中国北部を征服したあと、チンギス・ハンは西へ向かい、現在のアフガニスタンとイランを征服した。
それからロシアに攻め込んだ。ここではじめてヨーロッパの国と戦ったわけだ。
モンゴル軍は、黒海の北でロシア大公らが率いる軍を打ち破った。
ロシア人兵士をことごとく殺したが、大公だけは貴族を殺すときと同様、流血を見ずに殺した。
つまり土の中に生き埋めにして上に板を敷き、その上で宴会を開いて、大公が窒息死を遂げるのを待ったのである(参考資料・ドーソン『モンゴル帝国史』)