『名古屋大空襲』
アメリカ軍が名古屋市に対して繰り返し行った空襲の総称
特に市街地を標的として大規模に行われたものをいう
後者においては、中心市街地が罹災した1945年3月12日、
名古屋駅が炎上した3月19日、または名古屋城を焼失した5月14日の空襲などを指す

1945年1月にカーチス・ルメイが第21爆撃集団司令官に着任してからは
【焼夷弾を用いた市街地への無差別爆撃】が始まり、3月頃からは深夜の空襲が多くなった

3月12日未明、B-29爆撃機200機による名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われ、105,093人が罹災
【死者519人、負傷者734人に上り、家屋25,734棟が被災し、市街の5%が焼失】

3月19日午前2時頃、B-29爆撃機230機による名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われ、151,332人が罹災
死者826人、負傷者2,728人に上り、家屋39,893棟が被災
中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となり
1937年に竣工したばかりの6階建ての名古屋駅の焼け焦げた姿が遠くからでもよく見えたという

5月14日、B-29爆撃機440機による空襲で旧国宝の名古屋城が炎上、家屋21,905棟が被災
【66,585人が罹災し、死者338人、負傷者783人】

6月9日には熱田空襲が行われ【愛知時計電機・愛知航空機の社員や動員学徒を含む2,068人の死者】

7月26日にエノラ・ゲイによる八事日赤病院付近への模擬原爆(パンプキン爆弾)投下を最後に
63回の空襲が行われ、B29の来襲は2,579機に達した
投下された爆弾の総量は14,000トンに上り、被害は死者7,858名、負傷者10,378名、被災家屋135,416戸に及び
【名古屋市は日本の他の大都市と同様に壊滅的に破壊された】

名古屋市に【数多くあった歴史的遺産と古い町並みの景観が戦災により焼失】
全市域約1万6000haの約24%に当たる約3850haが焦土化

【木造の建造物の大半は焼失】
慶長年間以来の碁盤割の町並みをはじめ、名古屋市の中心の建物の大半は破壊され、完全に焦土と化した