0001樽悶 ★
2019/09/06(金) 01:18:43.19ID:+Q4CQ8x79https://amd.c.yimg.jp/amd/20190905-00000308-oric-000-20-view.jpg
「140字」という“絶妙”な字数制限があるからこそ、短すぎず、長すぎずの文章に思いを込める…という“つぶやき”文化を作ってきたTwitter。140字では足りないときは連続投稿されることもあるが、最近ではスマホのメモアプリで書いた長文を“スクリーンショット”の画像で投稿する人が多いという。元NGT48の山口真帆やロンドンブーツ1号2号・田村淳をはじめ、自身の気持ちを綴るのに長文スクショで投稿する芸能人も見かける。一方、ネットでは「長文を投稿したいなら個人ブログでやって」といった意見もでている。字数制限=短文だからこそTwitterのよさがあるとすれば、本末転倒ともいえる“長文スクショ”の是非を問う。
■流行語、小説にレシピ…140字だからこそ生まれたコンテンツ
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■1番の利点は「拡散力」しかし使用性の低下と不満の声も
もし、140字に収まりきらない場合は連続ツイートするのが主流であり、ユーザーも「続く」や文頭に番号を振るなどの配慮をしていた。また、1日に2400件を超えるツイートをすると規制がかかってアカウントが凍結するので、事前に規制されたアカウントの代わりに使う「規制垢」を用意する超ヘビーユーザーもいたりした。
そんな中、裏技的に登場したのが「スマートフォンのメモアプリで書いた長文をスクリーンショットし、画像として添付して投稿する」という“長文スクショ”だ。この手法を最初に取り入れたのは2016年、米Twitterのジャック・ドーシーCEOといわれ(『ITmedia NEWS』2017年10月14日付記事より)、以来日本でも長文スクショがじわじわと広がっていった。ドラマの考察や映画のレビュー・リスト、メイクの手順など、趣味のコミュニティや日常生活の中のトラブル、注意喚起など用途はさまざま。中には手書きの紙を撮影した画像を何枚か添付するという、デジタルなのかアナログなのかわからない使い方をする人も出てきた。
こうした流れは芸能人にも広がり、元NGT48の山口真帆やロンドンブーツ1号2号の田村淳らも、自身の思いを語るツールとして、長文スクショを投稿。彼らの心境を真摯に受け止め読んだユーザーも多かったのでは。通常は140字内で完結するはずのツイートが長文となることは、投稿者にもどうしても伝えたいことがあるのだろうし、たしかにスクショを全部読めばその思いもわかるのだが、実際に全文を読む人がどれだけいるのだろうか?…という疑問もわいてくる。
長文スクショの利点としては、「広く拡散できる」「検索されない」「一部のツイートだけ切り取って拡散できない」などがあげられるが、逆に「細かい文字でびっしり書かれて見づらい」「検索できない」「連続投稿の場合は、途中のツイートが拡散されると真意が伝わらない」といった問題点もある。そうしたことから、先述のように「長文載せるなら個人ブログでやれ」「読むのが苦痛」などの批判の声も出てくるのである。
■問題提起の場だけにならない“ユルさ”とのバランス
実際、Twitterのツイートはすぐ拡散されるものの、そう長くは残らずに流れていってしまうのも事実。一時的に注目はされても、風化させないためには絶えず言い続けなければならない。そこでしっかりと真意を伝えるべく長文スクショという手法も登場したわけだが、食傷気味のユーザーも多く、長文スクショを見ると「また問題発生か…」と逆に読まれない場合もあるようだ。むしろ普通のツイートやブログで書いたほうが、その後の検索にも引っかかり、結果的には読まれる頻度は増すかもしれない。
先日の「常磐道あおり運転殴打事件」にしても、被害者のTwitterから表面化し逮捕にいたった反面、通称「ガラケー女」と認定したデマツイートが拡散され、無関係の女性が巻き込まれるなどの被害も生まれた。Twitterで拡散されたトラブルがワイドショーやネットニュースで取り上げられることも多い昨今、賛否両論あるTwitter問題も多くの人がいろいろと考えるきっかけになれば、結果オーライなのかもしれない。
そもそもツイートは“つぶやき”であり、論文や街宣活動ではない。Twitterはその安易さやユルさこそが持ち味であり、長文スクショなどが主流になれば、それこそ自由さや軽やかさも制限されかねない。やはりTwitterは気軽に楽しんでつぶやいていけばいいということなのだろう。
9/5(木) 8:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00000308-oric-ent