【お正月】初詣は神社とお寺、どちらに行く?
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初詣は神社とお寺、どちらに行く?
2020/01/02 05:02 ウェザーニュース
初詣は神社に行くものでしょうか?それともお寺に行くものなのでしょうか?
ウェザーニュースは「初詣といえば、どこにいくもの?」という調査を行いました(2018年12月19日実施、9,447人が回答)。その結果は…?
「神社」と回答した人が6割
選択肢は3つ設けました。結果は意外なものでした。
・神社:63%
・お寺:4%
・どちらでもよい:33%
「神社」と回答した人が6割を占めました。初詣の人出ランキングで上位に入るのは、明治神宮(東京都)、伏見稲荷(京都府)、鶴岡八幡宮(神奈川県)など神社が多いのですが、成田山新勝寺(千葉県)、川崎大師平間寺(神奈川県)、浅草寺(東京都)などのお寺もランクインしています。
昔は近所の神社や菩提寺に初詣
しかし、そもそも「初詣」とは、新年になって初めて神社やお寺にお参りすることなので、初詣は神社とお寺のどちらに行ってもかまわないそうです。
昔の初詣といえば、自分が住む地域の神社の氏神(うじがみ)、あるいは自分の先祖が祀(まつ)られているお寺(菩提寺=ぼだいじ)にお参りしていました。しかし、近年は特に自分にゆかりのない有名な神社やお寺に初詣をする人も増えてきました。
神様や仏様に願い事を伝える
お正月はそれぞれの家にやってくる「年神様(としがみさま)」をおもてなしする行事です。年神様は新しく迎える年の安全と豊作を約束してくれる神様。迎えるだけでなく、自分が大切にする神様や仏様に願い事を伝えるのが初詣なので、神社でもお寺でもかまわないということのようです。 神社行ってもどうせほとんど全員が墓参りみたいに合掌するんだから素直に寺行きゃいいのに 寺は神社に便乗した単なる商行為だぞ
寺に行くのは関東の馬鹿だけ 金持ちに成りたければ神社。
とくに欲しい物がなく、安定の日常生活希望は寺。 そもそも『初詣』は、『神』に対するご機嫌伺いだからな?
まあ、新年に限らず、参拝は常にその形だ
インドの小汚い小族の王子か何か知らんが、甘やかされて育った人間が
何が悟りを開いたから仏陀だの如来だのと
そもそも如来は参拝など求めてねえから 挿花の会館で生死不明の先生にお年玉を差し上げて来たー 生き返りますように 皆様も どっちもいく〜
家族で行くメイン神社はあるけど
近所にある神社・寺を散歩がてらまわるw >>1
初詣ベスト4のうち3つはお寺。
もともとお寺から始まったから仕方ないなww >>1
気にしない。
そもそも寺も神社も特にそのへんを主張する気もないように見える。
ただ、寺の方が気合は入ってるなw 普及拡大したのは鉄道会社普及した近代以降だからな。
鉄道会社キャンペーンが景品までつけて煽ったと説明した。
私鉄沿線とかそんな感じ お寺に除夜の鐘をつきにいってから新年神社にお参りがルーティーン 初詣は川崎大師が最初
京浜急行が乗客増進のために考えたイベント
その後各私鉄が真似していった ストレスのアウトソーシングだから宗教1つ持ってるといいぞ 我が家は両方行くことがあるよ
ご先祖様が眠ってるお墓があるお寺(お墓参りもかねて)と隣接する神社と・・・ >>23
七福神の由来を知らないから頓珍漢な指摘になるんだよ 節目にコミュニティの帰依する神を崇めればどの宗教、どの神でも良いんだよw 神さんが気にしてるようにも思えんしな。
てか、年始なんて彼らもバカンスでも楽しんでるだろう。
受験で忙しくなるしな。 日本会議系や神社本庁系の神社に賽銭を恵むなんてのは国賊行為だよね〜 「初もうで」は日本古来の伝統、などでは全くなかった 大きな寺はそれなりに初詣みたいな感じになってる
神社は近くの神社には酒が用意してあって飲める 但し記帳が必要だから飲んだことがない
で正月は神様が家に来る行事なので神社に行く必要はない 政治的に悪用する目的で日本国内に広められた仏教も神道も、詐欺以外の何物でもないけどね〜 詣客第1位、明治神宮創建の頃…
正月になると初詣に出かける人が多い。
一般に初詣は正月三箇日にするものとされており、
大晦日の夜から神社や寺院に並ぶ人たちも少なくない。
最近では、警察が初詣客の数を発表しなくなってしまったので、いったいどれくらいの人が初詣に出かけているのか、数が分からなくなった。
発表されていた時代、もっとも初詣客を集めていたのは東京の明治神宮で、その数は300万人だった。 明治神宮は大正9年の創建である。西暦で言えば1920年で、
令和2年11月1日には創建100年を迎える。
明治神宮では、創建当時、
鎮守の森ができるよう綿密な植林計画が立てられ、
それにそって境内の整備が行われたため、
今では立派な森が作り上げられている。
そのため、大昔から明治神宮があったかのように錯覚する人たちもいるが、神社としては新しい。
では、明治神宮が創建する以前、
東京の人たちは初詣にはどこへ行っていたのだろうか。 東京都内の神社で境内がもっとも広いのが明治神宮である。
それに次ぐのが靖国神社である。
靖国神社は明治2年に創建されているので、明治神宮よりも歴史は古い。
では、明治神宮の創建以前、東京の人間は靖国神社に初詣に出かけていたのだろうか。
第3位は大宮八幡宮だが、広さは靖国神社の約半分しかなく、知名度は低い。
明治神宮が創建された時代、
「初詣という慣習はなかった」が正解である。 地元の神社に行くけど
明治の廃仏毀釈までは寺だったんだよなそこ 「ゆく年くる年」の創生
初詣のはじまりについては、新刊の『神社で拍手を打つな! 』(中公新書ラクレ)で述べているので、
詳しくはそちらを見ていただきたいが、高浜虚子の句を見ると、
そのあたりの事情がよく分かる。
虚子は正岡子規に師事した著名な俳人で、
1894年から1935年までに作った俳句を『五百句』という本にまとめている。
そのなかで最初に初詣が季語として使われているのは、
昭和10年元旦の「神近き大提灯や初詣」の句である。
これは明治神宮で詠まれたもので、虚子は元旦の午後には鎌倉の鶴岡八幡宮にも初詣し、
「神慮今鳩をたたしむ初詣」の句を詠んでいる。 どちらも行かない。2月に馴染みのある寺に除霊しに行く予定 江戸時代には、すでに「除夜の鐘」は俳句に詠まれていた。
けれども、除夜の鐘を撞くのは一部の禅宗の寺に限られ、
全体には広まっていなかった。
除夜の鐘が広まったのは、
昭和2年からはじまるNHKのラジオ番組「除夜の鐘」を通してだった。この番組は、現在も放送される「ゆく年くる年」の前身である。
「ゆく年くる年」の番組に除夜の鐘が欠かせないのも、
こうした由来があるからである。 建築物としての神社自体が寺院の影響が強くて
仏教が伝来してから創建されたものが多い。
もともと神道には祭壇があれば十分なんで、建築物と
しての神社なんてものは必要が無かった。
だから現代の正月でも簡易な祭壇を玄関や床の間に
儲けて神様をお迎えする。
日本古来の自然信仰から来ていると思われる神道の伝統は
十分に継承されている。
だから100円の安いもち米粉のお供え餅もちゃんと売れているww 大晦日に除夜の鐘を聞き、それにつられて初詣に出かける。
そうした慣習は昭和初期に生まれたのである
東京の氏神と新来の氏子
ではなぜこの時代なのだろうか。
ここからは東京に限って話を進めることにする。
東京の人口が急激に伸びはじめるのは1930年以降のことである。
1930年には、23区の人口は約207万人で、それが35年には588万人、
40年には678万人に増えていく。
わずか10年で3.3倍にまで増加したのだ(浅井建爾『日本全国 地図の謎』東京書籍による)。
東京で人口が急増した時期に初詣や除夜の鐘の慣習が広まっている。
そこには何らかの関係があるはずだ。 >>39
明治神宮は大正時代、初詣は明治時代には始まっている。 >>1
どちらでも良い
明治までは神も仏もいっしょくたで神社の御神体が仏像だったり寺の中に鳥居が建ってた どういった発想で寺になるのかが疑問だぞ
一般的に知られてる神道ではなく仏教徒の初詣もあるのか?
そっちの情報ほとんど知らず 初詣が寺って、クリスマスに仏陀とかアマテラスとか恵方神とかを祝うくらい違わないのか 寺は喪中や忌中は無い。
神社は親族の不幸から1年間は行っちゃ駄目。 浅草寺 公式サイト
修正会(しゅしょうえ)大晦日-1月6日
修正会とは「正月に修する法会」という意味で、ご本尊の観世音菩薩に新年の天下泰平と五穀豊穣を祈願する法要である。
ご本尊を奉安する御宮殿の前に、豊穣を象徴する鏡餅をお供えし、大晦日の夕刻から修正会が始まる。
まず、導師が「観音秘密供養法」を修するなか、道場に花びらを散じる「散華」の儀式が行なわれる。
これは道場を清めて諸仏を迎え入れるための作法。
散華が終わると同時に、鉦や太鼓、拍子木などを打ち鳴らされ、本堂内はけたたましい音に包まれる。
その「乱声」のなか、赤い鬼の面を持った僧と柳の杖を持った僧の2人が正面に進み出て、「追儺」の儀式が始まる。
追儺とは災厄の象徴である鬼を追い払う意味で、「鬼遣らい」ともいう。
儀式の間に「乱声」も鬼を追い出すため打ち鳴らされているのである。
追儺は、柳の杖を持った僧が、杖を振り下ろして床を叩き、鬼の役の僧侶を追いかけ、鬼の役の僧侶は御宮殿の周囲を右回りに駆け巡る儀式である。
http://www.senso-ji.jp/annual_event/01.html 近所の小山の山頂の奥宮行った。小銭が3円しかなかったw >>44
寺社仏閣へ参拝は元日だけとは限らない
正月三が日は休暇の人が多い
人込む期日あらため参拝しても問題はない御利益も同じだよ
正月三が日といっても
病院関係とか警察官とか
24時間休めない夜勤など当直勤務している人もいるからな
寺社仏閣の参拝は正月三が日の
わざわざ人が込んでいる参拝するよ
人が少ない正月三が日ではない方が御利益ある
正月三が日が休暇だとしても
期日あらため参拝しても御利益は同静寂な時間にじっくり願い事や祈願したいのであれば正月三の日に内に参拝しなくても良いです
正月に参拝するようになったのは
近年の事であり私鉄道会社普及した頃の私鉄道会社キャンペーンが起源だからな
平日の人が少ない方が参拝しやすい 神社→厄祓い
寺→厄除け
災難に遭ってないなら迷わず寺に行け。
神社はすでに取り憑いた厄を祓ってくれるだけ。 日本って浄土真宗が多いでしょ
浄土真宗の場合は神棚禁止だし
年神さも迎えないだろうし
神社へも行かないはずなんだがな 「おかげ犬」って知ってる?
ご主人の代わりに伊勢神宮を参詣した忠犬たち >>60
厄除けで検索したら、埼玉厄除けの寺がでてきたが
仏教もいろいろと宗派はあるんだろうが
葬式仏教、ブッダの仏教でも厄除けとは関係なさそうだが
マントラ、真言とかの宗派だとリンピョウ〜とかいうのがそうか 九字護身法 - Wikipedia
九字護身法とは、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法である。
ただし本来は仏教(特に密教)で正当に伝えられる作法ではなく、道教の六甲秘呪という九字の作法が修験道等に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法である。
修験道では九種類の印にそれぞれ、毘沙門天・十一面観音・如意輪観音・不動明王・愛染明王・聖観音・阿弥陀如来・弥勒菩薩・文殊菩薩を本地仏に配当する説がある。
ただし不動明王の印である独股印が毘沙門天、金剛界大日如来である智拳印が阿弥陀如来など、印の形と本地仏とは関連性のない配当がされており根拠は不明である。
また外獅子印、内獅子印の二つはインド撰述の密教経典には見られない、日本独自の印である。 年神さまを迎えるなら地元の神社であろう。
仏様の加護を得て功徳を積むならお寺。
明治神宮みたいな官製国策神社では何の意味もない。 >>56
精進料理
ひと昔前までは、故人の死後から四十九日までの間、遺族は精進料理を食べ続ける どこかでみた記憶によると
二年参りの意味は大晦日のほうは先祖霊を呼び寄せて
元旦のほうが正月神を呼び寄せるらしいぞ
ちがったか?
二度やらないとどっちかがかけるはずだが 川崎大師が近いので、うちも周りの人も大師様に行くことが多いな…。
どんな寺が近くにあるかで回答も変わって来るだろう。 >>66
親鸞は比叡山で悟れずに出た人だからな
今の比叡山が宣伝に利用してるだけ そういや近所の神社には鐘もあるから
除夜の鐘ついてたな 合祀の概念と歴史は確かに古いが
神だけを奉る社、仏像だけを安置する寺は普通にある
明治に合祀を否定されから別れたんじゃない 氏神神社や有名な寺社などに百日間毎日参拝することを「百日詣」といいます。
これが、時代とともに変化したのが、お百度参りです。
一日で百回お参りする場合もあれば、
数日かけて百回お参りするというものまで、さまざまです。
お百度参りをする際の祈願内容は個人的なものではあるものの、
切実なケースが多いのではないでしょうか。 戦前はテレビもラジオもないからね
家に閉じこもっていても面白くも何ともないだろう
郵政省が年賀状なんてものを流行らせる前は
お世話になっている人への年始回りというのが普通だったはず
年始回りの一環として初詣というのもあったはず >>84
三箇日に挨拶に行くバカは死んで良いぞ
親族間ならまだしも、普通は失礼に当たる どっちでもいいのか
近所の大きいところが寺だから毎年行ってるけど
本来神社だよなwと思ってた 神社はそこに「神様がいる」って雰囲気があるけど
寺は金ぴかの仏像があるだけで「仏様がいる」って雰囲気ねーわ
寺は仏像見るだけの観光地だろ 初詣でとは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。
一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。
初参・初参りともいう。 昔までは神社だったけど例の事件があって以来隣の寺にしている。
門仲は今日も平和です。 どっちでもいいんだよ。
神道の朝廷が仏道を認めて以来、朝廷が大仏を作ってるんだし。
同じ神様。 もし神仏が年の初めには来てくれやというならそれは煩悩ではないのか、悟り開いたら煩悩消えるんだよね 初詣「二礼二拍手一礼」が古い伝統という勘違い 東京都神社本庁も作法の存在を否定
https://toyokeizai.net/articles/-/316446 >>95
日本の神々は悟りなんか開いてねえぞ
そもそもあくまで人間本位の哲学である仏教の教えと
アニミズムである日本の神々を合祀するなって話だ ゴータマが悟り開いたと仮定してもその弟子が煩悩丸出しでよしんばこれ売れるんじゃね?と思って布教してるケースもあるからな。弟子が悟り開いたってことにはなってない訳だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています