2018年10月に駿府城公園(静岡市葵区)で見つかった豊臣秀吉の天守台跡に隣接した場所に、新たな天守台跡が発見されたことが30日までに、関係者への取材で分かった。大規模な天守に併設される「小天守」の跡とみられる。渡り廊下のような石垣も発掘され、大小の天守が連結していた可能性が高い。江戸時代より前の城跡で、天守が2基並ぶ遺構が発見されたのは全国初という。市が確認を急いでいる。



 新たな天守台跡が見つかったのは、秀吉の命を受け、天正期(1573〜1593年)に建てられたとみられる天守台の東側。東西22メートル、南北20メートルの範囲で石垣が確認されたという。小天守がある城は、姫路城や熊本城など江戸時代に建造された城では珍しくないが、江戸より前の城跡では見つかっていない。

 18年10月に見つかった天守台跡は、慶長期の1607年に徳川家康が築いたとされる城とほぼ同じ場所にあり、駿府に家康と秀吉がそれぞれ築いた城があったとして、全国の歴史ファンから注目を集めた。秀吉が築いた城に小天守があったとなると、さらなる話題になりそうだ。

 小天守の発見で、「家康の城」と「秀吉の城」に、新たな歴史論争を巻き起こす可能性もある。

 家康の家臣松平家忠の日記には、天正17年(1589年)に小天守の建造に関わったとの記述がある。市は18年に見つかった天守台跡について、石垣とともに金箔(きんぱく)瓦が大量に出土したことから、天正期に秀吉が築いた城だとの見方を示してきたが、今回の発見で天正期に家康が築いた城だった可能性も浮上し、議論を呼びそうだ。



 <メモ>駿府城の歴史は、徳川家康が戦国時代末期の5カ国(駿河、遠江、三河、甲斐、信濃)領有大名時代に築いた城と、江戸時代初頭の大御所時代に築いた城の存在が知られていたが、2016年から始まった静岡市の発掘調査で、大御所時代の前に、豊臣秀吉の命で城が築かれたことが新たに分かった。一部が大御所時代の城と場所が重なり、家康が秀吉の城を覆い隠すように新たな城を建造していたことがうかがえる。ただ、諸説あり、今回の小天守の発見で城の成り立ちについて新たな論争を巻き起こす可能性がありそうだ。

小天守があったとみられる天守台跡が新たに見つかった発掘現場=12月25日、静岡市葵区の駿府城公園
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12/31(火) 7:51配信
静岡新聞
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