【考古学】アフリカ大陸の失われた古代文明「アクスム王国」の遺跡が発見される 古代ローマ様式の指輪や原始キリスト教会も
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→AD1〜8にアフリカのエチオピア地域で栄えた「アクスム王国」の遺跡の一部が発掘される
→発掘された遺跡は、古代ローマとアクスムを繋ぐ貿易ルートの要である可能性が高い
AD1〜8にアフリカのエチオピア地域で栄えた「アクスム王国」の遺跡の一部が発掘される
発掘された遺跡は、古代ローマとアクスムを繋ぐ貿易ルートの要である可能性が高い
紀元後1〜8世紀頃に現在のエチオピア地域で栄えたアクスム王国。サハラ以南のアフリカでは、コインを鋳造し、キリスト教を受容した最初の国と言われています。
ジョンズ・ホプキンズ大学(米)により、このアフリカ大陸の伝説的な王国・アクスムの遺跡が発見されました。
しかし、あらゆる古代文明の中で最も重要な国の一つでありながら、その知名度はほとんどありません。今回発見された遺跡は、謎に包まれたアクスムの秘密を解明する大きな一助となりそうです。
研究の詳細は、「Antiquity」に掲載されました。
Beta Samati: discovery and excavation of an Aksumite town
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/beta-samati-discovery-and-excavation-of-an-aksumite-town/
https://i0.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/2019/12/urn_cambridge.org_id_binary_20191209150458328-0988_S0003598X1900084X_S0003598X1900084X_figU1.png
■アクスムの主要都市を発見か?
発見された遺跡(発掘作業は2011年〜2016年)は、同地域のティグリニャ語で「客人の家」を意味する「ベタ・サマティ(Beta Samati)」と名付けられました。伝説の「アクスム」という名は現在もエチオピアの都市として残っており、ベタ・サマティはこのアクスムの北東に見つかっています。
アクスム王国の全盛期は、現在のエリトリア・北部エチオピア・イエメン・北部ソマリア・北部スーダンにまで広がっていました。
一方で、ベタ・サマティの発見は従来の調査結果に異を唱えるものとなっています。
アクスム王国の遺跡発掘は1970年代にも複数回行われており、いくつかの仮説が立てられています。
仮説の一つによれば、ベタ・サマティのあった地域は、アクスム建国以前の国家が崩壊した後、わずか数カ所の小さな農村集落を残しただけだと思われていました。
しかし、今回の発掘により、アクスム以前〜アクスム建国の間には、強い連続性があったと考えられています。
ベタ・サマティが政治的・経済的に重要な役割を持ったことを示す数々の遺物が見つかっているのです。中には、コインやローマ人の影響をはっきり受けた金の指輪、キリスト教の教会堂などが見つかっています。
研究主任のマイケル・ハロワー氏は「アクスム王国は、ローマ帝国や古代インドと貿易関係を結んでいたことが分かっており、ベタ・サマティは、この貿易ルートの要となっていた可能性が高い」と指摘します。
また、黒石が使われたペンダントも特筆すべきものです。
表面には、キリスト教の十字架とエチオピアの古代ゲエズ語で「尊者(venerable)」を意味する言葉が刻まれています。ローマと繋がりを持つアクスムの僧侶が身につけていた可能性が高いでしょう。
https://i1.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/2019/12/urn_cambridge.org_id_binary-alt_20191209150711-75860-mediumThumb-S0003598X1900084X_fig9.jpg
https://i2.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/2019/12/urn_cambridge.org_id_binary_20191209150458328-0988_S0003598X1900084X_S0003598X1900084X_fig10.png
https://i0.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/2019/12/urn_cambridge.org_id_binary_20191209150458328-0988_S0003598X1900084X_S0003598X1900084X_figU1.png
ベタ・サマティはアクスム王国のほんの一角に過ぎず、その大部分がいまだ謎に包まれています。
定説として、アクスム王国は、7世紀頃にイスラム教が権力を持ち始めたことで新興のイスラム勢力に圧迫され、徐々に衰退していったようです。
しかしアクスムの秘密は、未だアフリカの大地に隠されています。
https://i2.wp.com/nazology.net/wp-content/uploads/2019/12/ethiopianarchaeology_1024.jpg
https://nazology.net/archives/49575 >>2
オッサン、それはアグネス・ラムやで
昭和臭過ぎるわ いい加減西暦やめよう
もう今5000年くらいだろ
ほんとは >>7
出てたっけ?
大航海時代大好きだったけど忘れちゃった なかなか長寿の王国じゃん。
イスラムと友好関係を保ったってのも面白いね。 なになに?グレートジンバブエみたいなもの?
よしわかった!人類は滅亡する! >>11
日本とか金印も貰えていない土人集落群の暗黒劣等やろ AD1〜8だと、わずか7年しか存続しなかった
事になっちゃうぞ。 エチオピアあたりは超絶都会だろ
地図見てたら、地理からわかるじゃん、おおよそ このエチオピア辺りって古代においては妙に先進文明地域なんだよな
まあその地理的条件が大きいんだろうけど(アフリカとアラビア半島の交易拠点)
現在は見る影もないアフリカの貧国の一つに過ぎなくなったが 旧約聖書でもエチオピア周辺は先進国扱いだもんな
イスラエルやローマは足元にも及ばなかったらしいな >>24
>>25
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
子供の頃のエチオピアイメージは陸上留学生とか盾持ってジャンプしてるとか(マサイ族と混同)
イタリア軍撃破しただとかのイメージだったのに
それ知っても最初はイメージが結びつかなかったわ >>27
息子のメネリックはユダ公の宝物モーゼの石板盗んでった
ヒヨコいやマメ知識な >>24
エジプト、中東、支那、メキシコ、インド
古代文明の地は、全て土人地域になっとるな コプト教からのエチオピア正教で一新する前にあった国ということか
宗教が絡むと前の遺物を破壊しがちだからこうなるんだろう、、、 新約聖書の「南の国の女王」とは
エチオピアのマケダ
ソロモンが宴会の後女王をナンパして一発仕込んで出来た子供が
メネリク一世
で
この息子が(正確にはメネリクの従者)
聖柩(十戒入り)をエチオピアに持って帰っちゃったんだな >>17
シーズン1とか2とかだと吹き替えが常識人っぽいのな
今の吹き替えは胡散臭さ全開じゃんw
日本の演出なのか、原語の喋りが変わったのか レムリアとアトランティスを探す旅に出るよ。
まだ、人が行ってない島があるはずだ。 >>29
現在のアフリカが内戦しまくーのエイズ撒かれたりーの白人どもにボコボコにされてんのは
アークを持っていっちゃった事もあるんだろうが
ソロモンの血を黒人が受け継いでいるなど
あってはならないからだ
とも言われてるな >>1
ガチでわかんないからね、アクスムのあと
シヴァの女王の国のはずなんだけど、他の史書に出てこない
エチオピア高原になんらかの文明と国家らしきものはあったのは間違いないんだけどね
現モーリタニアのヌビアと同じくらい謎 >>37
すでにドングリの栽培農法が確立してるんだけどね >>40
節子ヌビアはモーリタニアやないスーダンや 未だ発見されていない新大陸があると信じてる。
諸君!
それを佐賀市に行こうではないか! >>37
え?
19世紀でもこのアフリカ以下の糞食い土人が何か言ったか?
古代エチオピアいうとアンドロメダとカシオペアよな
金髪美女のイメージは実際どうなんだろう 因みにサハラ砂漠は砂の形成時期から
風化によるものではなく
311以上に大規模な、超巨大津波によって運ばれてきたのではないか?
と指摘している者もいる
エチオピアの北西に
海に沈んだ幻のアトランティスが存在した痕跡
かもしれない アフリカの「文明」ってさ
よそから影響けてマネしただけ…ってイメージあるわ アフリカの歴史全く知らんな
地中海面してるところの欧州風とエジプトしか知らん
面白そう >>50
欧州中東アフリカの混血とかならうまくいけば美人かもなぁ
人種、支配地域とかよう知らんけど 現行の国境では内陸国だけど、古代文明圏としては
ナイルを遡ってエジプトの延長でもあり、紅海に面して地中海とインドの経路でもあった。
エチオピア高原はブラックアフリカのなかでは特異的に農業に向いた土地で
先進文明に触れやすいんだから頭一つ抜けてて自然なんだよな。 >>53
世界四大文明の一つ、エジプト文明は紛れもなくアフリカ文明なんだけどねえ エチオピアは赤道に近いとはいえ北半球だし
エジプトやイラクは九州〜沖縄と同じぐらいの緯度なのに
どうしても不毛なイメージあるよね
カイロの人口は東京より多いのになぜかショボいイメージがつきまとう
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/newsphere.jp/wp-content/uploads/2019/01/09174151/Cairo.jpg >>25
もともと人類発祥がアフリカなんだし
当たり前だわなあ
1600年くらいまでヨーロッパて後進国だし >>6
ほんと紛らわしいよな
食べ物の歴史だと5000〜1万5000年前の痕跡がとかあるし カイロ で画像検索したら使い捨てカイロばっかヒットする時点でなぁ…
もっとエジプト文明に興味もって >>58
降水量って現代文明を支えるのに重要な要素って事だろ
その意味では日本ってエネルギー資源は無いけど以外に恵まれた国なのかもな
中東の大産油国なんてあれだけ石油資源があっても工業化が進まないのは
水(淡水)が絶望的に少ないのもあるんだよね
工業って淡水を大量に消費する かつてサハラ砂漠は緑地で四大文明より前の文明が栄えていたが、
今ではすべて砂の中に消えてしまったのさ >>57
クルアーンにもサァバの女王の記述があり
アッラーを差し置いて太陽を崇拝している
と、ある
紀元前3000年あたりからインドにまで交易が通じる一大文明圏が存在し
砂に消えた
ロマンあるよな >>52
アラビア半島は遺跡の宝庫なんだよね
発掘に非協力的だから無理だけど >>53
なぜそう思うのかさっぱりわかんない
ローマ時代ですら北アフリカはそれより古い国だらけなのに。 >>65
1世紀にエルトゥラー海案内記が書かれているしね
エジプトからインド迄のルートが書かれていて、記述の中にはインドの先にティーナ(中華)があるとも書かれているんだよな
ジンバブエなんかも栄えてた時期あるんだよな >>65
サバはイエメンじゃん。
エジプト文明の話をし始めた人に対するレスとしてはどうなの。 >>71
言うてエチオピアとイエメンは海峡挟んだすぐ隣だしねぇ
国が海を挟んではいけないってのは
現代における概念で
当時その周辺では太陽信仰による文明圏が存在したのは間違いない
エジプトは勿論太陽信仰 >>72
Wikipediaによると
サバア王国は月の神を頂点とする天体信仰が主流だったとさ オレ達に認識できる時間なんてのは、精々70年くらいがいいところで
そこから過去については、あくまで学術的痕跡から導き出された
状況判断、憶測でしかない それも隠されたり捏造されたら簡単にわからなくなってしまう
僅か70年前の戦争の記憶すら、あやふやなのだ
5000年前に、北アフリカで何があったんだろうな?
スフィンクスの首から下の侵食… >>73
エジプトにも月神はいる
太陽信仰は総じて天体信仰であり
その頂点に何を置くかは、時代や社会情勢によって変遷していったと見るのが、自然だろう >>76
頭から結論を決めつけて無理矢理こじつけてる感じだな
無理すんなもう寝ろ 古代ギリシャや古代ローマは地中海文明の範疇なんだよ
それなのにルネサンスの時にヨーロッパ独自のものという思い込みをして白人至上主義に繋がった エチオピアの皇室は日本より古いと聞きかじってたからそうかと思ったが
Wikipediaを見ると、直接の祖先は1270年からのようだな
でもその前に栄えていた王国の名としてアクスム王国というのは出てくるな
シバの女王の後裔として >>82
それを植え付けたアメリカ様の教育に
素直に従ってるアホな日本人にもっと強く
言ってやってくれ
世界を見なさすぎる、、極東から無理すぎるとしても >>1黒色肌の女王が治めた
ヌビア(スーダン)のメロエ王国のピラミッド群は古代エジプト文明と同等であったという 懐かしいなアクスム王国
用語的には早稲田法・政経入試レベル 東岸よりも西アフリカに興味があるんだが
アトランティスとの絡みで アフリカは滅びた古代文明の宝庫なのに
歴史が謎だらけで残念 >>83
ソロモン朝の創始者は古代アクスム王の末裔であると伝承されているようだけどね ゴッドハンドしちゃうのは日本人だけじゃないし、考古学は全て怪しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています