【おまいり】神社で「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法ではない。宗教学者が教える“しきたり”の嘘
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https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11151100/?all=1
初詣などで神社に参拝するときは、「二礼二拍手一礼」が一般的な作法として知られる。
この作法をイラスト入りで紹介している神社も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏によれば、
これは伝統的な作法ではないというのだ。
神社巡りといえば、高齢者の老後の楽しみと言われものだが、最近は、30〜40代の女性の参拝者が目立つようになった。
神主から朱印と墨書をいただく、いわゆる「御朱印ガール」と呼ばれている人たちだ。彼女たちは、参拝する際は
「二礼二拍手一礼」を頑なに守っているが、
「彼女たちより年輩の人たちから見れば、この作法に違和感を覚える人もいるはずです」
と語るのは、先日、『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)を出版した島田氏である。
同書では、神社の参拝作法や除夜の鐘、初詣など、日本人のしきたりについて解説している。
「昭和の時代は、二礼二拍手一礼はそれほど広まってはいませんでした。以前の参拝作法は、基本的には、
両掌を顔や胸の前で合わせて拝む合掌でした。今でも、合掌して参拝する人もいます。
二礼二拍手一礼だと、形式だけで終わってしまう。心の中で祈る間が、この作法は含まれていない。
だから、物足らないと思っている人は多いのではないでしょうか」
島田氏は、最も美しい形の参拝として、黒澤明の映画『姿三四郎』(1943年)のワンシーンをあげる。
「三四郎は、村井半助という他の流派の年配の柔道家と対戦しますが、試合前に近くの神社を通りかかったとき、
半助の娘が、神社の拝殿の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃します。娘は着物姿で、下駄を履き、からだをその上に沈め、
目をつぶりながら手を合わせ、懸命に祈っていました。映画の舞台は明治時代ですが、当時、神社に参拝するときは
合掌したことがうかがえます。映画を見ればわかりますが、この祈りの姿は美しいですね」
合掌が伝統的な作法
「元々神道には、開祖も教祖もいません。教えを記した教典もありません。ですから参拝の作法もありません。
そのため明治以前は、神道と仏教が密接な関係を結びます。仏教には教えの体系があるので、仏教の理論を応用し、
融合したのが神仏習合です。明治維新になるまで、神仏習合は千年間続きます。仏閣での参拝には、拍手がありません。
基本的に合掌となります。それが神社に受け継がれてきたわけですね。実際、江戸時代の1763年に、芙蓉山人(ふようさんじん)
という人物が出した、伊勢詣のガイドブックのような書物『伊勢参宮細見大全』では、参拝者の様子が描かれています。
参拝者は座り込み、合掌して拝んでいます。頭を垂れて、一心に拝んでいる人もいます。拍手を打っているような人間は一人もいません」
昔の人たちは神に祈る場合、座り込むか、それに近い形をとっていたわけだ。
「現在の二礼二拍手一礼は、立って行います。果たして神に祈るとき、立って礼拝するというのは正しいのだろうか。疑問に思いますね」
奈良時代から始まった神仏習合、当初は仏教が主で、神道は従だった。
「神仏習合の理論の代表的なものが、“本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)”です。日本の神々は、仏がその姿を仮に現わしたという考え方で、
仏が本地(本来の境地)で、神が垂迹(仏の化身)です。仏を神の上に位置づけたわけです」
ところが、江戸時代になると、神道の優位を説く思想が起こり、明治時代になると、神道を国家の基本に据えようする国学者や神道家が現れる。
「これで、神仏分離となり、神社の境内にあった寺院は破壊されます。いわゆる廃仏毀釈です。千年も一緒だった神道と仏教が
バラバラになってしまったわけですが、これが問題だったと思います」
神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられたのは、明治時代だという。 >>852
まあ本質的にはどう祈ってもいい
二礼二拍手一礼だけでも、柏手だけでも、一礼だけでも なんで神道の作法なんて急に言い出すんだろう
いま流行だからかな
流行にのれば金になる?ご利益あったね 島田ひろみは胡散臭いけど
黒澤明は信用していいとオモウ >神社の参拝作法や除夜の鐘、初詣など、
除夜の鐘?
>島田裕巳
解散 というか伝統的な宗教に神社とかないだろw
神社にお参りはカルトだしエンタメだろ。
普通まいるなら山とか川、初日の出とかだろ。
神社に何があんの? 神社によって微妙に異なるんだよねこれ
八幡宮の総本山、宇佐神宮では2拝4拍手1拝
http://www.usajinguu.com/worship/ 神道は死んだ宗教ではないので、作法は変遷してもおかしくはない
こういう学者が遷宮の時に古い材使えとかトンチキなこと言うんじゃねえの
神様だって新築がいいだろうに >>1
拍手した後に拝むじゃん
うちの明治生まれのばあちゃんはちゃんと柏手うってたよ >>912
世界的に宗教が消滅しかかっているとゆー本も書いているよ、この人。 >>918
祭りっていうフリーセックスの場があっただろ ウリたちのカルト宗教が
この頃流行らないニダ
日本の神教を崩すニダ >>885
邪悪なエンタメだからだろ?
漫画やアニメが批判されるのと同じなんだが?
何が疑問なんだろ。 神社による
でいいんじゃないの
なんで作法に統一が必要なんだ この人、オウム真理教の勢力拡大に多大の貢献をした件は知らんぷりだな >>913
でもさ、手水舎で柄杓に口を直接つけて飲み込む団塊ジジババにはもっとマナーというか作法を知ってほしいとは思わん? >>921
私もそう聞いている。明治時代にそれらを標準化して、2礼2拍手1礼と決めたと。 除夜の鐘って聞くと子供の頃いつもうまくいえなくて
ジョアの鐘って言ってたの思い出す >>932
それはまあ創作じゃん、ディズニーランドは神社なの? お前らの好きな神様は誰?
おれはタケミカヅチの命
何もかも格好良い
あらはばき神も名前が格好良いから好き >>915
島田は宗教関係で沢山出版し続けている
まあその一環で最近思いついたことなんだとオモウ
タイミングとかそういう深いいみなんかない
ダラダラ出版し続けてるだけ へたしたらパンプキン神社とか作ってもおかしくない。電通とかがw
大魔神社はできてたよな。ほんとパロディ化しとるでw >>918
はあ?
おまえは祭神の名前を読まずに祈ってんの?馬鹿なの? 研究したことはないが、原始的なアミニズムみたいなもんだろ。原始的だkら悪いとか、劣っているとか
いうことではないが。
霊魂もすべて善玉というわけではないから、祟りをおそれてまつる、という側面も一般に思われている
以上に大きいのではないかと思われるがね。
二礼うんぬんは高度成長期以降というのは、おもしろかった。国家神道を復活させたい日本会議系は
やはり気に入らんようだがww 作法知りたかったら
各神社の崇敬会にはいればいいだけなのに >>943
年に10冊ぐらいは書く勢いだな。ギネスブックを目指しているのかも知れんw >>946
いやいや、お前のくだらない迷信とか知らんて。
俺はただのエンタメだろっつってんじゃん。
マンガ読むのと同じだろ。 >>1 >>851
>まあね二礼二拍手一礼なんて何時そうなってたんだとはオモッテタw
昔から家族で神社に行ってた人はそう思ってる
単純に善男善女、一応はそのつもりで神社にお参りに行くのに
右翼が関わってからおかしくなった
子供の頃から素朴に尊い神さまの社が、右翼に穢されるのが不快 >>836
まあでも、これだけ時代が「現代化=個人主義化」して、「親族親戚や地域共同体」との関係が薄くなった、失われたから
「マニュアル・教科書」的なものがないと「どうしていいかわからない」人が増えて、そういうものが求められ、それに従うのも、仕方ない気がするよ。 >>942
もちろんタケミナカタだろ
アマツカミにも逆らう剛の者よ
アイヌだ琉球だのいう連中なんて新参者に過ぎん
我らクニツカミがどんだけ長い間臣従してきてると思ってんだ?と
えーと・・・
2千年間くらい問い詰めたい 神社本庁が勝手に言ってるだけで元から地域ごとで統一されてないアニミズムなんだから賽銭さえ投げてれば好きなやり方が一番正しいんだよ 俺みたいな田舎者にとって
近所の神社に参るのはご先祖様に手を合わせるみたいなもんだ >>941
古事記は、それまでの日本の成り立ちを712年に編纂された書物
ディズニーランドは神社じゃないよw >>951
おまえばかなの?
お前が言う神道は神道じゃないって言ってんだよ。 >>762
その「ドアにあたるところ」だと言いたいのだろうが、鳥居って増えるんだよw
今よく見る鳥居は、近年に奉納されたやつが多い。
モータリゼーションで、新しい道が出来て、駐車場のあるほうに作ったどでかいやつ。
元の小さな鳥居は無視されてたりw
神様はどこから出たらいいか迷子になって困っていそうだわ。 生まれてからずっとお参りしてる神様の詳細が公式に「よく分からない」なんだが...
鹽竈神社にある志波彦大神っておっしゃるんですがね >>757
ひとつひとつお行為に、人間相手の場合と対応してるから、科学的に何を模しているか? なぜその行為をしてるのか? という話であればちゃんと科学してる。 そして、それがマナーや文化・長寿に根差してる面白い世界 >>939
古来は3礼3拍手1礼。
明治以降2礼2拍手1礼。
あくまでも基本の事で神社ごとによって違うで
出雲大社は2礼4拍手1礼で大祭礼の日は2礼8拍手1礼やしな。 >>953
自分で自然崇拝の話してんだけど頭悪いのか
民俗学の本読んだ事ある? 作法は当事者が蓄積するものであって、オウム真理教の関係者が口を出すような
性質のものではない。 カランカラーンしてから合掌か、お賽銭して合掌だな
外国人向けに「参拝のしかた」みたいなのが貼ってあるとこがあるけど
最初にニ礼というのがそもそも違和感しかない >>936
ぶっちゃけ明治政府のせいだな。
>>213が書いているように、明治政府は神道を改造してキリスト教に対抗しようとした。
具体的には、カソリックのマリア信仰をアマテラスに置き換え、
八百万の神々をアマテラスの配下とした疑似的一神教の体系を造ろうとした。
その流れで、作法の統一が要請されたのよ。 >>967
神に対して礼儀正しく出来ない奴は
人に対しても礼儀正しく出来ないからな
そんな奴は成功することも幸せになる事も出来はしない
宗教も一種のプラグマティズムとして考える事は大切だ >>918
長南年恵で検索すると分かる
神社や寺には何か精霊的なものがいる
日本人にとっては神なんだろう的な存在 >>921
>八幡宮の総本山、宇佐神宮では2拝4拍手1拝
宇佐八幡は神社本庁から離脱したから元々の自分とこの作法に戻したと言うことかな? >>968
出雲大社の祭神は、スサノオの命なのかオオクニヌシの命なのか、どっちなんだ? それぞれの信仰で、神や仏や聖人に敬意を表す作法めいたものがある
これもその1つに過ぎない、正直重要ではない
神社の神職の真似でもそれでいいじゃない >>969
お前何言ってんの?バカとは会話にならないわな。
神社はただのエンタメだろ?
神とかキャラクター作って物語売って祭りする、漫画と同じなんだよ。
これが大衆だよ! 今みたいに二礼二拍手一礼なんて昔は聞かなかったけど、それでも神社では二拍手、寺では静かに合掌ってのは昔からあったと思う 悪逆外道の左翼・徳川幕府。この非道左翼政権を倒すための一揆をなされた大塩平八郎翁もその根拠を神道に求められた! 神道とは突き詰めれば自然や御先祖様などへの畏れと感謝です 形なんて気にしてもなんにもなんねえだろ
まあ神道の神さんに手を合わせること自体無意味だが 精神世界は曖昧だ。自然現象は善悪を超越してるわけだし。人間は欲まみれ。
猿田彦珈琲大神のお呼びがかかっている。 少々、時代がかった表現ですけど
吊るしのスーツ、というのがありますな
大量生産した既製品で
ハンガーにかけて、ズラッと売っているのを揶揄しての言葉らしいですが
既製品ですから、その人の腕の長さだの
首周りだのは考慮されていないわけです
誰かが決めた、このぐらいだろうってサイズで作られていて
着る人のことを、考慮してないわけですな
対しての、オーダーメイド品ってのは
きちんと採寸して、その人に癖や動きに合わせて
考えぬいて、手直しを重ねて自分に丁度いい服になるわけです
信仰も同じことが言えるのかな、と
誰かが、ここでは神道の人が言っているのは
既製品です、誰かの基準でつくった、誰かのもの
それをヒョイと贖ってきて、これが私の信仰です
とするのは、あまりにも神に失礼であるし
あなた自身をまったく大切にしていない、大変、愚かな行為なわけです
神道の人の言うことを聞くのはほどほどにして
自分の信仰を、自分の手でつくりあげる
もちろん、失敗や紆余曲折はあるでしょう
ですが、それは借り物ではない、他人のものではない
真にあなただけの信仰と呼べるものなわけです >>983
マジでアホや
遠野物語くらい読んでから神社語れよ
>現代の民俗学者は「迷信」という用語をあまり使わない。
>今日的な“善悪”の価値判断は、古来の民間知識同士の相互関係や、
民間知識の社会や集団での役割などを分析するに際しては、不適切だからである。“迷信”という語は、あくまで現代人の知識を基準とした分類(レッテル)である。 >>973
神社そのものが謎と言ってるんですわ.. >>984
大正ぐらいからは、二礼二拍手一礼という形はあったと思う。 >>981
伊勢神宮だって天照大御神だがよく調べると奥の院とか出てくる >>965
土着の産土の神かな
そういうのすげー好き そもそも神社に二礼二拍手一礼しろと立て看板出てるんだが
礼儀作法みたいに一般が勝手に広めてるわけじゃない 賽銭って、叶えてもらった、叶ったお礼だって言ってた。
だから最初のお参りには基本お賽銭はいらない。
でも日本人なら鳥居くぐったら自動的に財布出しちゃうんだよね このスレッドは1000を超えました。
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