【終戦】太平洋戦争の悲劇「インパール作戦」の生還者が語り継ぐ「75年の夢」★3
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前列中央が牟田口廉也中将。インパール作戦を指揮したが、戦後は敗戦の将として非難を浴びた
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190814-00000004-courrier-002-1-view.jpg
太平洋戦争中、日本軍に甚大な被害をもたらしたインパール作戦から今年で75年。祖父が従軍者だったことから長年、生還者・遺族と交流してきた筆者は、彼らの色褪せぬ戦争の記憶と平和への願いにいまこそ目を向けるべきだと訴えかける。
■インパール作戦につながる「金属板」
庭で畑仕事をしていたら、出てきたのだという。
ミャンマー中部の町ザガインで、知人から板状の金属製品を見せられた。ミャンマーが「最後のフロンティア」ブームで騒がれる直前、2011年のことである。このとき私は大学院に在籍中で 、18世紀のミャンマー語碑文の調査のため現地に滞在していた。
小さい楕円形の板には、漢字の文字が縦書きで三行刻まれていた。「八九〇五」、「西六六」、「番九三一」とある。これが日本軍の「認識票」であることはすぐにわかった。
アジア・太平洋戦争当時、「ビルマ」と呼ばれていたこの国での戦闘や日本軍のことは若干の知識があったからだ。認識票は戦死した兵士を特定するものであるはずだ。ならば、この番号をたどれば持主にたどりつけるのではないか。そう考え、帰国後に改めて調べることにした。
ところが、それは考え違いだった。相談のために持ち込んだ資料館で即座に否定されてしまった。日本軍の場合は認識票が兵士個人と直接結び付けられていないのだという。
戦闘の前に認識票を与えておき、後で生還者から回収する。すると未帰還者の数だけは正確に把握できる。このような運用方法だったので、この三行の数字から持主個人の特定はできない。持主につながる手がかりに思えた認識票の実態は、兵士個々人の人生に無関心な発想が作り出した金属板に過ぎなかったのである。
それでも所属部隊の推定はできた。「八九〇五」という数字は部隊の通称号で、「菊第八九〇五」部隊を指すのだろう。ならば第18師団所属の歩兵第114連隊のことである。
昭和17年、日本軍は英国の植民地だったビルマに侵攻した。中国とビルマを結ぶ交通路を遮断するためである。第18師団は侵攻作戦に投入された師団のひとつで、古都マンダレーの攻略を担当している。昭和19年以降は北部ビルマでの戦闘で兵員の大半を失った。ただ、資料からはザガインと部隊との関わりが確認できず、認識票が埋まっていた経緯はわからない。
一方でひとつ、興味深い事実がある。侵攻作戦時の第18師団長は、後にインパール作戦を指揮する牟田口廉也(むたぐち・れんや)中将であった。
■死傷・重傷者4万人、大半が餓死や病死
インパール作戦は、インド・ビルマ国境に聳(そび)えるアラカン山脈を陸路突破し、連合軍の拠点となっていた英領インド・マニプルの中心都市インパールの攻略を目指す作戦だった。
昭和19年3月に第31師団、第15師団、第33師団という3個師団の約6万人以上が進軍を開始した。しかし、攻勢は連合軍の堅陣に阻止され、雨季の豪雨により補給も途絶。武器弾薬はおろか食糧や医薬品も欠乏した。しかし、軍司令部による作戦中止の判断は遅れた。
不信感を抱いた前線の師団長が独断で退却を開始するに至り、正式な撤退命令が下ったのは7月のことだった。約4ヵ月の間に参加兵力の約7割に相当する約4万人が死亡または重傷を負ったが、死者の大半は雨季の豪雨が続く山中で生じた餓死や病死だった。
この作戦は、日本軍指導部の無責任な組織運営と人命軽視の典型例として知られている。当初から作戦計画の不備が指摘されていたが、連合軍の戦力に対する侮(あなど)り、戦場となる土地の社会と自然環境についての認識不足、華々しい戦果予測への妄信などが重なり合い、最悪の結末を迎えてしまった。重要な意思決定の場で、正確な情報や明確な責任分担、関係者間の合意形成が常に欠けていた。
兵士たちは人知れず雨の山中に斃(たお)れ、身に着けていた金属製の装備品だけを残して、そのまま土に帰っていった。(続きはソース)
8/14(水) 20:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00000004-courrier-int
★1)2019/08/15(木) 17:45:39.77
前スレhttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566106771/ >>31
フィリピン占領する時点でアメリカとは戦争になるだろ
流石にアホすぎる >>49
それやってたら今村死刑じゃん
富永も武藤もろくなことせんな
まあ武藤は死刑になったからともかく、富永はなあ >>34
レド公路遮断など南方軍と大本営が適当にくっつけた目的としか思えない
援蒋ルートの当事者である支那派遣軍司令官自身そんな作戦を求めていない
支那派遣軍はインパール作戦とほぼ同時期に大陸打通作戦を開始し概ね作戦目的を達成したがこれにインパール作戦は全く寄与していない 支那派遣軍と南方軍の間でなんらの連携も無かった >>7
第一次安倍政権「原発が電源喪失するなどあり得ない、見直しは必要なし(キリッ」
↓
電源喪失で福島原発あぽーん
↓
野党の安倍「メルトダウンは菅直人がベントを中止させたせいだ、内閣不信任案を提出(キリッ」
↓
最高裁「安倍晋三は嘘つき野郎」
↓
第二次安倍政権「最高裁で判決が出たように私が大勝利したのであります(キリッ」 >>7
テレビ東京が福島原発事故後に2006年当時の経産大臣であった甘利明にインタビュー
甘利明「それまで津波に備えよという指摘はなかった」
テレ東記者「指摘はされていた」
以下、ファビョった甘利明の喚き
「これは私を陥れるための取材だ。放送は認めない」
「とにかく暗がりでよくわからない上にうろ覚えで言った言葉をカメラでしっかり撮っていたじゃないか。それを消せと言っている」
「(テープを)消さないと放送するにきまっている。流されたら大変なことになる。
あなたも一回そういう目に遭ったほうが良い。誹謗中傷されたらどんなに辛いか」
「自分には家族がある」
「こんなもんが放送されたら自分の政治生命は終わりだ」
「原発事故の責任を押し付けられたら、たまったもんじゃない!」
「私には肖像権がある。取材を受けた人間が流すなと言っている。放送は認められない」
「何度も言うが、原子力安全委員会が安全基準を決める。彼らが決めた基準を経済産業省は事業者に伝えるだけ。
安全委員会は地震や津波のプロが集まってる組織。そこが決めてるんだ」
「大臣なんて細かいことなんてわかるはずないし、そんな権限がないことくらい君もわかってるだろう。
答弁書だって閣議前の2分間かそこらで説明を受けるだけだ」
「原発は全部止まる。企業はどんどん海外へ出て行く。もう日本は終わりだ。
落ちる所まで落ちれば良い。マスコミだって同じだ。お宅も潰れないとわからないもんだ。もう私の知ったことではない」
https://biz-journal.jp/2016/03/post_14149.html レド公路と大陸が関係無いなら、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/拉孟・騰越の戦い
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/断作戦
何でフーコン峡谷で悲惨な戦いをしたのか、瀾滄江や怒江の橋を爆撃したのかわかんないな。
ビルマから雲南の戦いって最強師団が、中国軍に負ける最悪展開で無かった事にしたいのかもね。 >>39 >>46
陸軍大臣川島義之大将は、当時先鋭化していた陸軍内の統制派と皇道派の
熾烈な派閥闘争の中で、政治的に無色という事だけを買われて陸軍大臣に
任命された意思の弱い男。少尉・中尉クラスからも「便所の扉」
(押されたらどちらへでも開く意)と馬鹿にされるほどだった。
当日、首相官邸で岡田首相を殺害(実際は人違いで当人は生存)した直後に
殺気立った士官たちが中隊規模の兵隊を引き連れて陸相官邸に押しかけてきた。
川島陸相は当初面会を断ったが、討ち取られる危険もあるために渋々面会したが
すっかりビビっていて、「お前らを逮捕拘束する」などとは言えるはずもなく
蹶起の趣旨については同意する。すぐ参内して陛下に言上する・・・などと
決起将校の機嫌取りに励んだのであった。 >>7
菅の予備自衛官を含めた自衛隊の大動員は功績だよ。
それ以降の自民政権が批判を受けずに同様の事が出来るようになったか。
安倍なんか菅に足向けて寝れないよ。 しかし至る所でフルボッコされてるよなw
海戦や島戦とかデジャヴかよ
どんだけ学習力ねえんだよこいつら >>51
フィリピンにはとことん触らない。南方との輸送でアメリカから嫌がらせされる
だろうがじっと耐える。これは史実のドイツも対米開戦前はそうだった。
これは「太平洋に消えた勝機(佐藤晃)」の受け売りだが名著だ。日本の癌は省益
しか考えない海軍だったという論。 >>6
人権なんて言い出したのはどこの国でも最近じゃないか。
今でもそんなものない大国があるし、いい加減に自虐やめたら? 戦争になれば、上にいるのが一番。
捕虜を拷問して殺しても、日誌を焼けば誰の命令だか分からなくなる。
上官の命令は、天皇陛下の命令で逃げられる。
実行行為者だけが目撃者に戦犯にされる、どうせ下士官どまりだ。
命令した上級将校は、恩給をもらい天寿を全うできた。 兵隊なんて、目的のためには何千死ぬば攻略できる。
囮部隊なんて、当たり前。
囮部隊に弾薬、食料なんて補給するだけ無駄だ。
大局的見地に立てば、参謀本部の高級将校の言いなり。
会議が終われば神楽坂で鋭気を養う。 >>60
諸悪の根源はドイツの尻馬に乗ろうと火事場泥棒のスケベ根性で慌てて結んだ日独伊三国同盟にある
これさえ無ければアメリカも日本にこれほど嫌がらせをする必要がなかった
三国同盟さえ結ばなければ英蘭の対日禁輸も無かったしイギリスはドイツと同盟しないで欲しいと援蒋ルートの閉鎖まで申し入れてきたのだからそれに乗っておけば良かったんだ うちの親父もフィリピンで住民追い出して宿舎を確保したとか言ってたな。
よく生きて帰ってきたよ >>18
東条英機がいつまで首相だったか知ってる?
特攻作戦、B29本土空襲、硫黄島、沖縄、原爆の時はもう辞任してるよ。 入るグループ間違ったのは確か
でも引き返すポイントや、やり方はあったな
上が愚直で融通効かない頑固おやじばっかだった >>66
住民追い出して宿舎を確保は戦後のアメリカ軍も日本でやったよ。 >>67
辞任ったって本人はやる気満々なのに四面楚歌だっただけじゃん 牟田口は非難しても東條は擁護するやつの気が知れない 牟田口じゃなく黙認していた寺内の責任大
このバカのせいで全滅した
このバカは戦闘前に逃げ出しベトナムの豪邸から指示を出し、軍用機を使い愛人を呼び寄せてたクズ >>30
満州や千島で捕虜になった日本兵に対しては「お前らこんなクソ寒いところに連れてこられて大変だな」と同情的だったり日本兵に有効的なソ連兵も居たが
ドイツ軍の捕虜は「我が祖国を侵略し村々を焼き払い無実の女子供を強姦し殺したクソ畜生」として体罰やリンチが日常茶飯事だったという >>73
日本軍はロシアに侵攻なんてしていないからな
一方でナチスドイツはロシア侵攻で手当たり次第に住民を殺しまくった 食い物がなくて、
黒豚は原住民、
白豚は日本兵の仲間、だっけ。 インパール作戦を始め、餓死させられた兵士を「英霊」などと呼ぶのはおかしいと思うわ
誤魔化してるようにしか見えない >>42
このセンスがそのまんま現在の霞ヶ関に受け継がれているという悲劇 >>66
その仕返しで住民がゲリラ化して逆に狩られたんだよな… 牟田口さんほどイギリス軍から評価されいる軍人は居ない。
貶してるのは日本人くらいだ。日本人は自虐史観から脱却すべきだよ。 >>66
第一生命本館が接収されてGHQ司令部。 東京都千代田区有楽町一丁目13番 寺内の方が大バカ野郎
こんなのがいるから日本は徹底的にやられた >>76
生き残った卑怯モノが言う言葉だし
他人に市ね市ね言っておいて、自分たちだけしっかり生き残った連中の常套句 来年の夏に、現代版が再現されるよ!
現代の牟田口は誰に?? >>79
賃貸料を金貨で支払ったら、金貨目当てにゲリラ化した 映画『遠すぎた橋』か
住民追い出したら対価や補償問題が発生するから
お婆さんを住まわせたまま、上がり込んでドンパチしてたの >>84
政略的に意味はある
補給の目途が全く立たないこっちは止めて打通にふっとけば良かったが。
もともと連合軍は日本政府の完全な消滅しか認めてなかった。
降伏しても東久迩内閣なんてのは認めてなく、イラクやドイツのように完全な政府の解体。
打通作戦の勝利によって降伏条件が政府存続まで緩和された。
インパール作戦にもそれだけの政略的価値はあるにはあった。 >>60
だからその「じっと耐える」ことが日本にはできない芸当なんでしょ
それができるようなら最初からアメリカに妥協している
結局何かあった時の責任を誰も取りたくないから英蘭だけの開戦という案が通らなかったんだろう 東大コミンテルン、東大新人会、太平洋問題調査会(IPR)
日本側 上記の共産主義者が、日本破滅を願って戦争(226事件は失敗)
米国側 コミンテルンがルーズベルト政権内に300人居た(ヴェノナ文書))
但し、このIPRは本当の意図を、出席者全員が知らされたわけではなかった
ほぼ100%、共産革命を起こしたくて、この国を意図的に破滅に追い込んだ、
東大新人会、東大コミンテルンと違って、悪い意味で煙幕になってたようだ
インパールは牟田口だろ?
山本五十六と同じく、スパイの疑いが濃厚
石原莞爾の部下であるので、日本の戦線拡大に貢献したか?
あれは尾崎秀美のコミンテルンが暗躍したが、上手く唆されたか
バカを装ってればいいから気楽なもんだ >>84
もし仮に成功したならば、防衛ラインを前に移動することができる。
またヒマラヤ越え空路の援蒋ルートの妨害効果も期待できるかもしれない。 日本が中国大陸を侵略したと思っているようだが、それは勘違いだ
1億歩譲って、日本が仮にそうだとしたら
中国大陸本土を侵略したのはソ連、ドイツ、フランス、イギリスも侵略国家
西村慎吾氏 ウソと大陸 4月1日 ←エイプリル・フールに掛けた
ttps://www.n-shingo.com/jiji/?page=500
>>中国共産党は、コミンテルンの指令通りに
>>「戦争から、内戦へ、内戦から革命へ」の道を進んだ。
>>では、この道の実相は何か。それは、自国人民の大量殺戮である。←←←日本軍のせいにした南京大虐殺の事ねw
>>内戦であるから、外国の軍人を攻撃するのではない。
>>攻撃対象は同じ中国人民である。
>>中国共産党は中国人民を大量殺戮して政権を獲得した。
>>それからも、粛正、大躍進、文化大革命、天安門事件と
>>人民の殺戮と弾圧を続けて政権を維持している。 >>94
続き。面白い情報があるよ
日本は日露戦争で南満州の権益を貰い受けた。
当時は「ヤルかヤラれるか」で植民地=悪、の概念が無かったことをお忘れなく。
それに日本がやったのは、統治と同化。日本がカネを持ち出して近代化。
その証拠に朝鮮人や満州人も「日本の」国会議員になっている(満州、台湾、李氏朝鮮は甲子園にも出場している)
米英の植民地では、例え白人でも植民地に生まれたら国会議員になれなかった
前置きはここまで。
露清密約と言うのを日清戦争の翌年に
李鴻章(下関条約締結と同じ相手)がやったそうだ、
内容は平たく言うと「満州をソ連に売却する」というもの ←←←日露戦争前に清国(=中国)売却してまっせw
清国は、この事実を日本にひた隠しにして(1921年のワシントン会議で初めて知る)
日本をソ連と戦わせて、シレっと満州の国権を回復させる、
んで、日本が投資して発展したら「返せ」とやってくる始末 ←←お前ら、既にソ連に売却してるやん
まあ、酷い国ですわ
日本がこの情報を予め把握してたら、
日露戦争の時点で、南満州だけでなく満州全域を統治できる資格があり、
そして、あの満州事変も起らなかったわけだ
そのキッカケとなった張作霖爆殺も、ソ連説があります、
ソ連崩壊で流出した資料、爆発した残物から、ロシア製が発覚してるなど 無謀な作戦と思っても連戦連勝だった奴が言うといけると思うもん。
今でも余裕で同じこと起こりうる >>96
インパール作戦は部下にこぞって反対されてるけどね >>18
フィリピン残留日本人をTVでやってたけど、日本兵だと錯覚させる作りだったが民間人なんだけどな
日本人は農場経営や貿易商で資産家だったから略奪されたのだな。
現在でもフィリピン政府に賠償責任がある。
東条のマスコミ弾圧は逆やな、内務省の意を酌んでだ
内務官僚がうちはサイパンが落ちた場合の手を打たなければならない、と東条をつついて
小出しに「実はけっこう負けてる」「夏には空襲があるかも」と流してた。
竹槍訓練なんかその一環なんだが、国民としてはめんどくさい。
折しも、ボーゲンビル航空戦の消耗で海軍は追加予算を欲しがってた。
国民の心の隙を突いて「竹槍訓練なんか意味がない”渡洋”航空機を量産すべき(追加予算)」
「そしたら海軍がボーゲンビル同様に米艦隊を撃滅しますよ」
と海軍番記者と御用学者が楽観論を流した。
それで東条、内務省、陸軍は激怒
「海軍が予算欲しさに楽観論で国民を騙している」と そもそも、真珠湾攻撃自体が
海軍というか、山本五十六の独断
この作戦は方々(海軍内)から反対された、にも拘らず
「連合艦隊司令長官を辞任する!」と脅迫して実行
真珠湾攻撃をいつするか、陸軍のトップすらも知らなかった >>100
そんなわけがない。
開戦はマレーの上陸作戦と真珠湾襲撃を同期させて行っている。 >>100
長官の椅子をかけてごねたのは事実だが結局それで軍令部は認可したのだから山本の独断とまでは言えない 山本五十六のスパイ説はあるけど、
全体像を把握してない単なる下っ端のようだね
米内光久も太平洋戦争に繋がる、
シナ事変の和平交渉をワザと妨害してたな(尾崎秀美が有名)
当初は軍人のいこじなプライドと思ったが…
戦後を見ると、どうやら親ソ派のスパイだったようだね
彼自身はコミンテルンでないが、コミンテルンが近くには居たろう >>103
米内光政は昭和20年の初め頃に「残存する帝国海軍艦艇と関連の図面を渡す代わりに本土決戦用の航空燃料を融通してくれ」と
ソ連側に接触していたという話が残ってる >>70
彼の任期中のことは緒戦の連戦連勝で世界史的に見ても非常に大きな功績
を残している。それに続く戦果の停滞はほとんどが海軍によるもので、
彼は首相だから全体責任はあるにせよ、無念であったろう。それでも、
昭和18年秋の大東亜会議の開催は、これにより大東亜戦争の大義は果たせ
たとさえいえるほど大きな成果であり、出来事であった。
ここでインド独立と引き換えに講和が出来ればよかったが、独伊との同盟も
あり、アメリカは反攻作戦に勢いづいていたので、無理な状況であった。
かくして日本には何があってもなさなければならぬ重要な作戦が残った。
次々と南洋の島々での不利な戦況がつづき、指揮官がまず戦死する日本陸軍
の戦法により将校不足におちいり、将校補給のため、ついに学徒動員を決断
する事態となった。
昭和19年になって、いよいよこの聖戦のメインディッシュであるインパール作戦を
決行する時がきた。インド独立の志士チャンドラボースと日本軍が訓練したインド
国民軍とともに日本陸軍の大決死隊にインド領コヒマに向け進撃命令が名将
牟田口司令官により下された。世界史を変えた大いなる戦いが開始された。
東条首相はこの戦いと、マリアナ諸島の戦いの結果を得て内閣総辞職した。
日本の運命は海軍出身の政治家に託されことになった。 >>104
それは事実だよ
ソ連崩壊から流出した公文書に残っている、
おかげで弱味を握られ、ソ連侵攻のキッカケを造った
そこを見るとプライドが高いだけの「ただの無能」かなー…
スパイやれるほど頭良くないぞこいつw
近衛文麿もそうだけど、尾崎秀美の操り人形みたいだったよな、
「日本の軍部は無能だった」とあるが、ワザと無能を上官にしてる節がある >>106
海軍三羽烏とか言われてるけどマトモなのは井上成美くらいか?
ただこの人も戦闘指揮官と言うよりは軍政とか教育畑の方が似合ってたが >>101
ああ、訂正。「いつ」やるかは伝達されてたな
但し、陸軍側に真珠湾攻撃の詳細を伝えられてなかった
当時、それでも問題なかったので陸vs海の分化→そして対立へ‥ >>106
戦後にシベリアに抑留された息子を人質にソ連が接触して来ても見殺しにしたのにな>近衛 >>109
日本陸海軍を表した言葉に「陸海相争い余力で米英と戦う」ってのがあるらしいが
なんかこう…軍人がお役人になったらあかんね >>105
一から十までデタラメすぎて逆に突っ込みにくいわ 渡洋爆撃にも言及しておこう、シナ事変最大の激戦
日本軍が先に爆撃したと思ってねーか?
志那軍が爆撃したのを、日本軍のせいにしたんよ。こんなのばっかだなw
1937年 8月9日 大山中尉惨殺事件
→8月13日、シナ大軍が国際租界日本人居留区を包囲
→8月14日志那軍機が ホテル爆撃(キャセイホテル、パレスホテルなど)
志那人や外国人に大量の死傷者を出した
8月23日 志那軍が上海のデパートを爆撃、
この爆撃も日本軍の仕業と世界中に宣伝
日本側 「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、
日本から直接爆撃機を飛ばして、南京にある志那軍の飛行場
前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた
ちなみに日本人が殺された通州事件からシナ事変まで、10日も経ってない >>108
井上は指揮官としての才覚を除けば有能な軍人だったとは思うが
基本的に自分の考えを他者に理解してもらおうという意識が乏しいように見える
言いたいことは言うけど別に共感が得られなくてもいいといったような感じ
三羽烏の中でまともに見えるとしたら一番気楽な立場で自分のやりたいようにやれたからじゃないだろうか シナ事変に関しては
盧溝橋事件にしても、第二次上海事変にしても(一次は停戦協定)
先に仕掛けてきたのは志那軍であることをお忘れなく
自分達が爆撃したホテルやデパートを、l日本軍のせいに捏造してねw
国連は、日本の渡洋爆撃を非難するなら、
その前に先に志那軍が日本租界を大群で包囲して先制攻撃した事、
日本人の民間人を殺した、通州事件(1937年7月29日)を批判しろよw
米国 外交官マクマリー 「平和は如何に失われたか」
>>彼は中国との条約を含め国際条約を守ったのは日本であり、
>>守らなかったのが中国であること、両国を公平に扱わなかった
>>米国の偏りが日本にとって耐え難い状況を作り出したと指摘した。 >>80
それ、敵(英軍)を倒さないで、自国の兵隊を倒しまくった事への皮肉なんだよねww >>118
通集事件は冀東防共自治政府の犯行だろ
支那軍とは関係ない 日の本いうてもしょせんは東アジアの一国よ
平民の命が軽いのは地域柄当然のこと >>120
実行犯はね。
デマ宣伝説、誤爆説、そうてつげんの密約説、蒋介石直属の謀略説、
通州事件の、決定的な動機が未だにない、
この件で、コミンテルンはほぼないでしょう
これ以降の盧溝橋や、第二次上海事変はアレですが >>121
今も続く頂点を取ってしまえばあとはこっちのもんの国家主義だからね >>120
実行犯とされるは、冀東防共自治政府の保安隊
だが、中華民国 国民政府の軍隊に所属する
兵員も関わってたという説もある >>123
戦前にファシズムを強く支持したのは社会大衆党など下層の庶民階級。
戦前は貧富の格差が大問題で、富裕層から徴税して貧困階級に再分配する
ことの政治的な正統性を、階級闘争に求めたのが共産主義。国民の団結に
求めたのがファシズム。
「戦争こそ最高の国民教育(ファシズムの原理 ムッソリーニ著)」は、当時は
立派な社会理論だった。 >>125
日本も戦前は財閥や大地主がいてガチ奴隷みたいな人もいたからな 当時のエリートたる大卒サラリーマン(人口の10%程度)が月給100円
中卒で30〜50円、最下層で5円だったとか >>127
100万円と30〜50万円と5万円と
こう考えれば5万円グループが社会主義や共産主義に取り込まれるのもわからんでもないな 現在進行しるオリンピック江戸前人糞問題を見るにつけ
先の大戦から我々は何も学んでいないことがわかる
つまり英霊タンたちは犬死だったことに疑いを挟む余地はないということ >>129
蒋介石は日本と停戦して共産党を叩こうとしてた、
けれど、コミンテルンが和平交渉を妨害してたから無理
通州事件でも、陸軍側は満州外で出る事を拒否した(代わりに海軍に応援要請)
最終的(第二次上海事変)には、陸軍も要請にこたえた >>127
陸軍士官学校の入学者の多くが、貧困家庭の成績優秀者だった。
陸軍将校の多くが国家社会主義者で自由主義を嫌悪していたことに、出身階層の問題
は無視できない。 1937年 7月
既に蒋介石と、近衛の首脳会談は決定してて、8月会うことになってた。
近衛は南京行きの、飛行機の手配も済ませてる
8月の直前に首脳会談断念
1937年 8月9日に大山事件が発生
シナ事変の詳細は>>116へ >>100
辞任させときゃよかったんだ
海軍がゴタゴタしていれば開戦はできん
その間にドイツの体勢が不利になり出せば目も醒める 昭和16年12月って、独軍がスターリングラードで苦戦して
翌月にはヒトラーの厳命を破って降伏しちゃうんだろ
開戦が遅れていたら、友邦独逸も何だか危ういようだし、
もう少し様子を観ましょう、という話になっていくだろうに
タイミングがちょっと悪かった 自称愛国者はなんでこんなクソみたいな作戦で餓死させられた戦没者を「英霊」って言うの? インパールの顛末見ると、今の日本の企業がどんどん傾いたり潰れていってる理由が良く分かるな。 >>137
すまぬ
バルバロッサ作戦発動が1941年6月で
青作戦は翌年であったか >>139
企業じゃなく日本全体でしょ、傾いてだめになってるのは >>138
亡くなったら皆、仏様です
例え敵兵の米兵であろうがな >>143
でも、仏様とは呼ぶ
英霊と呼ばないのは、宗教的な価値観の違い
霊魂が留まると考える仏教的な思考と違い、
聖書を信じたものは、神に会いに行けるという考え
どちらが悪いというモノではない >>67
辞任しただけでなく予備役編入までされたしな
首相経験者なので重臣ではあったけど >>143
仏様じゃないと言ってる人は誰もいないのでは?
アホなことのために犬死させられた惨めな仏さまってだけで 全国の大牟田さんがインパールってあだ名つけられて困ってるんだよな >>146
仏様に祈りをささげるのに、悪感情は要らない。それが誰であっても >>144
お前もごっちゃじゃんw
霊魂ってのは神道の概念で
仏教では仏になるのであって霊魂の存在は認めていない
全国の寺院が英霊崇拝に加担したのは事実だけどね >>149
仏教は多神教、国内ではそれでいいのでは、
曖昧さを美徳とするが、欧米の一神教には合わないでしょ
だから彼等の思想を重んじて、英霊とは呼ばず。 >>148
かわいそうに、とか気の毒に、とかは悪感情じゃないよ。
君、感情の持ち方が変わってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています