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>室町時代の御伽草子。作者、成立年不詳。藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が
住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞いた、頼朝挙兵以前の青年時代の御曹子
義経は、蝦夷(えぞ)の千島喜見城に鬼の大王に会う事を決意する。四国土佐の湊から船出
して喜見城の内裏へ向かう。途中、「馬人」(うまびと)の住む「王せん島」、裸の者ばかりの
「裸島」、女ばかりが住む「女護(にようご)の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを
経めぐった後、「蝦夷が島」(北海道)に至り、内裏に赴いて大王に会う。 そこへ行くまでに
様々な怪異体験をするが最後には大王の娘と結婚し、兵法書を書き写し手にいれるが
天女(大王の娘)は死んでしまう。

この間明治初頭のアイヌの風俗を描いた本を読んだが、其の中ではアイヌは義経を信仰していて、
神棚みたいなものがあって、毎晩食事のときなどに祈るのだそうだ。上にも蝦夷の王との関係が
出てくるから、ひょっとしたらアイヌに伝わっていた、義経伝説を書き写したものかもしれないな。
アイヌの神話。それがどういう経路か知らないが、18世紀のスィフトの聞き知るところになり、
創作のインスピレーションになった可能性はある。幕末からシーボルトやアーネスト・サトーも
アイヌを熱心に調べていたからね。年代的に書かれたのはその100年ほど前だが、なんらかの
形でスウィフトが知っていた可能性はある。
オランダ人たちも日本事情はずいぶん調べていたからね。戦国時代の宣教師の通信とかに
あるのかもしれない。
ガリバーが最期に長崎に来て、将軍に会うというのも偶然とは思えないね。