西部邁
あの人たちじゃないけども、数学というのはね、純粋論理の世界だと思っているけども、どういうふうにして「数学上の発見」をしていくかというね、
このクリエイティビティの問題になってくると、各国の国民のね、自分自身が日本列島で育って国語を使って生きていて、
果てはね、この日本列島の例えばだけど、「虫の声」とかね、「風の音」とか「光の強さ弱さ」とか、そういう非常に『感覚的なもの』のね、
英語で言う必要もないけども、Sensibility(センシビリティ)=感受性っていう、『その「感受性の違い」が、数学的な論理の発見とかなんかに繋がってくる』んだってね。
そういうものを捕まえるものとして、実は『国語』があるわけですよね。

これ、俳句でも和歌でも物語でもいいんですけどもね、日常会話でもいいんだけども、やはり数学にすら、そういう感受性っての?そういうものが繋がっているという