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「弾圧と虐殺」

列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。

イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。
当時のイギリスの『タイムズ』紙は
「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。
白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴徒を死刑にせよ』
と報復を訴えた。

事実、イギリスは、みせしめのため捕虜の集団銃撃や焼き殺しなど、珂責ない弾圧と虐殺を行った。