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『凶暴で扇動され易く、自制と倫理観が欠如しているアメリカン』

日本軍に逮捕された爆撃機搭乗員8人は
都市の無差別爆撃と非戦闘員に対する機銃掃射を実施した戦時国際法違反であるとして
捕虜ではなく戦争犯罪人として扱われた

アメリカは爆撃機搭乗員が捕虜になったことを知ると、【「彼らは軍事目標のみを攻撃した」と事実とは異なる主張を展開した。】

1943年(昭和18年)4月23日、アメリカはドーリットル隊員が処刑されたことをはじめて報道する。
また、日本政府に対して抗議を行う
同時に日本側の行為を『野蛮人の蛮行』として非難し、大々的にプロパガンダに利用した。
また日本の指導者であった東條英機を「血に飢えた独裁者」であると宣伝し、現在もアメリカ国内ではそのように認識されている。

1944年(昭和19年)にこれら捕虜を描いた映画『パープル・ハート』が20世紀フォックスによって製作された。
ガダルカナル島の戦いやアッツ島の戦いを経た同時期に至ると、連合国の間では日本人絶滅政策を検討するようになった。
米軍の調査によれば、約半数の米兵が「平和が回復されるまで日本人(軍人・民間人関係なく)は一人残さず殺すべきだ」と考えていたという。
1944年(昭和19年)12月の世論調査(戦争終了後、日本人に対する処置について)では
アメリカ国民の13%が日本人の全員殺害を希望するようになった。

ルーズベルト大統領首席補佐官ウィリアム・リーヒ提督は「日本は我々のカルタゴ」と表現している