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2019/09/12(木) 16:13:53.48ID:sc96aYRD9地元の菓子卸会社・大町が手がける「日本一のだがし売場」。倉庫を使った広々とした店舗は品ぞろえが3千種類と豊富だ。
全国で駄菓子屋が次々と姿を消す中、連日盛況で、近く売り場面積を2・5倍に拡大する。
廃棄予定の返品を「もったいない」と安値で小売り販売したところから始まった同店。今では年間80万人が訪れる人気スポットとなりつつある。
スーパーにないものがずらり
田園地帯を車で走り抜けた先に、赤い字で「日本一のだがし売場」と書かれた大きな倉庫がある。
中に入ると、倉庫をそのまま利用した広々とした売り場の一面に3千種類の菓子が並ぶ。平日でもお年寄りや親子連れで屋内はにぎわっていた。品物は子供たちの目の高さにあわせ、低い位置に置かれているものが多い。
売り場の一角にはスナック菓子の「うまい棒」のコーナーがあるなど、おなじみのお菓子が並ぶ。一方、あまりスーパーマーケットなどでは見かけない商品も山積みされていた。実験的に市場投入された「季節限定商品」などだ。
これらは小売店から返品されたり、メーカーがかかえる「不良在庫」を引き取ったりしたもの。平均で定価の約6割の値段で販売されている。
同店メディア担当の安達磨里さんは「普通のスーパーで取り扱うのは同じ駄菓子でも売れ筋の3種類くらいだが、うちは全種類扱う。スーパーにないものがあると、子供たちは喜ぶんです」と胸を張る。
メインフロアの隣には縁日風の空間が設けられ、コメディー漫画「だがしかし」(小学館)に登場する店舗「シカダ駄菓子」を再現した建物も設置。入場客がメッセージを残し、漫画ファンも訪れる。駄菓子のテーマパークさながらだ。
もったいない精神
こうした店舗はなぜ出来たのか。
運営する大町は、昭和27年に菓子卸「秋山商店」として岡山市内に設立された。平成7年に事業拡大のため現在の土地に移転したが、大手卸売業者の台頭で利幅は薄くなり、新規事業を模索していた。自らプライベートブランド(PB)で菓子を作ったり、ネット通販を手がけたりしたが、いずれもうまくいかなかった。
こうした中、秋山秀行社長が平成11年に就任して以降、倉庫を使った廃棄予定の菓子の安値即売会を始めた。賞味期限が迫った菓子は小売店から返品され、廃棄されてしまう。桜間博史営業部長は「創業以来の“もったいない”の精神があり、小売り販売につながった」と打ち明ける。
小売りに本格的に乗り出そうと23年4月に店舗をオープン。当時は倉庫の一角を使い売り場面積は100平方メートル程度。
ほとんど売り上げが出ない日もあったが、徐々に規模を拡大し、27年には店の外に「日本一のだがし売場」のノボリを立てた。「『日本一』と言うことが先にあった。有言実行だった」(安達さん)。
バスの誘致活動など地道な活動が功を奏し、やがてメディアで取り上げられ、会員制交流サイト(SNS)でも注目される存在になった。今年11月には隣接する倉庫も売り場として活用し、現在の1千平方メートル弱から2・5倍の2500平方メートル程度に広げる計画だ。
駄菓子で世界を笑顔に
同社がもうひとつ力を入れるのが駄菓子の普及啓発だ。
27年、秋山社長を中心に、駄菓子の関係業者でつくる団体「DAGASHIで世界を笑顔にする会」を設立。
今年8月には一般社団法人となり、140社の構成となった。垂仁天皇に仕えた「菓子の祖」とされる田道間守(たじまもり)公の命日にちなみ、3月12日を「だがしの日」として各地でイベントを実施し、規模を拡大している。
来年のだがしの日は、東日本大震災や西日本豪雨の被災地で、菓子で作った「トーチ」を手に子供たちと五輪経験選手が走る「製菓リレー」を企画。
桜間営業部長は「当日は『駄菓子と笑顔の交換日』としたい。店も、日本一笑顔あふれる売り場にしていきたい」と意気込んでいる。
https://news.livedoor.com/article/detail/17058983/
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