世間では正月休みが明けたばかりの、1月6日午前10時。米田恵子さん(42歳)は東京都八王子市にある精神科病院「多摩病院」(持田政彦院長)から退院した。2016年2月の入院から、すでに4年近くの歳月が流れていた。

「まだ夢を見ているような感じで、日常のささいなことがすごく幸せです」

退院から10日ほどたった1月半ば。取材に応じた米田さんは、そう笑顔で話した。病院では週に1度しか食べられなかった好物の麺類を好きなときに食べたり、少し夜更かしをしてテレビを見たりすることに、幸せを覚える日々だという。「何よりいちばんの幸せは、家族や友人と自由に連絡が取れることです」。

「逆に今のほうが本当は夢で、目が覚めたらやっぱり現実は閉鎖病棟内のままだった、と想像すると、怖くなって泣き出しそうになります。入院しているときは外で生活しているイメージがまったくできなくて、声を上げても誰も助けてくれず、2度とここから出られないと思ったこともありましたから」

米田さんはそう振り返ったあと、語気を強める。

「この4年間、家族とは面会はおろか、声を聞くことすらかないませんでした。入院当時、中学1年生だった次男は今では高校生。すっかり声変わりしていて成長がうれしい半面、一緒にいられなかった悲しみもあります。人生の貴重な時間を奪った病院のことは、決して許せません」

30代から40代にかけての、この4年間。米田さんが長期入院を余儀なくされた背景にはいったい何があったのか。

米田さんには男の子2人、女の子5人の計7人の子どもがいた。そのうち長女と次女は離婚した夫が親権を有している。2013年1月、地元の八王子児童相談所は、生後数ヵ月の四女を保護した。米田さんがうつ傾向にあり、一時パニック障害を生じ通院していたことから養育が難しいと判断したとみられる。その数日後、四女が救急搬送された病院で急死したと児相職員から告げられた。「乳児突然死」だった。

 入院の前年である2015年、彼女にとってショッキングな出来事が相次いだ。1月には生まれたばかりの五女が、ついで9月には三女が、八王子児相に保護されていった。つまり米田さんにとってみれば、その保護下で四女を亡くした児相に、三女と五女も奪われたことになる。「娘のなかでも、一番長くママをさせてくれた三女が、小学2年生のかわいい盛りに奪われたショックは言葉にできません。

このとき以来、自分を責め精神的に追い詰められてしまいました」。その結果、精神安定剤などをオーバードーズ(大量服薬)したことで、2016年2月に多摩病院へ入院することになった。

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