【ポアンカレの例】
アンリ・ポアンカレと従弟のレーモン・ポアンカレは共に数学の天才と呼ばれていた。
このうちアンリは数学研究の道へと進み、トポロジー概念や「ポアンカレ予想」など、重要な足跡を残した。
一方、レーモンは政治を志してフランス大統領となり、「理性と合理主義の政治」を掲げ第三共和政で辣腕を振るった。
ポアンカレ政治の「理性と合理主義」がいかなるものであったか最も分かり易い形で示されたのが第一次大戦後の処理で、
ドイツが再び刃向かってくることのないようにするため「ドイツ人を全員死刑に処すること」を主張。
他の連合国から拒否された結果、渋々「二度と復興できない莫大な賠償金を課す」で妥協した。
1934年パリで死去。最晩年ナチスの台頭について「ほらね、ドイツ人をこの世から抹消しておくのが最適解だったろう」と言い残した。