【終戦】太平洋戦争の悲劇「インパール作戦」の生還者が語り継ぐ「75年の夢」★3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前列中央が牟田口廉也中将。インパール作戦を指揮したが、戦後は敗戦の将として非難を浴びた
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190814-00000004-courrier-002-1-view.jpg
太平洋戦争中、日本軍に甚大な被害をもたらしたインパール作戦から今年で75年。祖父が従軍者だったことから長年、生還者・遺族と交流してきた筆者は、彼らの色褪せぬ戦争の記憶と平和への願いにいまこそ目を向けるべきだと訴えかける。
■インパール作戦につながる「金属板」
庭で畑仕事をしていたら、出てきたのだという。
ミャンマー中部の町ザガインで、知人から板状の金属製品を見せられた。ミャンマーが「最後のフロンティア」ブームで騒がれる直前、2011年のことである。このとき私は大学院に在籍中で 、18世紀のミャンマー語碑文の調査のため現地に滞在していた。
小さい楕円形の板には、漢字の文字が縦書きで三行刻まれていた。「八九〇五」、「西六六」、「番九三一」とある。これが日本軍の「認識票」であることはすぐにわかった。
アジア・太平洋戦争当時、「ビルマ」と呼ばれていたこの国での戦闘や日本軍のことは若干の知識があったからだ。認識票は戦死した兵士を特定するものであるはずだ。ならば、この番号をたどれば持主にたどりつけるのではないか。そう考え、帰国後に改めて調べることにした。
ところが、それは考え違いだった。相談のために持ち込んだ資料館で即座に否定されてしまった。日本軍の場合は認識票が兵士個人と直接結び付けられていないのだという。
戦闘の前に認識票を与えておき、後で生還者から回収する。すると未帰還者の数だけは正確に把握できる。このような運用方法だったので、この三行の数字から持主個人の特定はできない。持主につながる手がかりに思えた認識票の実態は、兵士個々人の人生に無関心な発想が作り出した金属板に過ぎなかったのである。
それでも所属部隊の推定はできた。「八九〇五」という数字は部隊の通称号で、「菊第八九〇五」部隊を指すのだろう。ならば第18師団所属の歩兵第114連隊のことである。
昭和17年、日本軍は英国の植民地だったビルマに侵攻した。中国とビルマを結ぶ交通路を遮断するためである。第18師団は侵攻作戦に投入された師団のひとつで、古都マンダレーの攻略を担当している。昭和19年以降は北部ビルマでの戦闘で兵員の大半を失った。ただ、資料からはザガインと部隊との関わりが確認できず、認識票が埋まっていた経緯はわからない。
一方でひとつ、興味深い事実がある。侵攻作戦時の第18師団長は、後にインパール作戦を指揮する牟田口廉也(むたぐち・れんや)中将であった。
■死傷・重傷者4万人、大半が餓死や病死
インパール作戦は、インド・ビルマ国境に聳(そび)えるアラカン山脈を陸路突破し、連合軍の拠点となっていた英領インド・マニプルの中心都市インパールの攻略を目指す作戦だった。
昭和19年3月に第31師団、第15師団、第33師団という3個師団の約6万人以上が進軍を開始した。しかし、攻勢は連合軍の堅陣に阻止され、雨季の豪雨により補給も途絶。武器弾薬はおろか食糧や医薬品も欠乏した。しかし、軍司令部による作戦中止の判断は遅れた。
不信感を抱いた前線の師団長が独断で退却を開始するに至り、正式な撤退命令が下ったのは7月のことだった。約4ヵ月の間に参加兵力の約7割に相当する約4万人が死亡または重傷を負ったが、死者の大半は雨季の豪雨が続く山中で生じた餓死や病死だった。
この作戦は、日本軍指導部の無責任な組織運営と人命軽視の典型例として知られている。当初から作戦計画の不備が指摘されていたが、連合軍の戦力に対する侮(あなど)り、戦場となる土地の社会と自然環境についての認識不足、華々しい戦果予測への妄信などが重なり合い、最悪の結末を迎えてしまった。重要な意思決定の場で、正確な情報や明確な責任分担、関係者間の合意形成が常に欠けていた。
兵士たちは人知れず雨の山中に斃(たお)れ、身に着けていた金属製の装備品だけを残して、そのまま土に帰っていった。(続きはソース)
8/14(水) 20:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00000004-courrier-int
★1)2019/08/15(木) 17:45:39.77
前スレhttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566106771/ >>3
陸軍の無能な指揮官が暴走したのが全ての原因
陸軍の規模が大きくなりすぎて制御不能になった 日本は伝統的に人権ブラック国家だからな
切腹文化もそうよ 戦時の愚将の汚名は語り継がれるべき。
リスク管理の意味で。
もちろん菅直人政権閣僚も。 人は記憶型と思考型に大別できる
中世から日本の兵站は弱い
戦国時代の兵站
兵士に数日分の食料を自前で用意させる(自己責任)
↓
近隣の城から運ばせる(大した量はない)
↓
長陣だと商人がやってくるだ(他人任せ)
↓
現地調達(他人任せ) >>7
はい、ネトウヨ
売国しまくった小泉と竹中平蔵と二階俊博は除外か? 「日本軍指導部の無責任な組織運営と人命軽視」はその通り。原因は
明治維新を成し遂げた下級武士の成功体験。昭和天皇も指摘した下克上。
軍隊のような指揮統制社会で下克上をやったら、軍隊そのものがお遊びに
なる。兵卒はビデオゲームの敵兵と同じ消耗品。勝つための戦略も戦術も
ない作戦を良しとした非近代的な軍。現地に作戦・指揮権を握られ参謀本部
の誰も責任を取らない無責任体制。人事権を握った軍閥が責任体制。
座りの良いやつが組織の上に立つ。大将と言えども何の判断も決断の
能力もない模様眺めの人間。日本の大企業も気を付けないとな。 こういう無謀な作戦を立案したり無茶苦茶な
精神論で遂行した指導者達が戦後長々と
生きたり中には議員になった奴までいるのが
信じられぬ 何がすごいって牟田口が天寿をまっとうしてることだよな
なんで誰もこいつを殺さなかったの? >>13
日本人の根性なんて戦後から現在までそんなもんだろ
江戸時代ならやったろうが、
戦後は米兵や朝鮮人に女を襲われても日本男児は見てるだけだったんだぞ
現在でも竹中とか二階とか森とか売国奴が大手を振ってんだろ インパールも酷い一件だと思うけどさ、
スターリングラードの包囲食らったドイツ第6軍の連中は
更に地獄を見てると思うよ。飢えと更に極寒のダブル。 何もすることができなくなって追いつめられた愚手がインパール作戦。
外地の邦人守れないんだったら民間人を帰国させてからの本土集結ですわな。昭和天皇に
は従順だったけど東条英機は右から左まで健全な言論を根絶やしにして、敗戦を受け入れ
る機会を天皇から奪った。あの戦争、最悪でもドイツと一緒に五月には敗戦受け入れなきゃ。 インパール作戦に限らないが、日本の輔弼責任の体制は危機には機能しない。
日本の組織でも指揮官が責任を取る権限責任の建前だが、実際の意思決定は
みんな参謀がやっていて、下級部隊への命令も実質的に参謀が出している。
これは今の日本の大企業でも官公庁でも同じ。 >>9 の続き
1993年、凶作でタイ米を緊急輸入した
いま調べたら当時の政府の備蓄米は2週間分しかないようだ >>13
米英軍からみたら勲章ものの英雄だからな
わざわざジャングルに飛び込んで壊滅させてくれた >>9
大河ドラマ「武田信玄」の西上作戦会議でも勘定奉行が「最初のひと月は兵が持参しますので。」って言ってたからな。雑兵に1ヶ月分の米味噌類を恐らくは自腹で用意させて荷台に積ませてゴロゴロってのっけから破綻してるだろ。名将知将達も予算の足りない分は現地調達って方針で清々しかったけど(笑)。 あれは馬鹿な侵略戦争だった。
日本はインドまで侵略に行った。
「あの戦争はアジアを解放した」とボケを言っているネトウヨは馬鹿だw >>17
スターリングラードでは本当に飢え死にする前に降伏したがヒドイのはその後で約10万の捕虜のうち帰還したのはたった6千
ソ連の捕虜の扱いは日本といい勝負だった だが下には下がありあり 大戦中最も悲惨だったのはドイツ軍の捕虜となったソ連兵で ほとんど生きて帰れる見込みなし しかも奇跡的に解放されても懲罰大隊経由でシベリア送り 哀れ極まる >>26
東亜新秩序の形成という戦争目的の遂行には、太平洋よりインドに侵攻すべきだった。
開戦劈頭に海沿いのチッタゴンを目指してインドに侵攻して、そこで反英を煽ったら
枢軸国はあんなみじめな負け方はしなかった。
東条英機も戦後にそう述懐しているが、アホの海軍がやらなくてもいいアメリカと
開戦して、太平洋に無駄に進出して国力を浪費した。
そもそもなぜ山の中のインパールを目指したのかは、1943年末には日本は制海権も
制空権も失っていて、チッタゴンどころかアキャブで大苦戦していた。 インパール作戦を実施せず、ミャンマー辺りで防御陣地を作って籠ってたら生き残れて
たろうか 軍事作戦で無茶して大失敗したときは軍法会議で裁かれないの? 生き残れたけどレド公路は遮断できない。
制空権があれば空輸を妨害して橋を爆撃すれば良いがそれもできない。
制空権が取れない、飛行場をか確保できない。仕方ない歩兵で敵の飛行場取ろうが日本軍の戦い。
海軍含めてまともな制空戦闘機があれば、あそこまで悲惨な戦いにはならないね。 今村閣下だったら、どういう展開だったのかなあ
ガダルカナルやニューギニアにも言えることだろうが >>33
兵隊を置き去りにして見殺しにして、自分たちだけ飛行機で脱出しても大丈夫。
稲田元作戦課長は有名だが、満州では大量。
ガダルカナルでは、指揮官が「道に迷った」として2回攻撃に参加せず、戦後まで生きた。
そうかと思えば、八甲田は大佐に自決強要している。
すべては桂太郎が独断専行でも大丈夫だった頃から始まる。
最近わかったのは、226の首謀者と面会した陸軍大臣が「おまえらの言うことはよくわかる。昭和維新を断行しよう」とお墨付きを与えたこと。
重臣を何人も殺した後だから国家反逆罪などでその場で逮捕すべきだと思う。 >>32
軟弱思想の持ち主だな、インパールの最前線に送って、その根性をたたき直してやる。
非軍人なら、即時徴兵してどこか玉砕予定地に送ってやる。
積極果敢な攻撃が大日本帝國陸軍の精華である。
作戦成功の可能性は八紘一宇で解決し、補給とかはチョウチョトンボが考えて実行すべきこと、失敗したら最前線へ。 >>37
226のとき川島義之そんなこと言ったっけ
真崎ならわかるが、あいつ当時の陸軍大臣じゃなかったし一応軍法会議にはかけられてる
無罪だったけど >>5
陸軍の暴走には歴史的背景と、陸軍の人事にある。
たとえば、東条が昭和天皇付きの侍従武官になり、首相・陸相・大将に上り詰めたのはなぜか?
首相は天皇の任命大権、天皇が見誤ったか、認めて期待したか、押しつけられた。
どっちにしろ天皇を大きく動かすだけの背景があった。
個人的には宮が動いたかなと思う。東条は何年も深く食い込んでいた。 何度も書くけど、ネトウヨは右翼ではない。右翼の文献を読んでいるわけでもない。ネトウヨは、「ネット上にウヨウヨいる情報弱者」の略。要するにバカ。 >>1
牟田口が言ったという訓示
「日本人は草食動物である。この緑の森で飢えるはずがない」
「弾が無ければ手で殴れ。手が無くなれば足で蹴れ。足が無くなれば歯で噛みついていけ。」 >>40
>東条が昭和天皇付きの侍従武官になり
東條英機は侍従武官も東宮武官も経験してないと思うが >>39 NHKスペシャル 全貌 二二六事件 放送開始後14分前後
川島陸相を(陸軍大臣の)官邸に武装着剣の儘、蹶起事情報告のため(蹶起)7部隊幹部(が)訪問
・・・・・(蹶起主意説明)・・・・
陸相は威儀を正し、蹶起の趣旨に賛同し、昭和維新の断行を約す。 >>45
フェイクニュースに踊らされた。ありがとう >>46
だから秘密軍法会議で即刻死刑判決を出して執行した、と思う。
背後関係の調査をされたら誰が出てくるかわからない。 >>36
今村は中央から嫌われていたから無理。下も嫌われている司令官の言うことをないがしろにしていた。
陸士19期・陸大27期首席。参謀本部作戦課長、兵務局長、教育総監部本部長、上原元帥付副官。
参謀総長・杉山元が直々にバタビアに出張し、「中央はジャワ攻略戦について褒めてはいるが、その後の軍政については批判がとにかく多いから注意したまえ」と軽く叱責している。
武藤章陸軍省軍務局長、富永恭次人事局長も、ジャワ島でもシンガポール同様に強圧的な政策に転換するよう求めたが、今村は軍政の方針を変えることに抵抗した。 >>9
戦国時代だとヨーロッパも似たような物かと
日本だと小荷駄隊を定数に含めていた勢力が有ったけど
ヨーロッパだとポーランドが武装輸送馬車隊を持ってた
まぁ、両方共に肝心な物資は徴発するケースも有った様だけどね
てか、>>9の手順?は19世紀始めのナポレオン軍(フランス共和国軍も)その物なんだけどw
現地でパンを焼いていたのが違う位で >>31
フィリピン占領する時点でアメリカとは戦争になるだろ
流石にアホすぎる >>49
それやってたら今村死刑じゃん
富永も武藤もろくなことせんな
まあ武藤は死刑になったからともかく、富永はなあ >>34
レド公路遮断など南方軍と大本営が適当にくっつけた目的としか思えない
援蒋ルートの当事者である支那派遣軍司令官自身そんな作戦を求めていない
支那派遣軍はインパール作戦とほぼ同時期に大陸打通作戦を開始し概ね作戦目的を達成したがこれにインパール作戦は全く寄与していない 支那派遣軍と南方軍の間でなんらの連携も無かった >>7
第一次安倍政権「原発が電源喪失するなどあり得ない、見直しは必要なし(キリッ」
↓
電源喪失で福島原発あぽーん
↓
野党の安倍「メルトダウンは菅直人がベントを中止させたせいだ、内閣不信任案を提出(キリッ」
↓
最高裁「安倍晋三は嘘つき野郎」
↓
第二次安倍政権「最高裁で判決が出たように私が大勝利したのであります(キリッ」 >>7
テレビ東京が福島原発事故後に2006年当時の経産大臣であった甘利明にインタビュー
甘利明「それまで津波に備えよという指摘はなかった」
テレ東記者「指摘はされていた」
以下、ファビョった甘利明の喚き
「これは私を陥れるための取材だ。放送は認めない」
「とにかく暗がりでよくわからない上にうろ覚えで言った言葉をカメラでしっかり撮っていたじゃないか。それを消せと言っている」
「(テープを)消さないと放送するにきまっている。流されたら大変なことになる。
あなたも一回そういう目に遭ったほうが良い。誹謗中傷されたらどんなに辛いか」
「自分には家族がある」
「こんなもんが放送されたら自分の政治生命は終わりだ」
「原発事故の責任を押し付けられたら、たまったもんじゃない!」
「私には肖像権がある。取材を受けた人間が流すなと言っている。放送は認められない」
「何度も言うが、原子力安全委員会が安全基準を決める。彼らが決めた基準を経済産業省は事業者に伝えるだけ。
安全委員会は地震や津波のプロが集まってる組織。そこが決めてるんだ」
「大臣なんて細かいことなんてわかるはずないし、そんな権限がないことくらい君もわかってるだろう。
答弁書だって閣議前の2分間かそこらで説明を受けるだけだ」
「原発は全部止まる。企業はどんどん海外へ出て行く。もう日本は終わりだ。
落ちる所まで落ちれば良い。マスコミだって同じだ。お宅も潰れないとわからないもんだ。もう私の知ったことではない」
https://biz-journal.jp/2016/03/post_14149.html レド公路と大陸が関係無いなら、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/拉孟・騰越の戦い
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/断作戦
何でフーコン峡谷で悲惨な戦いをしたのか、瀾滄江や怒江の橋を爆撃したのかわかんないな。
ビルマから雲南の戦いって最強師団が、中国軍に負ける最悪展開で無かった事にしたいのかもね。 >>39 >>46
陸軍大臣川島義之大将は、当時先鋭化していた陸軍内の統制派と皇道派の
熾烈な派閥闘争の中で、政治的に無色という事だけを買われて陸軍大臣に
任命された意思の弱い男。少尉・中尉クラスからも「便所の扉」
(押されたらどちらへでも開く意)と馬鹿にされるほどだった。
当日、首相官邸で岡田首相を殺害(実際は人違いで当人は生存)した直後に
殺気立った士官たちが中隊規模の兵隊を引き連れて陸相官邸に押しかけてきた。
川島陸相は当初面会を断ったが、討ち取られる危険もあるために渋々面会したが
すっかりビビっていて、「お前らを逮捕拘束する」などとは言えるはずもなく
蹶起の趣旨については同意する。すぐ参内して陛下に言上する・・・などと
決起将校の機嫌取りに励んだのであった。 >>7
菅の予備自衛官を含めた自衛隊の大動員は功績だよ。
それ以降の自民政権が批判を受けずに同様の事が出来るようになったか。
安倍なんか菅に足向けて寝れないよ。 しかし至る所でフルボッコされてるよなw
海戦や島戦とかデジャヴかよ
どんだけ学習力ねえんだよこいつら >>51
フィリピンにはとことん触らない。南方との輸送でアメリカから嫌がらせされる
だろうがじっと耐える。これは史実のドイツも対米開戦前はそうだった。
これは「太平洋に消えた勝機(佐藤晃)」の受け売りだが名著だ。日本の癌は省益
しか考えない海軍だったという論。 >>6
人権なんて言い出したのはどこの国でも最近じゃないか。
今でもそんなものない大国があるし、いい加減に自虐やめたら? 戦争になれば、上にいるのが一番。
捕虜を拷問して殺しても、日誌を焼けば誰の命令だか分からなくなる。
上官の命令は、天皇陛下の命令で逃げられる。
実行行為者だけが目撃者に戦犯にされる、どうせ下士官どまりだ。
命令した上級将校は、恩給をもらい天寿を全うできた。 兵隊なんて、目的のためには何千死ぬば攻略できる。
囮部隊なんて、当たり前。
囮部隊に弾薬、食料なんて補給するだけ無駄だ。
大局的見地に立てば、参謀本部の高級将校の言いなり。
会議が終われば神楽坂で鋭気を養う。 >>60
諸悪の根源はドイツの尻馬に乗ろうと火事場泥棒のスケベ根性で慌てて結んだ日独伊三国同盟にある
これさえ無ければアメリカも日本にこれほど嫌がらせをする必要がなかった
三国同盟さえ結ばなければ英蘭の対日禁輸も無かったしイギリスはドイツと同盟しないで欲しいと援蒋ルートの閉鎖まで申し入れてきたのだからそれに乗っておけば良かったんだ うちの親父もフィリピンで住民追い出して宿舎を確保したとか言ってたな。
よく生きて帰ってきたよ >>18
東条英機がいつまで首相だったか知ってる?
特攻作戦、B29本土空襲、硫黄島、沖縄、原爆の時はもう辞任してるよ。 入るグループ間違ったのは確か
でも引き返すポイントや、やり方はあったな
上が愚直で融通効かない頑固おやじばっかだった >>66
住民追い出して宿舎を確保は戦後のアメリカ軍も日本でやったよ。 >>67
辞任ったって本人はやる気満々なのに四面楚歌だっただけじゃん 牟田口は非難しても東條は擁護するやつの気が知れない 牟田口じゃなく黙認していた寺内の責任大
このバカのせいで全滅した
このバカは戦闘前に逃げ出しベトナムの豪邸から指示を出し、軍用機を使い愛人を呼び寄せてたクズ >>30
満州や千島で捕虜になった日本兵に対しては「お前らこんなクソ寒いところに連れてこられて大変だな」と同情的だったり日本兵に有効的なソ連兵も居たが
ドイツ軍の捕虜は「我が祖国を侵略し村々を焼き払い無実の女子供を強姦し殺したクソ畜生」として体罰やリンチが日常茶飯事だったという >>73
日本軍はロシアに侵攻なんてしていないからな
一方でナチスドイツはロシア侵攻で手当たり次第に住民を殺しまくった 食い物がなくて、
黒豚は原住民、
白豚は日本兵の仲間、だっけ。 インパール作戦を始め、餓死させられた兵士を「英霊」などと呼ぶのはおかしいと思うわ
誤魔化してるようにしか見えない >>42
このセンスがそのまんま現在の霞ヶ関に受け継がれているという悲劇 >>66
その仕返しで住民がゲリラ化して逆に狩られたんだよな… 牟田口さんほどイギリス軍から評価されいる軍人は居ない。
貶してるのは日本人くらいだ。日本人は自虐史観から脱却すべきだよ。 >>66
第一生命本館が接収されてGHQ司令部。 東京都千代田区有楽町一丁目13番 寺内の方が大バカ野郎
こんなのがいるから日本は徹底的にやられた >>76
生き残った卑怯モノが言う言葉だし
他人に市ね市ね言っておいて、自分たちだけしっかり生き残った連中の常套句 来年の夏に、現代版が再現されるよ!
現代の牟田口は誰に?? >>79
賃貸料を金貨で支払ったら、金貨目当てにゲリラ化した 映画『遠すぎた橋』か
住民追い出したら対価や補償問題が発生するから
お婆さんを住まわせたまま、上がり込んでドンパチしてたの >>84
政略的に意味はある
補給の目途が全く立たないこっちは止めて打通にふっとけば良かったが。
もともと連合軍は日本政府の完全な消滅しか認めてなかった。
降伏しても東久迩内閣なんてのは認めてなく、イラクやドイツのように完全な政府の解体。
打通作戦の勝利によって降伏条件が政府存続まで緩和された。
インパール作戦にもそれだけの政略的価値はあるにはあった。 >>60
だからその「じっと耐える」ことが日本にはできない芸当なんでしょ
それができるようなら最初からアメリカに妥協している
結局何かあった時の責任を誰も取りたくないから英蘭だけの開戦という案が通らなかったんだろう 東大コミンテルン、東大新人会、太平洋問題調査会(IPR)
日本側 上記の共産主義者が、日本破滅を願って戦争(226事件は失敗)
米国側 コミンテルンがルーズベルト政権内に300人居た(ヴェノナ文書))
但し、このIPRは本当の意図を、出席者全員が知らされたわけではなかった
ほぼ100%、共産革命を起こしたくて、この国を意図的に破滅に追い込んだ、
東大新人会、東大コミンテルンと違って、悪い意味で煙幕になってたようだ
インパールは牟田口だろ?
山本五十六と同じく、スパイの疑いが濃厚
石原莞爾の部下であるので、日本の戦線拡大に貢献したか?
あれは尾崎秀美のコミンテルンが暗躍したが、上手く唆されたか
バカを装ってればいいから気楽なもんだ >>84
もし仮に成功したならば、防衛ラインを前に移動することができる。
またヒマラヤ越え空路の援蒋ルートの妨害効果も期待できるかもしれない。 日本が中国大陸を侵略したと思っているようだが、それは勘違いだ
1億歩譲って、日本が仮にそうだとしたら
中国大陸本土を侵略したのはソ連、ドイツ、フランス、イギリスも侵略国家
西村慎吾氏 ウソと大陸 4月1日 ←エイプリル・フールに掛けた
ttps://www.n-shingo.com/jiji/?page=500
>>中国共産党は、コミンテルンの指令通りに
>>「戦争から、内戦へ、内戦から革命へ」の道を進んだ。
>>では、この道の実相は何か。それは、自国人民の大量殺戮である。←←←日本軍のせいにした南京大虐殺の事ねw
>>内戦であるから、外国の軍人を攻撃するのではない。
>>攻撃対象は同じ中国人民である。
>>中国共産党は中国人民を大量殺戮して政権を獲得した。
>>それからも、粛正、大躍進、文化大革命、天安門事件と
>>人民の殺戮と弾圧を続けて政権を維持している。 >>94
続き。面白い情報があるよ
日本は日露戦争で南満州の権益を貰い受けた。
当時は「ヤルかヤラれるか」で植民地=悪、の概念が無かったことをお忘れなく。
それに日本がやったのは、統治と同化。日本がカネを持ち出して近代化。
その証拠に朝鮮人や満州人も「日本の」国会議員になっている(満州、台湾、李氏朝鮮は甲子園にも出場している)
米英の植民地では、例え白人でも植民地に生まれたら国会議員になれなかった
前置きはここまで。
露清密約と言うのを日清戦争の翌年に
李鴻章(下関条約締結と同じ相手)がやったそうだ、
内容は平たく言うと「満州をソ連に売却する」というもの ←←←日露戦争前に清国(=中国)売却してまっせw
清国は、この事実を日本にひた隠しにして(1921年のワシントン会議で初めて知る)
日本をソ連と戦わせて、シレっと満州の国権を回復させる、
んで、日本が投資して発展したら「返せ」とやってくる始末 ←←お前ら、既にソ連に売却してるやん
まあ、酷い国ですわ
日本がこの情報を予め把握してたら、
日露戦争の時点で、南満州だけでなく満州全域を統治できる資格があり、
そして、あの満州事変も起らなかったわけだ
そのキッカケとなった張作霖爆殺も、ソ連説があります、
ソ連崩壊で流出した資料、爆発した残物から、ロシア製が発覚してるなど 無謀な作戦と思っても連戦連勝だった奴が言うといけると思うもん。
今でも余裕で同じこと起こりうる >>96
インパール作戦は部下にこぞって反対されてるけどね >>18
フィリピン残留日本人をTVでやってたけど、日本兵だと錯覚させる作りだったが民間人なんだけどな
日本人は農場経営や貿易商で資産家だったから略奪されたのだな。
現在でもフィリピン政府に賠償責任がある。
東条のマスコミ弾圧は逆やな、内務省の意を酌んでだ
内務官僚がうちはサイパンが落ちた場合の手を打たなければならない、と東条をつついて
小出しに「実はけっこう負けてる」「夏には空襲があるかも」と流してた。
竹槍訓練なんかその一環なんだが、国民としてはめんどくさい。
折しも、ボーゲンビル航空戦の消耗で海軍は追加予算を欲しがってた。
国民の心の隙を突いて「竹槍訓練なんか意味がない”渡洋”航空機を量産すべき(追加予算)」
「そしたら海軍がボーゲンビル同様に米艦隊を撃滅しますよ」
と海軍番記者と御用学者が楽観論を流した。
それで東条、内務省、陸軍は激怒
「海軍が予算欲しさに楽観論で国民を騙している」と そもそも、真珠湾攻撃自体が
海軍というか、山本五十六の独断
この作戦は方々(海軍内)から反対された、にも拘らず
「連合艦隊司令長官を辞任する!」と脅迫して実行
真珠湾攻撃をいつするか、陸軍のトップすらも知らなかった >>100
そんなわけがない。
開戦はマレーの上陸作戦と真珠湾襲撃を同期させて行っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています