0810名無しさん@1周年
2019/11/14(木) 14:26:27.59ID:Je9ZVFR00いわゆる弥生系は一重まぶたと考えられていますが、その大元は支那南部の少数民族と考えられます。
さらに時代を下って、百済、新羅の遺民がかなりの数流入します。
これらは弥生のグループの別れの可能性があります。
さらに下って室町期にはいわゆる倭寇が活動しますが、この中に少なからず朝鮮人がいたことが記録されています。
秀吉の朝鮮征伐に伴う技術民の拉致でも多数が国内に入ってきています。
そして、朝鮮併合によって朝鮮人は日本国臣民になりましたから、改名して戸籍を持って融け込んだ人たちも多くはないけどいます。
このように一重まぶたの起原となるような人々の流入は何度もありますから、質問者の住む場所、祖先の遍歴などに依っていろいろな可能性が考えられます。
ちなみに、韓国というのは戦後で来た国家であり、祖先を論じるなら朝鮮民族といったほうが正しいと思います。