0001靄々 ★
2020/01/23(木) 00:50:38.74ID:zUk4iTcf9色づいた落ち葉を巻き上げながら、「山ちゃん号」が村の中を北へ南へ、東へ西へ―。
雨が降りしきる昨年12月2日。毎週月曜は、商店「山ちゃん」(京都府南山城村北大河原)の移動販売の日だ。冷蔵車が山道を上り、下り、時には崖すれすれの道を越えて、玄関前までやって来る。
「おすしもおいしそうやねえ」「パンも欲しいな」。心待ちにしていたお年寄りが、商品に手を伸ばす。「牛乳ある?」「お菓子はええか?」。店主の山本義樹さん(51)が尋ねると、「一つ、もろとこか」。
約2700人が暮らす南山城村。高齢化率は46・4%(昨年11月末時点)に上る。スーパーやコンビニは無く、道の駅や農林産物直売所以外に、食料品を扱う商店は3軒ほど。買い物に困るお年寄りには、村唯一の移動販売が頼みの綱になっている。
高尾地区で1人暮らしの女性(85)は年齢を考え、半年前に車の運転をやめた。以前は生協の宅配にも頼ったが、細かい記入欄が見づらく今は利用していない。「これ(移動販売)で生活させてもらってます。助け船やな」
午前10時前に出発し、高尾地区と野殿・童仙房地区の22軒を回り終えるとすっかり日が暮れた。
山本さんの祖父が前身の「山本商店カネヨシ」を創業したのは昭和10年ごろ。2代目の父、義継さん(79)が昭和30年代に車で移動販売を始めた。当時は車を持たない家庭も多く、出先では、若い主婦らでにぎわった。毎日駆け回り、おかげで2年に1台は車が壊れた。それが昭和の後半にさしかかると車が普及し、近隣の三重県伊賀市に大型スーパーができた。村内に数軒あった移動販売も一つ、二つと減り、義継さんも高齢を理由に2010年に店を閉めた。
その当時、京都府職員で宇治市に住んでいた山本さんに店を継ぐ考えはなかった。店を取り壊すため、帰省して荷物を整理していると、ぼろぼろになった前掛けや、仕出しをしていた時の皿が出てきた。「昔は頑張っていたんやな」。懐かしさがこみ上げた。
父の代の客は、今も村に暮らす。中学生の頃から年末になると正月用品の配達を手伝っていて、見知った人もいた。「自分の代で店をなくすのは忍びない」。妻子を連れてUターンを決意した。
新たに弁当販売を軸に据え、16年に店を再開させた。
調理と配達に大忙しだが、移動販売は続ける。「待ってたよ」「頼りにしてる」の声が背中を押す。
訪ねた先でお年寄りから郵便物の投函(とうかん)や電球交換を頼まれたりもする。体調の変化に気付き、地元の社会福祉協議会やケアマネジャーに連絡したこともあった。「不便もあるけど、自分が生まれ育った村が良くなってほしい」。この思いが原動力になっている。
「また、移動販売が必要とされる時代が来ている」。義継さんは息子の姿に、かつて自身が駆け回ったころの状況を重ねる。押し寄せる高齢化の波。実は店を閉めた後も、なじみのお年寄りのため、食料品を届け続けた。「自分の利益だけ考えていては続かない。助け合っていかないと」
近年、村もITベンチャー「エルブズ」(東京都)と組み、生活支援アプリによる買い物難民対策を模索する。お年寄りがタブレット端末を使って人工知能(AI)と会話するように商品を注文、配達する実証実験も行った。実現に向け、どのように地元商店などと結び付けるかは今後の課題だ。
こうした取り組みと一緒に、何かできないか、と山本さんも考える。住民の思いに対し、個人でできることには限りがある。昔に比べて顧客の減った移動販売は、売り上げが仕入れ値の7割ほど。利益は出ていない。「もっと良い方法はないか」。地域の声に応えながら、店を持続させる道を探る。思い巡らす先に、住み続けられるふるさとがあると信じて。
食料品を積み、山道や狭い道を行く「山ちゃん号」(南山城村高尾)
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移動販売で地域を駆け回る山本さん(右)。買い物するお年寄りと世間話に花が咲く=南山城村高尾
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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/138396
2020年1月22日 19:39 京都新聞