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安全区国際委員長、ラーベ(正統史観

『南京安全区国際委員会ジョン・ラーベ代表』

安全区国際委員長だったラーベは虐殺を1件も目撃しませんでした。
ラーべの日記や手紙の中では
ラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもありません。

ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で
秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていました。

ところが、東京裁判で検察側書証として提出された
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」
(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)には、
「約2万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民を殺害」と書いていました。

さらに、『ヒトラーへの上申書』には、
「中国側の申し立てによりますと、10万の民間人が殺されたとのことですが、
これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。
我々外国人はおよそ五万から六万と見ています」と報告しました。

ラーベの報告は、数千だったり5〜6万だったり滅茶苦茶です。
もしも、本当に日本軍が市民大虐殺をしていたのなら、
日本軍憲兵隊に通報したり日本大使館に抗議するのが
安全区国際委員長の責務であるのに、それをせず、
南京の外(上海やドイツなど)に向けてのみ、
日本軍の犯罪を発信していたのは、
彼が嘘の宣伝工作をしていたとしか考えられません。