カルロス・ゴーン氏の所在が2019年12月30日、レバノンのベイルートで確認された、という報道で、日本国内はゴーン一色のお正月を迎えているようです。

 実際、本稿の校正時点でも「ゴーン容疑者の不法な脱出」「トルコの航空会社が刑事告訴」といった日本語の記事ばかりが目立ちます。

「ゴーンは悪い。悪い奴が法を破って悪いことをした」というPRが大半と見えます。しかし国際的にみれば「よくて5分」議論は2分、というのが過不足ないところと思います。

 楽器の箱に隠れて「パーティ会場を抜け出した」あるいは「そのまま出国」など、いまだ情報が錯綜している報道を元旦のベルリンで耳にしながら、筆者は率直に「やはり・・・」という思いとともに、国際世論が「どちら」に味方するか、が気になっています。

 例えば私たちは「北朝鮮」から脱出してきた人たちを、命がけで不当な権力に背を向けた英雄のように捉えることがあります。

 ベルリンでは、冷戦時代に「ベルリンの壁」を突破して自由な西側世界に脱出してきた人たちは、事実「英雄」でもありました。

 これと同じように、今回のカルロス・ゴーン氏「日本脱出」・・・「脱北」同様に短縮するなら「脱日」とでも呼ぶべきでしょうか・・・を、国際世論が「正義の行動」と捉えれば、日本国にとっては大変なダメージになるでしょう。

 日本という国は、まともな法治が成立せず、官憲の横暴がまかり通るとんでもない「ならずもの国家である」というのが、とりわけコンプライアンス関係者を中心に、ゴーン氏のメインメッセージとして国際社会に受け入れられ始めていますし、日本国内でも郷原信郎弁護士を筆頭に、明確な根拠に基づいた批判がなされています。。

 あえて言えば、カルロス・ゴーン氏は日本の司法制度を見限った。

 こんな未開で野蛮なところに置かれていたら、どんな目に逢うか知れたものではない。現地民の掟などにはとても従っていられない、という「治外法権」を自ら宣言して、彼は父祖の地、レバノンに降り立って世界に向かって正面から情報を発信している。

 日本国内で「ソンタク」の何のと、微温な表現に世論が慣れているような場合では、すでにないところまで、事態は発展しています。

 日本は直接のやり取りができないレバノンに、ICPO(国際刑事警察機構)はゴーン氏の身柄引き渡しを求めましたが、1月2日、アルベール・セルハン・レバノン暫定法相はこれを否定。

 日本での裁判は実質的に開廷が至難となっています。そもそもそのような司法案件として、きちんと物事は成立していたのか??

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パンツの中まで改められる?
 あえて他の記事が触れないような点から検討するなら、ゴーン氏は「パンツの中まで改められた」可能性があると私は考えます。

 仮にゴーン氏が、西欧先進国の司法制度を前提とする常識を持っていた場合、日本の拘置所や留置場、刑務所などでの「容疑者」に対する取り扱いは、人間としての最低限の品位を認めない、
いわば常民の埒外である「罪人」への差別に満ちたものと映ったこと、これは間違いないと思います。

 具体的には施設によって詳細は異なると思いますが、東京地検特捜部によって逮捕され、小菅の東京拘置所に収監されたゴーン氏は、まず写真撮影と指紋採取など、拒否することができない手続きを踏まされたことでしょう。

 次いで、入所に当たっては身体検査を受けたはずで、ここでは「自殺の予防と収監者の安全確保のため」などとして、衣服はすべて改められ、ほぼ半裸の状況で「口の中」も改められる。

 さらにはパンツの中までチェックされるといった境遇にゴーン氏が直面した可能性があると。これは彼が収監されたと聞いた直後、反射的に感じました。

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 そうした観点から見て、あくまで私の文責で記しますが、ゴーン事件での日本司法、とりわけ日本検察の失態は「人間の主体性を軽んじ、文化としての法治をないがしろにする、とんでもないこと」と、團藤先生なら、まず間違いなくおっしゃったように思います。

 実際、留置場や拘置所では「容疑者」に「観念」させるべく、自尊心を踏みにじるような行為を意図的に行わせるケースが少なくない。というか非常に多いといった詳細は、佐藤優さんを筆頭に、実際に「矯正施設」の現実を知る方々が、あちこちに記していると思います。

続きソース
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58831?page=3