熊澤被告について

・1996年、英で人間へのBSE感染が確認
→畜産局長として「日本ではBSEは発生しない」と言い続けた。

・1996年4月、WHOから肉骨粉について勧告を受ける
・WHOの勧告を受けて開かれた検討会で、専門家から肉骨粉の法的規制を求められたが、行政指導に留める
→欧州諸国からの流入を止められず

・1998年、経済局長在任中にノーパンしゃぶしゃぶ接待を受ける

・2001年1月、農水省事務次官に就任
・2001年6月、欧州委員会から「日本でも狂牛病が起こる危険性が高い」と警告を受けたにも関わらず、
「欧州委員会の評価手法はきわめて疑問だ。日本でBSEの発生事例はなく、安全性は高い」と反論。
・↑発言の3ヶ月後、日本でもBSE感染牛が発見され、以降、次々と感染牛が確認。

・2001年9月のから12月まで、酪農家の収入は全国で633億円も減少。 
・米国産牛肉が輸入停止。吉野家が牛丼の販売を停止するなど外食産業も大打撃。

・2002年1月、BSE問題の責任を取り退官
→退職金8874万円満額

・退官後32の食肉関連団体が加盟する「日本食肉協議会」に天下り内定
→マスコミに批判され辞退

・2004年に農協共済総合研究所の理事長、全国米穀取引・価格形成センターの会長にも就任
・2つの天下り先を経由して駐チェコ大使

・同居からわずか一週間で息子を殺害
・殺害数日前に、インターネットで「 殺人罪 執行猶予」と検索
・妻には「これまで尽くしてくれてありがとう。これしか方法がない」と手紙を書くなど用意周到
・「殺されるとの恐怖心でとっさにやむを得ず殺してしまった」→刺し傷30箇所以上、被告は無傷
・「川崎市の事件のように、子どもに危害を加えてはいけないと思って殺した」→被告の供述以外に証拠や証言がない
・子どもに危害を加える恐怖を感じていたのにも関わらず、病院や警察に相談していない