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1919年 パリ講和会議で日本が人種的差別撤廃提案を行う

人種的差別撤廃提案とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、
大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。

イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、
ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。
国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。

米国黒人が大きく期待していたパリ講和会議における日本の「人種差別撤廃提案」が、
賛成多数であったにもかかわらず、議長裁定(米国大統領ウッドロウ・ウィルソン)により
法案が成立しなかったことに失望して全米各地で紛争が起こった

1919年7月27日シカゴでの人種間暴動。
ボート遊びをしていた黒人少年が白人専用ビーチに入ってしまい、白人から石を投げつけられて亡くなったことが暴動の発端となった。