東成区は大地主が多く、土地を売りたがらない。
東京で言えば銀座並みに借地ばかりな土地柄である。

工場としては明治期の生駒山麓での水車伸線事業から大阪造兵廠かかわりであり、鉄鋼業の小物の取り扱いが多い。
ナショナルが中国シフトするまでは府道大阪平岡線沿いはネジ屋、鋼管屋の工場、部品卸の店が瓢箪山まで連続して散在していた。

朝鮮色の強いのは鶴橋駅近辺だけである。財を成した三国人が買い入れしようにも東成の住環境は生野よりかならすしも良いとは言えず、
物件の供給的に飛び越して工場として城東や東大阪に求められるか。住宅として天王寺阿倍野、さらに芦屋生駒に求められている。