通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で見境なく集団で婦女子にいたずらする。
善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の陸海空の飛行服を好んで見につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプをひっさげた彼らの略奪、暴行には目に余るものがあった。

 警官が駆けつけても手も足もでない。「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」警官は小突きまわされ、
サーベルはへし曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

さらにこれに加えて一部の悪質な米兵の乱行も目にあまった。

戦時中、神戸市内には脇浜小学校はじめ六ヶ所の捕虜収容所があったが、解放されたその捕虜たちの一部は
民家に侵入して拳銃をつきつけ、泣き叫ぶ婦女子を襲った。白昼強盗も横行した。

9月25日、米軍第6軍33師団、17000人が神戸へ進駐してくると治安はさらに悪化し、制しにはいる警官は袋叩きにあう。
終戦直後の神戸は、まさに酸鼻をきわめる地獄絵図だった。