もほとんどない人物がメジャーな存在ねw
畿内信者らしい譫妄だねw >>985
孝霊という漢風諡号は8世紀につけられたものだ
高良大社の鎮座は仁徳天皇の時代とされるので5世紀
時系列がまったく合わない 白石が古墳研究の第一人者って日本の考古学終わってるな
何でも全て朝鮮から来たと強引に決め付け反論したら左遷
在日に牛耳られてるから日本の歴史がおかしくなる このスレッドは1000を超えました。
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