【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流−青銅・鉄・朱・塩−」
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https://www.sankei.com/west/news/191108/wst1911080011-n1.html
古代の淡路島で製鉄や製塩技術の発達に貢献した海の民「海(あ)人(ま)」に焦点を当てた淡路島日本遺産展
「古代淡路島の海人と交流−青銅・鉄・朱・塩−」が9日から洲本市山手の市立淡路文化史料館で開かれるのを前に、7日、関係者向けの内覧会が開かれた。
古代の淡路島で海人が果たした役割を出土品から考察しようと、島内3市と淡路県民局などでつくる「淡路島日本遺産委員会」と県立考古博物館(播磨町)が企画・主催した。
近年、島内で行われた発掘調査で明らかになった出土品のうち、国指定重要文化財1点、県指定重要文化材30点を含む計176点を
「青銅」「鉄」「朱」「塩」の4つのテーマ別に展示する。
青銅では、国指定の「慶野銅鐸」(弥生時代)や有力者の存在を裏付ける「後漢鏡」(弥生時代、舟木遺跡)。
鉄では、朝鮮半島から技術を導入したとみられる板状鉄斧や工具(同、五斗長垣内遺跡)のほか、管玉や毛抜き形鉄製品(5世紀、木戸原遺跡)など、
素材の切断や曲折など技術の進化がわかるものもある。
このほか、徳島県を産地とする赤色顔料の朱やベンガラの精製道具(弥生時代、二ツ石戎ノ前遺跡)、塩のコーナーでは海水を煮詰める製塩土器を
弥生時代から奈良時代まで年代順に並べ、家庭用から大量生産、朝廷への献上に至るまでの技術の進歩が分かる構成になっている。
淡路市教委の伊藤宏幸部長は「島の歴史の背景に必ず登場する『海人』の営みやストーリーの面白さを、展示品を通じて再認識してほしい」と話す。
来年3月1日まで。午前9時〜午後5時。月曜休館。入館料は一般500円。
サテライト展示として、淡路市の五斗長垣内遺跡・活用拠点施設で「舟木遺跡から甦る古代淡路島の海人」を同時開催する。
期間中には記念講演会(12月)やシンポジウム(来年2月)もある。問い合わせは淡路文化史料館
※連絡先はソースで
https://www.sankei.com/images/news/191108/wst1911080011-p1.jpg >>84
>>83の後半に書かれてるだろ、本来は九州の話なんだよ
出雲は大国主の隠居先であって元々の領地ではなかったんだろう
普通、君主を引退させた場合、縁故のある地元勢力と結託して反乱を起こさないように別の土地にやるもんだわな 史学上安曇と同族海人される海部氏はというのは「海の事柄を専らにする人」
海人族の民として応神帝の御世に海人族の統率を担うことで知られますが
そのAD300年代後半の時代よりもずっと前の神武東征時に水先案内した
豊玉系譜の中での弥生第1波がいます
金属製錬に関わったとされる伊福部氏などと近縁分布を示し淡路島を
青銅の島と呼ばれる理由となった人たちでゴサカイト遺跡や船木遺跡も
残しますが、興味深いのはその銅鐸銅剣出土の地点の周辺に倭モモソ姫
の伝承とそれに該当する古事記の記述があることです
それ以後は愛知県の渥美半島などへも東進しますが系図や史学的には
八木という地名や姻族の掃守や加守という地名を残しつつ大阪平野
大和盆地からも移動。『新撰姓氏録』では尾張に定住し、愛知県には
海部郡という地名があり「伊福」という町名もあることから青銅の神々
というわれる由縁は持ち続けたのでしょう
後世では唐突に流行した八幡信仰の影響により誉田別命の応神天皇を
合祀したり主宰神と入れ替わったりと八幡関係は5世紀以降の定着してい
いきます
それの磯良の信仰が重なり民話がつくられていきます >>78 >>83
後世の民話は中世の時代から荒唐無稽なものが増え始めますね 安曇族と住吉族は仲の良い海人族で安曇族の綿津見神社の近くには必ずと言って
良いほど住吉神社がある。どちらも博多湾を根城に活躍した海人族。 >>99
バカは自演の内容まで圧倒的な同質バカで大変だな 安曇・阿曇族とか住吉族とか、何の根拠もない妄想ばかりだな(苦笑)
自論に都合のいい証拠や根拠だけをピックアップする
学問ごっこがしたいど素人にありがちなオナニー説だなw 海人アマと言えばアメ雨を連想する
アメと言えば狐の嫁入り
天と狐の嫁って何か関係があったのか?なぜ嫁なのか?
稲荷の謎 弥生といえば鉄の時代
鉄といえば倭国
倭国と言えば九州
<魏志韓伝より>
「國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」
(韓国は鉄が出るので、韓国、?国、倭国がこれを採っている。
諸の市で買い物をするときは中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪と帯方の二郡にも鉄を供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係
・倭国として認識された範囲に畿内は入ってなかった
■裏付け
・纏向遺跡では鉄器は出土せず、釘一本すら見つかっていない
・纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない
・もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
(畿内説の有名な迷言) >>107
お前がシロートどころかただのチョンにありがちな嘘松病なだけw 紀元前鉄工房が盛んだったのは丹後半島
1世紀以降は淡路島や大阪、伊吹山辺りに鉄工房が出現
日本海側で勢力交代があり追い出された人々が淡路島周辺に逃げてきたのかもな
丹後半島の歴史は興味深い
紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、【朝鮮半島に類似した墓】、【朝鮮半島製と思われる鉄刀】が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
日本書紀の記述にも合致する
大八段一書三
そこで素戔嗚尊は蛇【韓】鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。
その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。
故に尾を裂きて看るとそこにはにひとふりの剣があった。
名を草薙剣と言う。
この剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在ったもので、今は尾張國に在る。
その素戔嗚尊が八岐大蛇を断ちし剣は、今に吉備(きび)の神部(かむべ)が許に在る。
出雲の簸(ひ)の川上の山、これなり、とある。 >>114
【朝鮮半島に類似した墓】
どの墓がどういう理由で類似してるのかの説明は?
【朝鮮半島製と思われる鉄刀】
→ 【多婆那の縄文系倭人の海人の戦利品か当時の物々交換か市糴の交易品】 442名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:08:44.47ID:0S+UDbW40
>>437
780名無しさん@1周年 2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが
929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0
縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね
270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
https://www.bs-tbs.co.jp/mysterious-america/
解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。
オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?
本州〜北海道〜ロシア〜アラスカ〜オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。
オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。
https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/ 443名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:09.44ID:0S+UDbW40
349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ
389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね
408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
444名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:30.02ID:0S+UDbW40
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する 445名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:10:12.11ID:0S+UDbW40
217名無しさん@1周年 2019/06/07(金) 20:34:12.16ID:paZLZmIV0
朝鮮人と日本民族の違いが判断できるのは
海藻を食べると日本民族は胃で消化できるが朝鮮人達は在日朝鮮人帰化人でさえ消化できない
それだけ縄文人時代の2万年前から日本民族は海産物を食べる習慣があったからで
海苔を食べる習慣や泳ぐ習慣の無かったシベリアエベンキ朝鮮人達が
海女が起源とか日本の海苔巻きが朝鮮起源のキムパブとかわけわからんことを起源にして
朝鮮人のデマの判断はすぐにわかる
220名無しさん@1周年2019/06/07(金) 20:38:01.25ID:paZLZmIV0
海藻を食べる習慣があった日本民族だけ
海藻を消化できるが
他の民族は全く消化出来ない 302名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:11:21.59ID:Lf23WkKu0
>>217
>>270
縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある 446名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:10:32.11ID:0S+UDbW40
314名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:20:59.45ID:BvUsWrN0
>>302
「燻製」「塩漬け」「煮干し」のような現代と同様の食料の貯蔵や保存の技術を持っていて
それはフィリピンから鹿児島から関東あたりまでその作業跡が出てる
ピットでは地下水使って虫抜きもするし栗の品種改良までやってるしな
その後と重なるように丸木舟や丸木舟専用の石斧が東京都まで出土するんだからな
縄文人の活動圏は広域すぎるよ
318名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:25:45.48ID:jftzTyjq0
>>302
> 縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある
そんな適度な事書いても
喜んで本気にするのはネトウヨだけだよ。
またネトウヨが縄文人の特徴はって
本気にして他の掲示板にコピペするから
止めときなよ。
341名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:52:02.28ID:A9wu72l0
>>318
「外耳道骨腫」も知らない在日韓国朝鮮人wwww
日本の夜間小学校から入り直せよwww 海人があるなら、山人・平野人があるはず。
海人だけ優遇されてるのが気にくわない。 >>122
優遇ではなく弾圧されたから渥美や熱海安曇などへ逃げたんだろ これとか邪馬台国とかお勉強し過ぎちゃった人が必ず湧くよね 瀬戸内海連合の東端は淡路島っぽいんだよね。
記紀神話の国作りが淡路島から始まってるのはそれを仄めかしてて、
万葉古歌もその頃に詠まれた可能性が高い。
奈良は白村江の敗戦で、決戦の地をもっと東に移してからじゃないかな >>114
恒例の貼り付けたような無知無恥全開の在日韓国朝鮮人の盲望
>紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
爆笑wwwww >>128
スンダランド由来の海人はたくさん来てるだろうな
でも朝鮮半島には海人は縄文人や列島弥生倭人が季節別荘のように使ってた半島南部の洛東江下流域以外にはいないから朝鮮半島からじゃないね >>130
日本列島は人類誕生の地ではないから、みんな渡来人だよ。 >>103
神武東征は3世紀末から4世紀初頭のお話 >>127
初代の淡路国造の血脈みれば上の方で出てくる豊玉系そのもの
まあそれが孝霊天皇の血筋の倭迹迹日百襲姫命を含む海人族で吉備海部と同族関係だから特殊器台や大型円筒埴輪のことを早くから説明していたどれだけ現代考古学は優秀なんだよと思ってしまうわけだがね
日本の海神わたつみは総て国津神だからそれも「古事記」や「日本書紀」の記す中身通りでおもしろい >>104
反論出来ないからって印象操作で逃げるのは良くない >>133
倭国造の倭氏の一族も尾張氏と同祖だから豊玉彦の系譜なんだよね
畿内大和の長官である倭国造が九州の海人出身というのが面白い
やはり九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったんだろうね >>132
20年前くらいまではそういうこと言う人がいたらしい
神武東征は遅くともAD2世前半に始まり半世紀続いた異常気象の手前か最中だろうと気象学や年輪年代からもいわれている >>134
傍からどう見たって無知丸出しはお前じゃんw
もしかして半島人のお方? >>104
同意という必要もないだろうな
室町時代の与太話なんて荒唐無稽すぎて子供に読み聞かせの絵本にはいいけど歴史知識がないあまりに真剣に話できるところが想像を絶してるからな >>77
鹿島神宮には神功皇后が奉納したという常陸帯という宝物があるとされる
三韓征伐の際のタケミカヅチの加護に感謝するものだというからその説は割と信憑性が高い >>136
畿内厨はこうやって息を吐くようにウソをつくんだよなぁ
実際は鉄器の移動から見て神武東征はBC300年頃
830 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 13:46:47.04
>>829
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり >>136
奈良女子大だったか奈良教育大だったか中塚先生という人が大阪の弥生博物館で講演してたよ
そのメガディザスターと呼ばれる期間が倭人伝の記述の大乱の時期かもだというような含みだったかな
古くは神武東征のモデルは奴国東遷や46cmの内行花紋鏡の件などいろいろ考え方はあるけれども
主流派の学者の大部分はAD前後〜AD150年想定がほとんどだね >>98
そういえば神戸の東灘区に国香通りとか国香という交差点があったわ >>143
畿内論者が我田引水してるだけじゃん
考古学的には>>141の通りだろう
畿内が4世紀まで鉄貧乏だったのは有名な話だし >>104
射楯兵主神社の社伝がいつ中世になったんだ?
延喜式にも載っている神社なのに
それに射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めたという話は播磨国風土記にもある
一連のレスは荒唐無稽なのではなく、単に君に知識が足りなかっただけだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/171.html
> 神社の祭神については「播磨国風土記」の飾磨郡・因達(いだて)の里の条には
> 「土は中の中なり。右、因達と称(い)ふは、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 、韓国(からくに)を平(ことむ)けむと欲(おもほ)して、渡りましし時、
> 御船前(みふなさき)に御(ま)しし伊太代(いだて)の神、此処(ここ)に在(いま)す。故( かれ)、神のみ名(な)に因りて、里(さと)の名と為す」と記載がある。
> この因達の里の伊太代の神は岩波書店「播磨国風土記」の脚注によれば、「航海神。住吉大社神代記に船玉神と見える・・・」とある。
> これによると、因達(いだて)の里(さと) の名は伊太代(いだて)の神の名をつけたという。
> 射楯の神は神功皇后と係わりが深く記載されているので、海人族の神でもあったのであろう。 紀伊にも神功と五十猛の密接な関係を物語る神社があるようだ
神社の住所が海部郡というのも海人族との深い関係を示していると言っていいだろう
http://kamnavi.jp/it/itakeru.htm
> 大川八幡神社 海部郡加太荘大川浦に福神社が鎮座、「神功皇后、伊太天の神像あり」と記され、注に伊太天は伊達、即ち五十猛也とありました。
> (続風土記)現在、大川地区にはこの神社しかない。 古代の毛抜きって何に使ってたのさ?
髭やギャランドゥーでも整えてたのかな? 南あわじ市には「阿万」と書いて「あま」と読む地名があるね。 >>141
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
この鉄鍛冶工房の偏り具合を見ると八岐大蛇伝説が実は九州の話というのにも説得力はあるな
天叢雲剣は鉄剣だろうし 銅鐸圏を出雲と言ってたんだと思うよ
つまり九州をのぞく西日本東海だよ。
島根県はその元となる発生地だったってだけで
だから風土記には出雲の話で島根県に伝わる一部の話しかしるされないだけで 高槻、三島地域に安満遺跡があったな
三島地域で最初に稲作が始まった遺跡、弥生時代前期〜
安満はアマ 多婆那国とは、倭国から北東一千里とされている。
倭国は北部九州の事で多婆那国とは現在の丹波地方の事。 >>146
[射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めた]?
播磨国風土記のどこにそんな話があるの?w 釜山の市場ではワカメがたくさん売っているから韓国人もワカメを食べている
海藻類を食べるのは日本人だけとは大嘘だぞ 飾磨郡因達里の箇所で有名な一節
神功皇后が
「韓国を平けむと欲りして渡りましし時、御舟前の伊太氏の神ここにましき。故、神の名に因りて里の名とす」
この日本の風習の内容も解釈できないとか日本人なのかな?
日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
その船玉神に韓国伊太氏という新羅に面する出雲に顕著な神を祀ってる
その神は韓国に対峙して出雲を始め日本国の護りとしての神で有名だけど
もちろん素戔嗚尊の息子神
ちょうど韓半島に向かって綿津見神を対馬から北九州にずらっと朝廷が
並べてるのと同じこと
三韓征伐の時に神功皇后がその息子神を船玉として船の守りに用いたわけだけど
その神が生身の人間に変身して舵取り?
頭おかしいのかな 🌟新羅本紀🌟
弥生後期 〜 古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。 【研究】縄文人、内陸より沿岸部で腕太く 手こぎ舟で鍛えられ
「縄文時代でも帆を使った舟がなかったことを示す成果」
縄文人は、内陸よりも沿岸部に住んでいた人の方が腕が太かったとの研究結果を、
国立科学博物館などが発表した。外洋に出て漁や海上交易をしていたと考えられている
愛知県・渥美半島に住んでいた集団の男性が特に太く、舟をこぐことで鍛えられて太く
なった可能性があるという。
ヒトの足や腕の骨は筋肉を使った活動に応じて太く成長する。縄文人の手足は現代人
よりも太い傾向があるが、年代や地域によってばらつきがあることが指摘されていた。
同館は全国の遺跡から出土した縄文時代の上腕骨797人分を分析。その結果、
内陸よりも、海で漁を行っていた沿岸部の集団の骨の方が太い傾向があった。一方、
海岸に近くても、主に川で漁をしていたと考えられる集団は比較的細かった。
沿岸部の中でも、渥美半島にある縄文時代晩期の保美(ほび)貝塚(愛知県田原市)
の男性は特に太く、出土した22人分すべてが全国平均を上回った。全国で出土した中
で最も太い骨もあり、上腕の細い部分でも外周が8.1センチと、江戸時代の平均的な
男性より約2センチ長かった。外洋で漁をしていた他地域よりも太く、漁だけでなく、
海上交易で舟をこぐ機会が多く、腕が鍛えられたと考えられるという。女性は周辺地域
と大きな差はなかった。
同館は、3万年前に日本人の祖先が大陸から渡ってきた航海を再現するプロジェクトを
進めている。プロジェクトの海部陽介代表は「縄文時代でも帆を使った舟がなかったこと
を示す成果で、3万年前も手こぎ舟を使った可能性が高い」としている。【大場あい】
毎日新聞 2018年8月27日 20時18分
https://mainichi.jp/articles/20180828/k00/00m/040/074000c >>160
>「われわれは海戦に不慣れでございます。」
海戦に不慣れてw
大昔から新羅人とか朝鮮半島民族は非海洋民族だったんだな 『韓国海軍に所属する軍人の約2万6000人が
このほど、水泳テストを行ったところ、63.5 %が
「まったく泳げない」もしくは「5分しか泳げない」
ということが分かった。4日、環球時報が伝えた。』 韓国でも韓国海苔があるが海苔は加熱したら朝鮮人でも消化できるようになるそうだ
だから生海苔を食べる事が出来れば日本人と言えるんだが生海苔はどこで売っているんだろうか >>155
それは(多婆那国=丹波)は海流を全く無視したトンデモ説。よく見るけど。
当時半島で「倭国」と言うのは、弁韓も大体入ってて日本で言う任那のこと。
新羅本記で「倭国」と言ってるのは、半島側の倭国の場合が多いよ >>163
百済や新羅は舟の扱いや海での航行能力が基本的に欠如
新羅の場合は唐の水軍の船を使わせてもらうようになって
からは少しは海運力はついたがそもそもはからっきしダメ
これは今の韓国海軍にまで続いてる半島の民族的伝統
この場合は海軍においては致命的マイナスの伝統
いまだに真球がつくれずよって潜水艦が性能悪くて
実戦では音もダダ洩れでとても使い物にならない
対照的に世界一といわれる日本海海軍の掃海技術を頼りに
大勢の旧日本海軍の兵士が朝鮮戦争で秘密裏に召集され機雷除去で命を失った
韓国の教科書に一行もないし日本が設立したソウル大学でも梨花女子大でも習わない
どうしたものか 狐の嫁入り謎やな。なぜ嫁なのか?
鬼火の伝承と日が照っているのに降る雨
火に日に照にフルにアメ、🤔
福島県の狐の嫁入りはすり鉢を被ってすりこぎを持っているとか
岐阜県では怪火だけでなく竹が燃えて割れる音がする伝承が残っている
徳島県では同じ怪火を狐の葬式と呼ぶらしい >>161
驚異的骨太人は発掘場所が長崎の島だったけどな。
愛知県にもあったのか。
縄文時代の海人は沖縄の貝を北の果ての礼文島で加工したりしてて
日本列島なんか縦横無尽。
アメリカ大陸にも海沿いに行ってて縄文土器などを残してる。
また古代文明や江南人も縄文人が祖先ではないかと最近は言う人が居るぐらい。
けど縄文期終わりの寒冷化で自由な暮らしでは絶滅しかかった結果、
定住農耕生活を嫌々選ばざるを得なくなって自由を失った。
みんな寒さが悪い >>165
半島側の倭国なら陸から攻めればいいじゃん
なんで海戦に不慣れだと言ってるんだ? >>159
朝鮮人は相手するだけムダ
客観という概念がない民族だから 平成天皇もそうだよな祈祷師なのに天変地異二回やらかしてるから左翼化した困った天皇だった今上天皇はマトモだと信じたいけど世界平和とか言ってたし崇拝がなくなるわ 宮の本遺跡で出土したイモガイ製の腕輪。女性が身につけていた(佐世保市教委提供)
https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_001.jpg
宮の本遺跡
https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_002.jpg
筋骨隆々の弥生人の集団が西北九州にいた−。佐世保市・高島の「宮の本遺跡」
でこの夏、
上腕骨が一般的な弥生人よりも一回り太い、約2千年前の人骨が出土した。人類学者によると、西北九州の離島で見つかった
弥生人骨には、こうした特徴があるという。「弥生文化=農耕社会」と思われがちだが、高島の弥生人は異なる暮らしをして
いたようだ。
高島は九十九島の一つで、本土の相浦港から海上タクシーに20分ほど揺られて渡る。その先には世界文化遺産の黒島天主堂
で有名な黒島が浮かぶ。
遺跡の発掘調査は昭和50年代に行われ、弥生時代の墓地で人骨約40体が出土した。
市教育委員会は2016年から範囲
を広げて調査を再開。今年8月、箱式石棺墓2基から男女各1体の人骨を取り出した。 骨を分析した国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長は「この男性は同じ時代に
福岡平野で出土した人骨に比べ、
上腕骨が太い」と話す。大腿(だいたい)骨の股関節から推定して身長158・2センチ、体重77・2キロ。
がっしりした体格で縄文人の系譜という。宇久島や平戸島で出土した弥生人骨も同様の傾向があり、海部さんは
詳しく調べている。
□ □
スポーツ選手の骨が太いように、高島の弥生人も何らかの“運動”をしていたのか。日本人の起源を探っている
海部さんは、弥生時代に始まったとされる「貝の交易」に着目する。
その手掛かりが、宮の本遺跡で1978年に出土したイモガイ製の腕輪。女性の人骨が身につけていたもので、
イモガイは沖縄近海でしか採れない。弥生時代、北部九州の有力者は南海産の貝を珍重したため、
高島は交易の中継地だった可能性がある。高島の弥生人が船で貝を運んでいた、と海部さんは考えているのだ。
西北九州の弥生人が南海へ渡った足跡は見つかっている。西北九州特有の墓制が沖縄で確認され、縄文時代
晩期の佐賀・腰岳産の黒曜石が沖縄で大量出土したとの報告もある。熊本大の木下尚子教授(考古学)は「西北
九州沿岸の全ての弥生人が交易したとは言えないが、福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな海人の世界が
あった」と推測。その行動様式は縄文時代から続いている、とも指摘する。
酸性土壌の九州本土では人骨が残りにくいが、宮の本遺跡は海岸だった砂浜の地層にあるため、保存状態がよい。
100体以上の人骨が残されているという。ただ、不思議なことに、これまでの発掘調査で集落跡は発見されていない。
目と鼻の先に本土が見えるのに、なぜ、彼らは高島を選んだのか。佐世保市教委の松尾秀昭学芸員は「考古学では分か
らない点を人類学で分析し、弥生時代の葬送儀礼や当時の生活の様相を明らかにしたい」と語る。多様な弥生社会が、
長崎の離島から浮かび上がることを期待したい。
西日本新聞 2018年12月15日00時09分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/473181/ >>174
>福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな
>海人の世界が あった」と推測。その行動様式
>は縄文時代から続いている、とも指摘する。
縄文海洋人は凄すぎるねえ
沖縄まで行ってイモガイとか仕入れてとか元気すぎよ 自演をやりたければIDの表示されない板でやればいいのに。(´・ω・`) 弥生人到来の時代にはもう三韓討伐で半島支配してて朝貢さしてたのに朝鮮人の妄想が草だな もともと海水の雫が固まってうんうんのイザナギ・イザナミ神話からして海洋民族の神話だな スサノオは海神なのに、海人族はスサノオを祀らないの?(´・ω・`) >>178
こわくて海を渡れない民族がなぜ渡来できんだよ
渡来してきたんじゃなくて連れ去れたが正解だろ 倭寇に技術者や女連れ去られ放題だったんだろ
だから邪馬台国は庶民もみな多妻が実現できたわけで >>180
スサノオを祀ってる神社の多さをしらないとかか
それでよく質問のかたちをとろうとするわ >>183
海人族≠漁民ではないと思う。
俺の父方の先祖は古代朝鮮からの帰化人だけど漁民でスサノオを祀っていたよ。 スサノオは朝鮮半島から渡って来た神で海神だから朝鮮系帰化人を先祖に持つ漁民が祀るのに相応しい神だと思う。 スサノオは自身が風(暴風)の神で、製鉄先進地の朝鮮半島から
息子である木の神 五十猛を伴ってやってきたから、
てっきり鍛冶神だと思っていたが、海神という面もあるのか。
たしかに「朝鮮にゃ金銀はあるが浮宝(船)がねえ」とか言ってるな。
>>92
すばらしい! 古事記で風の神はシナツヒコとある
伊勢の風宮に祀られているのは級長津彦命、級長戸辺命
龍田大社はシナツヒコとシナツヒメ スサノオが朝鮮からきたらみんな朝鮮になるんだがw捏造して可能性作るのは大昔からそうなんだな
聖徳太子はトルコ人説てきなもんだ基地外 681名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 06:51:05.40ID:3oBm95kG0
>>676
『スサノオは髭を抜いて放つとその髭が杉の木になり
胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。
これらの樹木を見て、杉と樟は、船を造るのに良し、檜は宮殿
の材料に』
スサノヲは、縄文系日本人として描かれているが、神話上は
朝鮮半島 に渡ったがそこがスサノオの好みに合わず、列島
に帰って来たと記される。
日本の緑の豊かさと朝鮮半島に森林の欠乏が描かれており、
青谷上寺地のDNA解析結果は、そういう際の半島女性の出雲
への持ち帰りの状況をあらわしているのであろう。 682名無しさん@1周年2019/04/28(日) 06:52:44.88ID:8xrkHv2m0
そういや、ヒノキは、日本と台湾にしか分布しない
683名無しさん@1周年2019/04/28(日) 06:55:01.22ID:8xrkHv2m0
スギも、日本固有種
ウンコ半島には、朝鮮総督府が勝手に植えたニダ
696名無しさん@1周年2019/04/28(日) 07:24:07.56ID:V73LBiEW0>>698
在日韓国朝鮮人の頭の中は
デタラメでも大嘘でも妄想でも何でもいいから
自分たちに都合のいいことを広めてしまえば
勝ちだと思ってるキチガイだから
だからいつまで経ってもノーベル賞が取れないんだけどね
698名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 07:26:12.84ID:Tkow/OiG0
>>696
そんな奴の笑顔にコロッと騙されて無料で液晶技術を伝授したバカもいた 肉食雑穀で青銅祭祀文化色が薄い
泳ぐの苦手
韓国人はどうやら縄文系でも弥生系でもないようだ 南西諸島や台湾からチョウの
「アサギマダラ」が上天草市大矢野町
維和 1000kmを超す長旅の飛来
まるで縄文時代や弥生時代の日本列島の海人みたい 146名無しさん@1周年2019/11/11(月) 21:53:27.92ID:HkrLNJEj0>>156
>>104
射楯兵主神社の社伝がいつ中世になったんだ?
延喜式にも載っている神社なのに
それに射楯の神こと五十猛が
神功の舵取りを務めたという話は 播磨国風土記にもある
一連のレスは荒唐無稽なのではなく、単に君に知識が足りなかっただけだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/171.html
> 神社の祭神については「播磨国風土記」の飾磨郡・因達(いだて)の里の条には
> 「土は中の中なり。右、因達と称(い)ふは、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 、韓国(からくに)を平(ことむ)けむと欲(おもほ)して、渡りましし時、
> 御船前(みふなさき)に御(ま)しし伊太代(いだて)の神、此処(ここ)に在(いま)す。故( かれ)、神のみ名(な)に因りて、里(さと)の名と為す」と記載がある。
> この因達の里の伊太代の神は岩波書店「播磨国風土記」の脚注によれば、「航海神。住吉大社神代記に船玉神と見える・・・」とある。
> これによると、因達(いだて)の里(さと) の名は伊太代(いだて)の神の名をつけたという。
> 射楯の神は神功皇后と係わりが深く記載されているので、海人族の神でもあったのであろう。 156名無しさん@1周年2019/11/12(火) 00:10:24.39ID:+qunvZrN0
>>146
[射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めた]?
播磨国風土記のどこにそんな話があるの?w
159名無しさん@1周年2019/11/12(火) 00:25:44.44ID:+qunvZrN0>>170
飾磨郡因達里の箇所で有名な一節
神功皇后が
「韓国を平けむと欲りして渡りましし時、御舟前の伊太氏の神ここにましき。故、神の名に因りて里の名とす」
この日本の風習の内容も解釈できないとか日本人なのかな?
日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
その船玉神に韓国伊太氏という新羅に面する出雲に顕著な神を祀ってる
その神は韓国に対峙して出雲を始め日本国の護りとしての神で有名だけど
もちろん素戔嗚尊の息子神
ちょうど韓半島に向かって綿津見神を対馬から北九州にずらっと朝廷が
並べてるのと同じこと
三韓征伐の時に神功皇后がその息子神を船玉として船の守りに用いたわけだけど
その神が生身の人間に変身して舵取り?
頭おかしいのかな 沖縄では縄文時代以来、貝交易が連綿と続いていてこれが沖縄の古代史の大きな特徴となっている。
九州から出雲や西日本や愛知まで出土する男性の腕輪は大型のゴホウラ貝。
この大きな巻貝は琉球列島のサンゴ礁域に生息している。
弥生時代の貝交易は,北部九州の弥生人が、ゴホウラやイモガイを用いて腕輪を作ろうとしたことに端を発している。
貝交易の対象はゴホウラやイモガイ、ヤコウガイなどサンゴ礁の海に生息する特徴的な大型巻貝で、
サンゴ礁が現在のように島のまわりに完成するのは,弥生時代の頃である。
西北九州型(縄文系弥生人)は、中頭型で顔が低い。
眉の上が隆起する。鼻根部が陥凹し、鼻が高くホリが深い。
身長は男性平均で約158センチ、女性は148センチ程度と低身長。
こちらは福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県の海浜部の土壙(どこう)墓や石棺墓、支石墓から出土する。
糸島新町(福岡)、大友(佐賀)、松原(佐賀)、宮の本(長崎)、沖の原(長崎)、出津(長崎)、深堀(長崎)
浜郷(長崎)、大久保(長崎)、根獅子(長崎)、御領(熊本)、阿高(熊本)、畑中(熊本) >>1
慶野銅鐸などがたくさん出土する松帆から東へ続く倭文という地名が神秘だよね >>195
>日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
それは神功皇后が五十猛を舵取りとして勝利した出来事にあやかってるわけ
元々は人間なわけ
>その神が生身の人間に変身して舵取り? 頭おかしいのかな
八幡愚童訓や袋中上人が頭おかしいと?
頭おかしいのは故事にあやかるということを知らない君だよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。 >>194-146
抱腹絶倒したw
戦艦ヤマトに乗せて奉った船玉神は確か倭国造の祖神だったが146の頭の病気のような脳みそではウズ彦が急に操舵室にSF映画のように出現して戦艦ヤマトを操舵してたんだw
もう腹筋崩壊ww
>>198
抱腹絶倒の脳みそはコイツかよw
バカの極みで笑わせてくれてありがとうよww そんな神功皇后の時代に初めて現れた支族が縄文時代からいる海洋民族なわけないじゃん
日本人は縄文時代から八丈島にも沖縄、北海道まで航海してるんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています