李承晩ライン
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。

同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、
すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。

日本側はこのラインを認めず、
結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。

李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人

死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。

韓国が卑劣であったのは、拿捕した漁民を人質として利用し、
日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させたことである。

日本は、戦後、韓国と付き合いたいと思った事は全く無く、嫌々
賠償金までふんだくられた。 ,