【歴史】三国志の英雄・曹操、劉備、孫権は史実でも本当にすごかったのか
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190827-00010000-php_r-000-1-view.jpg
東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。
しかし、そもそも三国志とは何か、いかにして後世に伝えられたのか、英雄たちの実像がいかなるものだったのか、基本を知りたいという方も多いだろう。ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を紹介しよう。
※省略
『演義』では悪玉とされる曹操ですが、史実においては、桁外れの行動力と変革力を発揮しており、規格外の「時代の変革者」と評せます。当代随一の兵法家でもあり、この時代における一番の天才といってもいいでしょう。
彼が成そうとした最大の変革として、「儒教の相対化」が挙げられます。漢の国教とされた儒教は、漢を「聖漢」、すなわち「聖なる漢」との教えを説き、その体制を支えていました。
しかし、そうした漢の体制が行き詰って、国が乱れているわけですから、曹操は新たな時代を創造するためには、儒教第一主義を否定しなければならないと考えました。
その手始めとして、「唯才主義」による人材登用を主張します。それまでの漢の官僚登用は「孝廉」、つまり人として優れていれば、官僚としての才能も保証される、という儒教理念に基づいて行なわれてきました。
それに対して曹操は、貪欲だったり、賄賂を受け取るような人物であっても、才能さえあればいいとしたのです。
あわせて文学を宣揚し、儒教に通じているか否かではなく、文学に優れているか否かを人事基準として、儒教を相対化しようとしました。
中国史上でも、儒教に異議申し立てをしたのは、ほかに近代以降の魯迅と毛沢東しかいません。曹操が果たそうとしたことは、それほどまでに革新的なことだったのです。
余談ですが、それによって儒教は打撃を受け、それまで普及していなかった仏教が後に広まる契機となります。それがなければ、日本への仏教渡来もどうなったかわからず、その意味で曹操は日本史にも影響を与えているのです。
それから曹操は、漢の土地制度と税制を根本から変える改革も行なっており、「中国史上屈指の改革者」と評して過言ではありません。
三国志の時代は、順当に行けば、袁紹による国家ができたことでしょう。名門の家系に生まれただけでなく、戦い方も王道です。彼は、漢と同じ国家像を志向しています。しかし滅びゆく漢と同じことをしても、無理があります。
そうした袁紹に対し、曹操は漢に代わる新たな国家像を提示できた。だからこそ、勝利を収められたのではないでしょうか。
なお、10年ほど前、中国河南省で西高穴二号墓が発掘され、曹操の墓ではないかと話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。発掘状況と文献を精査すると、曹操の墓で確実だといえます。
■劉備は諸葛亮に利用された
※省略
三国志の時代に、裸一貫から皇帝にまで上り詰めたのは、劉備ただ一人です。曹操は漢の高官の息子ですし、孫権も弱小とはいえ豪族の出身。何もないところから成り上がった劉備の能力は、やはり極めて高かったといえます。
劉備を支えた諸葛亮は、『演義』では天才軍師として描かれます。しかし、持ち上げられすぎているきらいがあり、それがために苦手という人もいるでしょう。
実際の諸葛亮は、自分の得手不得手をよくわきまえた人物で、経済政策を苦手としていました。ですから例えば、劉備に嫌われていながらも、経済手腕には長じていた劉巴を、何とか高い地位につけようとしています。
戦いの面で言えば、戦略と戦術に分けられますが、諸葛亮は戦術が苦手でした。戦術は騙し合いの世界なので、どちらかというと、人格者ではないほうが優れている。その点、諸葛亮はまっとうな人間であり、嘘や騙し合いの必要な戦術は、さほど得意ではなかったと思われます。
しかし、戦略には優れていました。よく「天下三分の計」といいますが、それ自体は、あの時代であれば考え得ることでしょう。むしろ特筆すべきは、劉備という存在に目をつけたことにあります。
諸葛亮は、漢を敬慕し、純粋に「漢再興」を目指していました。ですから、劉備に三顧の礼を受けた時、内心狂喜したのではないでしょうか。
諸葛亮は、劉備が漢帝室の姓を持つことと、彼が優れた武人であることに注目し、漢再興の旗頭として位置づけることを考え出した──。(続きはソース)
8/27(火) 12:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00010000-php_r-pol >>823
漢再興が国是だから出て戦わざるを得ない 孫呉は最後まで名士層と孫家を巻き込んだゴタゴタが絶えず、
それで滅びた感じだな。
まあ、魏も最後はトップクラスの名士層だった司馬氏に乗っ取られて滅んだが。 彼女がオレのボウガチョウをころころと弄ぶと、オレのバチョウした テツリキツがむくむくと大きくなる。ゴツトツコツ!といわんばかりに屹立した オレのカコウボウはまさしくテイホウと呼ぶに相応しい。
彼女の舌がチョウギョクにゲンハクコと絡みつく。
そろそろか。オレは立ち上がると彼女のジュンユウなマンチョウに チントウをソウショクする。
ガクシン、ギエン、ガクシン、ギエンとリズミカルに腰をふる。
彼女のホシツしたジュンウケイがカコウオンを奏で始める。
「シャ、シャマカになっちゃう! アカイナン!アカイナン!テイイク、テイイク、コウソンサァーーーンッッッ!!」
彼女はひときわ大きな声をあげる。そしてオレのチンブからは トウトヌとエキトクが迸り、ぐにゃりとロシュクする。
18禁三国志 >>827
酒に対してはまさに歌うべし
とかすごいよな ようこって武将いたな
能力高いけどみんな年齢で死ぬ時代だから使いにくかった。 >>811
でも漢の高祖はそこから始めて天下を取ったんだぜ?
まあ、状況も相手も違い過ぎるが…。 >>773
曹叡の時代に日本の卑弥呼の使者が魏にやってくる。
返礼の品は鏡(丸いやつ)
その鏡が出土すれば、卑弥呼のお墓が確定する。
長年の邪馬台国論争が決着するのだが。 >>837
演義だと32回だか一騎討ちしてる一騎討ちキチガイだしな >>84
関羽は関帝廟に祀られるほどの人気っぷりですな。
日本でも神戸や横浜の中華街に関帝廟があるんじゃなかった?
曹操は・・・演義での悪役イメージが強いですな。 >>843
中国のランク付けは
商売の神様関羽>日本のフィクション三国志キャラ>よくわからない昔の山賊ども >>830
文字あったぞ硯出てる地域あるだろ
その辺の地域はいわば国家として成り立ってた
そのころからの資料は鎌足達が全部燃やしたけどな まあ司馬家は悪く描かれてるけど司馬法よんだら ぜったいあそこに就職してたわ。
曹操とか残酷でやばいし 劉備も逃避行ばかりできついし、孫堅もいやだわ 曹操と袁紹は若いころから後漢の皇帝に謁見できるほどのエリートだったが、
劉備は貧しい母子家庭で育ち、むしろを作って売ってた超貧困層だった 日本の小説だと五丈原あたりから尻すぼみで切なくなるよな 三国志題材で有名な漫画
横山三国志
蒼天航路
天地を喰らう
他にも有名なのってあるの? >>725
孫権の代で、呉が度々長江超えて合肥辺りに侵攻しては
張遼やら満寵やらにボロカスに負けて泣きながら帰ってくる
っていうの繰り返してたのは割と知られてるが
実は孫策の代でも似たようなことして
陳登にボロカスにやられて帰ってきたりしてるんだよね 三国志は昔月刊少年マガジンでも呆れるしかない創作を更に創作した漫画が連載された事もあるし洗脳具合が絶望的すぎて
史実をまともに論ずるなんて不可能だよ >>874
司馬家も残酷やで
皇帝殺すのはあの一族と董卓ぐらいのもんよ >>862
そうね
秦や前漢(楚漢前)位にはなるね ゲームだと武器は立派だけど
銅の武器ばっかりだった >>850
孔融やっちゃったのが中国では大悪人とされたんよ
孔子の子孫だからさ >>790
曹操だけじゃなく三国時代は古典註釈の傑作が多いよな
論語の鄭玄、何晏
老子の王弼
左伝の杜預、国語の韋昭
全てバリバリの現役だもの 残念なのは中国がその時武具や建築、律令も含めてかなり進んでたのに片や日本は何やってたかよくわからないって事だよな
当時の日本には国の今現在をもうちょい真面目に記録編纂する人いなかったのか? >>772
関羽のほうがやや上かなあ
曹操軍での活躍のほうが際立ってたのが気になるがww
顔良を斬ったのは本当らしいし、荊州戦も曹仁もボロカスにやられて
孫権の裏切りが無ければ曹操は遷都まで考えてたほどだし
曹操軍に留まってれば曹操の代で天下統一出来たんだろうね 曹操も劉備に負けないくらい死にそうエピソード多い
孫権余裕過ぎるでしょ ところでみんなー♪
上野美術館の三国志展は行ったかー?
吉川晃司さんor三國無双の暑いボイスが聞けるぞー♪ >>828
三国志正史は歴史書なので、概ね史実に基づて書かれている。
三国志演義は作り話。 歴史街道は諸説入り乱れて歴史ロマンとして面白いのでもっと流行ってほしい 劉備は料理でだされた人肉をおいしいおいしいといって食べて感謝してるからな
もともと下賤 司馬昭の蜀攻めとか
姜維があえない最期くらいしかもりあがらんもんな
蜀が雑魚すぎて >>4
もし蜀が恋しいなんて言ってたら元蜀の臣がどういう目に遭っていたか・・・ 北方謙三の三国志も面白いらしいね ソープ行け!とかねーだろうな 関羽は神扱いされてるけど最後は降伏するとウソついて逃げ出したクズ
曹操に降伏したのも命が惜しかったからだろう >>859
劉邦は蕭何というロジスティックの化け物チートがいたからな >>861
徐州の自業自得じゃん
曹操は父親を徐州兵に殺されてるんだし >>884
龍狼伝「そんな酷い三国志漫画があるのか!信じられん!」 >>873
カクカは優秀だけどすぐ死ぬからな。ほっとくわ。ゲームだと やっぱり司馬家はとっとくと
優秀なのが5〜6人入るから長い目で見ると諸葛孔明よりはるかに上 >>579
いまの我が国も移民(異民族)を労働力として取り込んでいてやばいよね 中国人視点では曹操はかなりの悪役らしく、一昔前、日本に大人気と知って驚愕していたらしい
だが、今ではすっかり日本文化に染まってしまった現代中国人…… >>874
曹操は殉死させないどころか自分が死んだ後の就職先の斡旋までしてくれるぐう聖だぞ 劉備の家系は県令してて親が死んでも一族が盧植門下に送りだしたりしてるから
すげえ貧乏の家の子って感じではない >>904
何言ってんだずっと中国じゃ悪役だ
逆張りの「実は曹操は凄かった!」が定期的に来るだけだ >>741
曹操は孫世代までもったがその後は反乱が相次いだり
司馬師、司馬昭の権力乗っ取りが起きて結局三国統一は望めずに時代が終わるのも
織田信長と被るイメージがある
まあ魏、呉、蜀のどれも統一のチャンスは無かったわけなんだが
あえていえば魏の猛攻に耐えきった呉が持久力はあった >>909
いやいや、勲功第一のケ艾、鍾会も始末出来て、ニンマリの司馬昭とか最高よ。 >>878
父親は考廉に推される名士で、顕官で大儒の盧植に弟子入りできる身分
父親が早死したから経済的に困窮してただけ 上野でやってる三国志展は行ったかー?
9月で終わるから見に行くと良いぞー♪
個人的には吉川晃司の案内ボイスが堪らないw >>900
正史で持っている所なんて見つかったの?
意図的に隠された所は有っても盛ってはいないと思う >>908
俺は りゅうふく のように一生都市作りをしていたい >>29
吉川あって北方三国志
燃え剣あっての、ばらがき、壬生義士伝 >>926
いや、中国では功績が一番
だから、曹操は人気がある 蒼天航路に「清原が合戦に参加してるようなもの」って書いてあったぞ
俺はそれを信じる 三国で一族がそれぞれ要職に就いたのって諸葛氏くらいだよね? 横山三国志の絵のせいで趙雲て不人気だよなw
ドカベンみたいな顔だもんな >>685
第六天魔王てのは信玄に対して仏敵って意味の当てつけで名乗ってるだけだから >>895
楊震から始まった瞬間吹いたわ
どこから書いてるのよ先生 孔子の身長が3メートルとか言うし中国って信用してええ国なんかわからんな >>929
注釈付けたって話だったような
うろ覚えだけど レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。