ユリウス・カエサルはてんかんだった! いやいや、軽い脳梗塞だ!

 歴史上の人物の病名や死因が、現代の枠組みを用いて診断されることがある。「遡及的診断」と呼ばれ、医学会でも定番の推理ゲームのようなものだ。その内容は、もっともらしいものから、ばかげたものまでさまざま。だがこれまで、歴史上の人物本人のDNAを使って、こうした診断が試みられたことはなかった。

 このほど、200年前の殺害現場に残されたDNAを分析し、ある歴史上の人物を苦しめていた病気の正体が判明したという研究結果が発表された。その人物とは、フランス革命期の最重要人物の一人、ジャン=ポール・マラー(1743〜1793)だ。「暗殺の天使」と呼ばれたシャルロット・コルデーにバスタブの中で殺されたことで有名だが、皮膚病を患っていたことでも知られる。今回の診断ができたのは、その殺害方法が暴力的だったせいだ。

 10月31日付けで「bioRxiv」という査読前の論文を公開するサイトに公開された研究によると、科学者たちが分析したのは、新聞紙に付着した血液から抽出したDNAだ。研究チームによると、DNA分析により歴史上の人物の病気を診断したのはこれが初めてであるだけでなく、一般的な紙からの抽出に成功したDNAの中では最も古いという。

■劇的な暗殺により革命の殉教者に

 ジャン=ポール・マラーは1780年代、フランス革命を熱烈に支持するジャーナリストとして新聞『人民の友』を発刊。貧しいパリ市民から熱狂的に支持され、多くの王党派を敵に回した。

 マラーの外見は、その過激な政治的立場と同じように極端だった。彼は、パリの労働者と同じように頭にスカーフを巻き、ローブと開襟シャツを着ていた。だが、何よりも目立っていたのは皮膚病だった。マラーの皮膚は水疱だらけで、傷からは液体がにじみ出ていた。人々は彼の痛々しい姿にぎょっとし、梅毒から危険な気性まで、原因をあれこれ想像した。

過激な意見を持つマラーは、しばしば逃亡生活を送った。彼は敵から逃れるために何年も屋根裏やパリの下水道に隠れて暮らした。ついに定住できる家を持ち、悪化する皮膚病の治療を受けられるようになったのは1793年のこと。最後の数カ月はほとんど外出せず、執筆活動と、水疱だらけの皮膚の痒みを鎮めるために長時間の入浴だけをして過ごした。彼は浴槽の中で仕事をし、友人や客人と面会した。

 1793年7月13日、入浴しながら新聞に注釈をつけていたマラーのところに、王党派の支持者シャルロット・コルデーが乱入し、その胸にキッチンナイフを突き刺した。彼はあっという間に失血死した。劇的な暗殺により、マラーはたちまち革命の殉教者となった。彼の血に染まった新聞紙は、妹によって注意深く保存され、今日まで残っている。

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