>>197
自分たちは表にたたず間接統治を行った。
統治は地元の代表である土候に、流通は華僑(現地の中国人)にやらせた。
搾取によるインドネシア人の憎悪は華僑や土候に向けさせ、
自分達はおいしい汁だけをたっぷりと吸ったわけだ。

しかも表向きは東インド会社という会社組織で、
国家は前面に出ないという用心深さだった。

また、【オランダは混血政策】を取り、
インドネシア人との混血児を中間階級にし、民族の分断を図った。
これはポルトガルが東ティモールで、スペインが中南米でやったのと同じ手口である。

【混血児といっても、白人の男が現地の女を強姦する】というパターンだけだった。

こうしたハーフカースト(白人とアジア人の混血児)は、教育を施され、
宗主国のために原住民を監督、酷使する役割を与えられた。

スマトラのたばこ農場の様子を記録した「レムレフ報告書」には
現地人を米国の黒人奴隷と同じように扱い、
「鞭打ち、平手打ちは当たり前だった」と記録されている。

ある農場では
「粗相をした二人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、
さらに裂けた傷口や局部に唐辛子粉をすりこんで木の杭に縛りつけて見せしめにした」という。

このオランダによる恐るべき搾取にピリオドを打ったのは
1941年の大東亜戦争である。