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20代で母が認知症と診断された女性の壮絶人生
仕事から帰ると毎晩母の食事の介助をした
2020年01月15日
旦木 瑞穂 : ライター・グラフィックデザイナー


子育てと介護が同時期に発生する状態を「ダブルケア」という。ダブルケアについて調べていると、子育てと介護の負担が、親族の中の1人に集中しているケースが散見される。
なぜそのような偏りが起きるのだろう。
連載第5回は、自身が20代のときに母が若年性アルツハイマー型認知症と診断され、仕事と介護を両立しながら妊娠や出産を経てきた女性の事例から、ダブルケアを乗り越えるヒントを探ってみたい。
父の退職金が消えた?

静岡県在住の藤本弘美さん(仮名、40歳)は、短大進学をきっかけに大阪でひとり暮らしを始めたが、2002年、23歳のときに静岡の実家に戻った。その頃父は62歳、母は58歳。60歳で定年を迎え、再雇用を経て、家にいることが多くなっていた父は、母の異変に気づく。

退職金が振り込まれているはずの「通帳を見せろ」と言ったところ、「お金なんてないよ」と母。父は自分で通帳を探し始めるが、いつもあるはずの場所にない。カードや印鑑も見つからない。家中探して、やっと通帳は見つかったが、退職金はほとんど残っていない。父が「どこへやった?」「何に使った?」と聞いても、母は言い訳をするか、つじつまを合わせようと必死で取り繕うだけ。

部屋からは、怪しい機械のパンフレットや申込書、保険の契約書などが見つかり、どうやら必要のない機械や保険を複数契約してしまったらしい。父は、母が契約してしまった保険を解約しようと思ったが、肝心の保険証書がない。契約書から保険会社を割り出し、何とかいらない保険を解約。見つからない銀行の通帳やカード類は、再発行の手続きをした。

藤本さんが大阪にいる間も、父から何度か「母さんがおかしいから帰ってこい」と言われていたが、年に数回帰省するときには、とくにおかしいとは思わなかった。実家に戻った頃は、母はまだ料理ができていて、母が漬け、母の字で「平成14年6月」と書かれた梅酒が残っている。

しかし、藤本さんが近所の会社に勤め始めると、母が作るお弁当の内容がだんだんおかしくなっていった。2段になった弁当箱のうち、ご飯が詰められた段はいいが、おかずが詰められるはずの段には、唐揚げが2個入っているだけでスカスカ。しかも唐揚げはレンジで温めすぎたのか、固くカリカリになってしまっていた。藤本さんは異変を感じつつも、「忙しくて温め時間を間違えちゃったのかな」と思った。

ところが、買い物に行くと同じものを何個も買ってきたり、通い慣れた道なのに、迷って家に帰ってこないことなどが頻繁になる。

7歳年上の兄が関東から帰省したとき、すぐに認知症を疑った。家族全員で病院へ連れて行った結果、母は若年性アルツハイマー型認知症と診断される。2006年のことだった。
(リンク先に続きあり)